あらすじ
「とにもかくにも人は、もののあはれを知る、これ肝要なり……」。本居宣長七十二年の生涯は、終始、古典文学味読のうちに、波瀾万丈の思想劇となって完結した。伊勢松坂に温和な常識人として身を処し、古典作者との対話に人生の意味と道の学問を究めた宣長の人と思想は、時代をこえてわれわれを深い感動の世界につつみこむ。著者がその晩年、全精力を傾注して書きついだ畢生の大業。
...続きを読む感情タグBEST3
Posted by ブクログ
40年以上ぶりの再読。
熊野純彦を含め、近年の本居本に飽き足らず、小林に回帰。
二十代で初読したときには、何ひとつ理解できていなかったことを痛感した。
晩年の小林は、ここでも相変わらず、対象を語りながら自分自身を語ってしまうといういつものスタイルのように一見見える。しかし、よく読むとそうではない。
あの自信たっぷりに断定口調でものを言う小林が、逡巡に逡巡を重ね、思索に思索を重ねながら、少しずつ本居に肉迫しようとするその執拗さが読むものに深い感銘を与える。この上巻では、22章における宣長の歌論をめぐる小林の語り口は実にためらいがちだ。もっとも、宣長自身が自分の見解の説明に苦労しているわけだが。
この22章だけで、私は数回読み直した。
全篇を読み終えた後、またここに戻ってくるだろう。
Posted by ブクログ
読んでみたいと思いながら、後回しにしていた小林秀雄。
没後40年にあたり、初めて手にした。
学生時代に中原中也を好んで読んでいた頃の印象で、小林秀雄を「中也と女性を奪い合った」というエピソードでのみ歴史に登場する人物、と長らく思っていたが、違った。
さて、本書『本居宣長』だが、そのスコープは、本居宣長が信じた「学ぶ力」「もののあはれ」「やまとごころ」にあると見える。
江戸初期の林羅山から始まる当時の官学=朱子学=漢学をメインストリーム或いは「実用」とするならば、宣長はそこへ「理想」というコンセプトを持って学を提案する。
儒教のような「海外の教え」を重宝がるばかりで、何故日本の心を学ばないのか、と宣長は問う。
和歌の名作の含蓄を真似て作るのは容易であるが、言葉を真似る方が難しい。
古典の解釈ばかりでなく、今の心をそのまま表すことが肝要、、
彼はひたすら、長いものに巻かれることを拒否しているようだ。
本居宣長という人は、歌人という肩書でありながら、現代にも通じる政治思想を形成した人物だと聞く。
下巻の展開が楽しみだ。
一つ自分自身へのメモとして。
小林秀雄の主張は時折非常に観念的で、かつ詳細にわたり、どちらとも取れるような解釈や、そうとは言い切れないようなことなど、細い糸の上すれすれを歩くような感覚になる。
勿論名著に違いはないのだが、この一冊だけを読んでいる間に、その深度故に、やや視界が狭まる感覚を覚えた。
西洋思想に比較すると、言葉への拘りは日本独特のものと思われる。
自国の思想史を学ぶことは尊いものだが、一方他国に広くある視点から離れすぎることには、やや危機感がある。
自分は特定分野の研究者などではないため、同時に二冊以上の本を並行して読むなどして視点のバランスを保っていくことは必要だと、改めて認識した。
勿論名著には違いないが。