あらすじ
歩けるうちは、人は死なない
長生きしたくないという高齢者が増えている。
不健康寿命が延び、ムダな延命治療によるつらく苦しい最期は恐ろしいと感じるからだ。
著者は2000人以上を看取った元外科医の緩和ケア医。
「歩けるうちは死にません」「抗がん剤をやめた方が長く生きる」「病院で体力の限界まで生かされるから苦しい」「認知症は長生きしたい人にとって勝ち組の証」「ひとり暮らしは、むしろ楽に死ねる」など「延命より満足を、治療より尊厳を」という選択を提唱。
医療との向き合い方を変えることで、家で人生を終えるという幸せが味わえるようになる!
2000人の幸せな最期を支えた「在宅」緩和ケア医が提言
病院に頼りすぎない“生ききる力”とは?
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Posted by ブクログ
歩くスピードや歩幅で、その人の余命はほぼわかる。スタスタと歩ける人は、おおむね10年以上生きられるでしょう。イスから腕の力を使わずに立ち上がれる方なら、余命1年以上。立ち上がれない方は余命半年以内。ちょこちょことしか歩けない人は、余命数カ月、歩けない人は余命1カ月以内、というところです。
著者が見た患者の中には、体重30キロでもスタスタ歩いてた人がいた。ほとんど食べられず、栄養ドリンクを1日500cc飲むくらいで半年後、さらに25キロくらいまで痩せましたが、歩けていた。
歩くために必要な力は、実は「根性」と「気力」です。「がんばれる」ということは気力があること、つまり脳が若いということ。
「心がではなく、医学的に、科学的に『疲れる』とは、寝転びたい。立っていられない、自分の体をささえていられない状況。すなわち体幹の持久力が限界にきた状態です。30分間、背筋を伸ばして座っていられる人は、30分歩けます。3分しか背筋を伸ばして座っていられない人は、3分しか歩けない。
「食べられないから歩けない」と嘆く人が多いけれど、点滴で栄養を入れているから永久に歩けるわけではない。食事というのは栄養をとるためであるのと同時に、楽しむものでもあります。「楽しむ」のであれば、食べたいものを食べて吐いてもいい。タイヤがパンクしているのに、または、ガソリンをエンジンに送るパイプが詰まっているのに、いくらガソリンを入れても走りません。自動車ならその道理がわかるのに、対人間になると、「栄養、栄養」が始まる。
呼吸筋が弱ると、胸郭が大きくも小さくもなりにくい、つまり肺活量が下がるため、呼吸が浅くなり、息を吐き出す力が衰えてしまいます。大きく吸って、大きく吐く、それを短時間で一気にするのが咳です。呼吸筋が弱ると、弱い咳しかできなくなり、痰を吐き出すことができません。一般的にはこの状態を「誤嚥性肺炎」と呼びますが、「誤嚥性肺炎」は病気ではなく、死ぬ一歩手前の状態に名前をつけただけ。
もちろんすべてではありませんが、成功した人、裕福な人ほど寂しい亡くなり方をすることが多い気がします。女性で、こうした「成功者タイプ」だと、子どもが大人になっても何かと命令し、孫の育て方にまで口を出すというパターンがあります。子どもにとっては「いいかげん、もう関わらないで」と言いたくなる。高齢になって、子どもから絶縁された母親もたくさん見てきました。
なぜ、延命治療は患者を苦しめることになるのでしょうか。飛行機の例で説明します。そして飛行機がゆっくり燃料を使い切って軽くなって降りて着地するように、人間も食べ物をとらなくなりゆっくり着地、つまり死んでいくのです。それが自然ですし、つらくないのです。でもこういう「着地」は、多くの場合、日本では認められません。飛行機が、徐々に高度が下がってきてしまったとします。すると「危ない、これは燃料が足りないからだ」という理屈で、落下しないようヘリに吊られて、空中給油が始まる。「ヘリー機じゃダメだ。もう1機、もう1機」と、3機、4機、5機もつなげて吊られ、なんとか飛行機の高度を保つ。自分で飛ぶ力がもはやないのに、引っ張り上げられるからとても怖い。ついには翼がもげて墜落。たくさん給油していたので燃料は十分あり、よく燃えます。機体が熱い、苦しいとなって燃えていく。
死期が近づくと、患者は食べられなくなります。食べなくても3週間から1カ月くらい生きる人は多いですし、水も飲まずに3週間生きた患者さんも見たことがあります。もちろんトイレにも行かず、ずっと寝ているだけです。そうやって、穏やかに逝きました。多くの病院の医師は、患者が食べられなくなったら「点滴したほうがいい」と思っています。医師が思っているのですから、一般の人たちもそう言うでしょう。点滴して水分を入れると肺がむくみます。肺がむくむということは呼吸不全の状態になり、咳や表が出てくる。そして呼吸が「ゼロゼロ」してくると、「誤臙性肺炎です」と診断されます。レントゲン上は、肺が白くなります。こうして「誤職性肺炎」と診断された患者の家族には、時々「だったらせめて家で看取りたい」と考える方がいます。そして家に帰ると、8割くらいは肺炎が治ります。なぜなら肺炎ではなく、肺がむくんでいただけだからです。点滴をしなくなるから肺のむくみがなくなり、呼吸が楽になるのです。病院で内視鏡を見て「もう飲み食いはできません」「何か飲ませたら死ぬ」と言われた人でも、家に帰ると意識がよくなり、かなりの確率で飲み食いできるようになります。その後、なんと年単位でよみがえった方もいます。
内容の濃い、奥行きのある本だったと思う。2回読み返した。
Posted by ブクログ
緩和ケアの存在を初めて知った。好きなものを食べて、飲んで、好きなことをして、枯れるように亡くなっていく。最期まで目一杯生きて、自分の足で棺桶に入る。そんな希望があり温かい死生観に出会えた本でした。
Posted by ブクログ
タイトルに「棺桶」と「歩こう」
ウォーキングがメインなのか、死がメインなのかわからず読み始めた。
読み終えて、著者に共感。
抗がん剤で弱って苦しんで死ぬのではなく、
ガンが大きくなっても、ろくに食べられなくなって体重が減っても、
人は歩ける限りは死なない。
歩くために必要なのは筋力ではない。気力だ。
なので、病院で抗がん剤と点滴で死を待つのではなく、
家族に見守られて励まされて、最後まで歩いて、死のう。
乱暴に言えばそういう内容の本。大いに共感する。
病院は生かすのがミッション。転ばれても困る。だから動けなくなる。
栄養は与え続ける。どんどん具合が悪くなる。
そうではなく、最後まで自分で歩いてトイレにも行って、
歩けなくなった時が死ぬとき、でいいではないか、と。
死なせないよりよく生きる、だ。
同感、納得。
前橋の先生だった。
第一章 歩ける人は死なない(病院で大往生はできません;新米外科医には「看取り」はつらすぎました ほか)
第二章 がんばって背筋を伸ばそう(ほめてあげよう、ありがとうと言おう;歩くのに必要なのは食事や栄養ではありません ほか)
第三章 人は病気ではなく、老化して死ぬ(「80歳の壁」を超えるなんて恐ろしい;成功者、金持ちほど寂しく死ぬ? ほか)
第四章 がんと闘うな、はほんとうか?(「心臓マッサージはしない」「胃ろうはしない」など細かく言い残す;「穏やかな死」をじゃまするのは、実は家族が多い ほか)
第五章 一人でも、いや一人のほうが大往生できます(一人暮らしのほうがむしろハッピーに死ねます;「孤独死」ではありません、「孤高死」です ほか)
Posted by ブクログ
人はがんが大きくなって死ぬのではなくて、癌に栄養を吸い取られて、老いて、弱って死ぬ。一番大事な糖を使っているのが、脳と心臓。筋力は、重いダンベルを3回のほおが良い。軽いダンベル100回は持久力をつける。大股てゆっくり、理想は早く歩く。長生きするのは日数の長さではない。いつ死んでも悔いがない生き方。身体にいいことより、心にいいことをした方が長く生きられる。人は病気で死ぬのではなくて、老化で死ぬ。病気は老化の段階に名前を付けているだけ。平均寿命は
女性87.2歳、男性は81.7歳。健康寿命は、女性75.2歳、男性72.2歳。制限のある生活は、女性11.6年、男性8.5年もある。、ビンビンコロリは、ゆくゆくは認知症になる。せん妄とは、入院すると確率が高くなる。分のやからないところに連れて行かれる、怖くて精神がおかしくなる。これは高齢者の入院によるせん妄は認知症の道。がんを治療しなければ、身体は老化して行き、枯れるように死んで行ける。リビングウィルとは、生前の意思。生前遺言書、と訳される。生まれた時は、おめでとう。死ぬ時はありがとう。棺桶に歩いて入る!これが最後まで目一杯生きること。
Posted by ブクログ
去年、ひょんなことから、ある病気を重症化させてしまって、半月ほど入院をしたが、「入院すると、歩かないから早く死ぬ」を擬似体験。たった半月でもそれを実感。かつ、エレベーターを使わず、階段を使って上り降りしていたのにも関わらず! それは「病院では大往生はできません」につながっていくので、出来る限り、入院は避けたいもの。
〈本から〉
病院では大往生はできません
ちょこちょこ歩きだと、そろそろ寿命かな?
抗がん剤治療は、好きに生きられないからつらいのです
もっと生きたいよね? じゃあ歩きましょう
人の寿命は歩幅と背筋でわかります
入院すると、歩かないから早く死ぬ
1時間に10回立ち上がれれば歩けます
ストレッチをがんばれば痛みは引いていく
背筋を伸ばしてかっこよく座れますか?
大股でゆっくり、理想は速く歩こう
嚥下リハビリを続ければ死ぬまでむせることはない
ごくごく飲み込まないで、少しずつ気合をい入れて真剣に飲み込んでみてください。「今、飲み込んだものがどこを通っているか?」と意識しながら飲み込むだけで、嚥下のリハビリになります。
Posted by ブクログ
母から渡されたので読んだ。母が亡くなる時の理想がこの本の内容とのことなので、読んで欲しいと言われた。
親子だからなのか、私もこの本のように亡くなりたいと思った。
私は30代ではあるが心配性なので、自分が先々病気になることを想像してお金を貯めたり、物を減らしたり、終活の一歩手前のようなことをしてしまっていた。
この本を読んで、死ぬイコール病気で亡くなると思っていた自分に気づけた。
もちろん病気をきっかけに亡くなることはあるが、病気になったことで心が弱ってしまうことが、最終的な要因なのだろうと思った。
一応まだまだ若いので過度な心配は辞めて、それよりも心身健康でいられるように過ごそうと思った。
実家に帰ったら、また両親としっかり話そうと思う。
“死“の話は縁起が悪いから親の前で話すものではない!という考えの両親でなくてありがたい。
死と向き合うことは、結局、“生“と向き合うことなのだと感じる。
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死に方というタブーに触れつつも、「正しく恐れる」ことの大切さを教えてくれる一冊だった。世間はメディアが映す元気な老人ばかりに目を向け、多くの人が直面する苦しい老後から目を背けている。綺麗事ではないリアルな現実はけっして希望に満ちた内容ではないが、尊厳を失ってまでただ生き延びるのか、自分らしく死を迎えるのかという問いは、そのまま「どう生きるか」に直結している。
これまでは病気や怪我を治すだけの存在だった医師の役割も、これからは「正しい死に方に導く存在」へと変わってほしい。この分野の医療ももっと進んで、「萬田道場」のような存在がもっと増えてほしいと思う。
私たちは漠然と理想の「ピンピンコロリ」や経済的な豊かさを追い求めがちだが、本当に必要なのはそこではない。後悔しない最期を迎えるために、自分の死に様をよく見つめ直し、少しずつ心構えをしていくこと。それこそが、残された日々の生き方を豊かにするのだと強く実感させられた。
Posted by ブクログ
これはいい!私も棺桶に歩いて入れるような生き方をしていきたい。小見出し読んでるだけでも参考になる。「人の寿命は歩幅と背筋でわかります」「タンパク質をとっている人は若々しくて長生きです」「『80歳の壁』を超えるなんて恐ろしい」「成功者、金持ちほど寂しく死ぬ?」「自分が建てた家で好きな演歌を聴きながら」「高齢者の入院によるせん妄は認知症への道」
Posted by ブクログ
タイトルから、「歩くことは健康にいい」というウォーキングの勧めの本かと思っていたが、全く違った。
著者が、外科医から緩和ケア医になった経緯、人が生きるとはどういう事か、人の死はどう迎えるのが本人や家族にとって幸せなのか、大往生とは何かなど、正面から「生」に向き合う内容。
賛否両論あるだろうが、私は人は自然に近い形で人生を終えるのが一番苦しみが少ないと思っている。
なので、延命だけを目的とした治療を受けたいとは思わないし、長生きするより痛みなどが無い方が嬉しい。
若い人は、まだやりたい事があったり子どもが小さかったりで、たとえ辛くても少しでも長く生きる事に十分メリットがあるが、人生後半に入ったら、生きる事より死ぬ事の方が身近に感じる。
とはいえ、私自身、家での看取りは本当に幸せだったのか、ずっと迷いながら生きてきた。実際に亡くなった本人がどう思っていたかは今更知る術もないが、少なくとも私が「これでよかったんだ」と思う事が出来るようになった気がする。
ここ10年ほどで一気に家族を失ってしまったが、全てを家で看取れた訳ではなく、あまりにも早い進行で準備が間に合わず家に帰ることなく亡くしてしまった家族もいる。
もし、15年前にこれが出版されていて読む事が出来ていたなら、もっと違う対応が出来ていたと思うと、ただただ残念でならない。
Posted by ブクログ
抗がん剤などによるがん治療の闇がよくわかりました。また、本当に自分自身の身体的苦しみ回避と、残された家族の精神的負担の回避のどちらを優先させるかの苦渋の選択があることがよくわかりました。
Posted by ブクログ
がん治療に関する項目については、治療や緩和ケアの考え方は疾患や個人の選択に委ねられる部分は大きいと思うけれど、著者の看取りの考え方は概ねわたし自身の考え方と似ているので抵抗なく読めました。
わたしは自分で食べられなくなったらそのまま死なせて欲しいと思う。(以前からそう思っていた)
リビングウィル、大事ね!
Posted by ブクログ
タイトルに惹かれて手に取った一冊。緩和ケア医である著者が、「看取り屋」ではなく「生き抜き屋」として、多くの患者の姿から見えてきた生と死について語っている。
特に印象に残ったのは、ちゃんと生きてきた人が、ちゃんと最後まで生きられるという考え方だった。人生の終わりだけを、いきなり良いものにしようとしても無理がある。どのように死ぬかは、それまでをどのように生きてきたかと切り離せないのだと思う。
また、人は病気そのもので死ぬというより、病気などをきっかけに身体が少しずつ弱り、やがて死を迎えるという捉え方も印象的だった。死を敗北や例外として遠ざけるのではなく、生きることの先にある自然な営みとして見つめ直すことができた。
我が国では、死について率直に語ることは、どこか縁起の悪いこととして避けられがちである。しかし、死を考えることは、決して生を諦めることではない。むしろ、最期まで自分らしく生き抜くために、今をどう生きるかを考えることなのだろう。
人が生まれてきた時には「おめでとう」と言い、死に逝く時には「ありがとう」と言う。
自分がいつか見送られる時も、誰かを見送る時も、この言葉を忘れずにいたい。
生きたいなら歩こう。そして、歩いて棺桶へ。死について考えながら、生きることへの意識を一段深められる一冊だった。
大股できちんと歩ければ大丈夫という内容です。特に大事だと思ったのは、
○歩幅と寿命は相関する。ちょこちょこ歩きでは棺桶は近い。
○健康寿命は72〜75, 平均寿命は81〜87歳なので不自由な期間は長い。あと、定年後の自由な期間は意外と短い。
○自分や家族の事を医療者任せにするために、辛い最後を迎える人が多い。全ておまかせではなく、私達が自分で考えて選択すべき。
Posted by ブクログ
無理な延命治療ではなくソフトランディングな死を。緩和ケア医が提言する理想的な人生の終わり方。
歩けなくなる、食べられないが死につながる。逆に歩ける食べられるうちは大丈夫。認知症になるのはそこまで健康だったということで勝ち組等参考になる意見多し。
Posted by ブクログ
死を迎えるにあたり、心の準備は大事なことはわかっているけど、なかなか出来ない、しない。本書にあるように、人は必ず死ぬのに、死の話をするのはタブー視されています。棺桶をまたぐところまでイメージしておけばつらくない。死ぬ直前までしっかり歩いていける為に今やるべきことをしなければ、そんな気持ちにさせられる書籍でした。
Posted by ブクログ
わたしは看護師なので、沢山の看取りと関わってきた。家族の思いは大切だけれど。ご本人の気持ちになって考えてみてほしい。っていつも思っている。
高齢で、寝たきりで。胃瘻から栄養を入れて生きている方のなんて多いことか…。尊厳は何処へ…。
この本を読んで、皆さまが、病院や施設で最後を迎える事ってどう言う事か、考えるきっかけになるといいなー。
これはあくまで、病院と施設で看護師として働いてきたわたし個人的な考えですが…。わたしは、家で死にたい。もちろんできる限りの支援を自宅で受けながら。最後は自宅で孤独死したいと思っています。
Posted by ブクログ
人間誰しもが必ず「死」を経験するのに、自分のことになると「死」を遠く離れたものだと考えてしまっていると気付かされた。
もし自分の家族や友達ががんなど病気になってしまい、死が近づいていると分かったら、絶対医師に頼んで出来るだけ長く生かせようと思ってしまう。だけどこの本を読んで、延命治療というのは、苦しみ続ける患者はもちろん治療をし続けなければならない医師、苦しむ患者を見続ける患者の家族や友達、全員が辛い思いをするものだと分かった。
自分がどんなに好きな家族や友達でも、その人にはその人の人生があるということを忘れず、その人の望む死に方を尊重し、それを全力でサポートする事がほんとうの愛だと感じた。
自分の死が近づいて来たとしても、棺桶に入るその瞬間まで歩いて後悔のない最高な人生だったと思えるようになりたい。
Posted by ブクログ
人生100年時代を迎え、寿命が長くなると、寝たきりのまま数年を過ごす人が増えているそうです。
『どのように死ぬか』とは『どのように生きるか』を考えることであり、とても大切なことだと思いました。
Posted by ブクログ
棺桶まで歩こう(著:萬田緑平)
「ピンピンころりで死にたい」と多くの人が願うけれど、もし“それが明日”だとしたら選べるのか——そんな問いから、生き方の本音に気づかされた一冊。
元気な高齢者ばかりを見ていると気づきにくいけれど、現実には自分や家族のことも分からなくなる老いもある。それでも人は「今すぐの死」より「長く生きること」を選びたくなる。
さらに、自分のことだけでなく、親を看取る立場になると気持ちはもっと複雑になる。たとえ苦しくても、生きていてほしいと願ってしまう——その“存在そのもの”に支えられている自分にも気づいた。
命の終わり方と、生きることの意味を考えさせられる一冊だった。
Posted by ブクログ
とてもすぐ読める。
墜落しそうな飛行機は(=燃え尽きそうな生命、身体に)残っている燃料を放出して(=食欲がなくなり)軟着陸(死)に備える、というのが自然な姿であるのに、無理に点滴をして身体がむくみ、管だらけ…みたいな話には納得。また、気力も衰えていく…というのも納得。好きなことを大事に歩くことの大切さ…の説明には大いに納得。
現代医療が死を苦しいものにしている…という話は概ね納得。現代医療批判をしていないところにも好感。
で、自分がなる時に備えて何ができるか、の話について。
考えてみると、在宅医療の環境を探して整えて…というのは、出来そう。
次に親や身近な人が自然な死に方を選択(したい場合に)できるように…これが難しい。いざという日がいつ来るかわからない。でも少なくとも老衰であれば、あまり苦しくない形で後押しをしてあげたいと思う。
Posted by ブクログ
萬田先生の著書、勉強になります。
■ ポイント
・歩くこと=筋力もそうだが気力。気力があれば人は生きる
・体幹、大股歩き、呼吸筋
・肉などのタンパク質を食べる人は若々しい
・歩くのが最高の長生きの秘訣
・メンタルの満足は体を越える
■ アクション
・姿勢良く
・大股で歩く
・呼吸を意識する
・肉を食べる
Posted by ブクログ
著者曰く歩き方でその人の寿命が分かる
私もほぼ同じ数千人の人の歩いている姿を見るが
全く同じ事を感じる
当然背筋がピンと伸びしっかり歩いている人は
加工食品とお酒は買ってないが
それは今回は置いておいて
1番印象的なページはここ
みなさん、街やテレビなどで元気な高齢者だけを見て「長生きしたい」と思い、健康、
長生き、健康、長生きの大合唱です。
雑誌やテレビも、「身体にいいこと」の
特集ばかり。
けれど、長生きする日数の長さではなく、
いつ死んでも悔いがない生き方ができているかこそ、肝心なのではないかと思います。
一人暮らしの老人は
孤独死やかわいそうと思われがちだが
家族と共に生活していると
医師は残された家族から訴えられる可能性も
考えてリビング・ウィルをしない事も
ままあるそうだ
最後に自分の意思で生きるのではなく
生かされているなんてどうなんだろうか
そんな事を考えさせられる本
Posted by ブクログ
スタスタ歩ける人は10年以上生きる。
筋力で歩くのではなく気力(脳の若さ)で歩く。
大股でゆっくりから大股で速足へ。
椅子すっと立つ。背筋を伸ばす。膝上の筋力。
脳と心臓を動かす糖と体を作るタンパクを取る。
呼吸筋
嚥下リハビリー唾液やゼリーを意識して飲み込む。どこを通っているか。1分間にどれだけ吞み込めるか。
延命治療(心臓マッサージ、胃ろう、点滴)はしない。
自宅で死ぬ。
ピンコロリを防ぐ薬ばかりー血圧剤、高脂血剤、糖尿剤
せん妄は、家に帰す。
がんで死ぬのではなく、弱って死ぬ。
治るガンはガンでない。早期がんは治療しない。抗がん剤は食欲を無くす。飲まない方が長生きする。歩けるうちは、がんが大きくなっても死なない。医療用麻酔を使っていい。
リビングウィル
死ぬことを目標にして生きる。
Posted by ブクログ
緩和ケア萬田診療所院長。
在宅緩和ケア医として、2000人以上の看取りに関わっている。
積極的な治療はしない、最後まで自分らしく、人間らしく生き抜いていける事を信条として治療をされている。
食べるという事も、人としてその人に認められる権利であり、日本以外の欧米では、日本ほど、胃ろうや延命治療を行っていないと聞きました。
食事は提供するけど、食べれなくなれば、自然と死に向かう、どうして日本人はこんな単純な事ができないんでしょうか。
Posted by ブクログ
死と向き合い方を考えさせられる内容だった。
老いても歩ける気力があれば、元気に長生きできるのだと思った。死に向かうことを、飛行機の不時着に例えているのが面白かった。飛行機は墜落する前に燃料を抜いて軽くする狙いがあるが、人間も栄養を抜いて身体を軽くした方が、苦しまずに死ねことができるのだとか。自宅で死を迎える方法やガンについて戦う必要はないことなど、一風変わった医者の考えを知ることができた。
Posted by ブクログ
本書の内容は「末期であっても自力で歩けるうちは簡単には死なないため、少しでも自分で歩こう」という考え方と、「死を否定するのではなく、生命を長らえさせることだけを目的とした延命治療を中止し、残された人生を肯定的に生きることが、結果として延命にもつながる」という考え方の、主に二点に集約されるように感じられた。本書では、主にがん終末期患者の看取りについて書かれており、単に生命を維持することだけを目的とした治療が本当に正しいのかという問題提起にとどまらず、「延命治療は家族のエゴではないのか」といった点にも踏み込み、終末期医療や延命治療のあり方に一石を投じている。また、抗がん剤などの延命治療を中止し、在宅医療へ切り替えたことで、かえって余命が延びた事例も紹介されており、世間一般に浸透している終末期医療の常識に対するアンチテーゼともいえる内容であった。内容が面白い本ではないが、自分や家族の人生の終末期のあり方を考える一助になる本であった。
Posted by ブクログ
母に頼まれて購入。
癌治療をしている母は、想像していたのとちょっと違っていた。字もつまってなくて読みやすいけど、最初の方を読んでいて怖くなってしまったから途中で読むのをやめた。
と、私に本が戻ってきた。
読んでみて、母の感想も納得。
直面していない人にとっては、知見を得るということで興味深く、これからの備えとしようという余裕があるけれど、
まさに今、恐怖とともに治療に挑んでいる人にとっては、近しい未来をリアルに突きつけられるようで辛いだろう。
性格によるだろうけど。
Posted by ブクログ
積極的な治療を受けて、最期まで「死なない」生き方をするか、延命治療は受けないで、最期まで「生きる」死に方をするか、どちらを選ぶか問われているのだと感じました。
自分の身近な人の生き方、死に方も、自分自身の生き方、死に方も元気なうちに考えておかなければと思いました。
Posted by ブクログ
外科医を辞め、がん患者専門の訪問診療をはじめた医師の話。
・歩ける人は死なない。筋力や食事ではなく意思。
・食べたいものを食べる。吐いてもいい。
・寿命は歩幅と背筋でわかる。
・ほめてあげる。ありがとうという。
・病気ではなく老化で死ぬ。
・生まれた時にはおめでとう。死ぬ時はありがとう。