あらすじ
取材のために訪れた向島は玉の井の私娼窟で小説家大江匡はお雪という女に出会い、やがて足繁く通うようになる。物語はこうしてぼく東陋巷を舞台につゆ明けから秋の彼岸までの季節の移り変りとともに美しくも、哀しく展開してゆく。昭和十二年、荷風(一八七九‐一九五九)五十八歳の作。木村荘八の挿絵が興趣をそえる。 (解説 竹盛天雄)
...続きを読む感情タグBEST3
Posted by ブクログ
192P
**永井荷風(ながい かふう)**は、日本の小説家・随筆家・詩人で、近代日本文学を代表する作家の一人です。彼の作品は、東京を舞台にした情緒豊かな描写や、失われゆく江戸文化への愛惜を特徴としています。文学だけでなく、その生き方や思想も注目される人物です。
1. 生涯
•生誕: 1879年(明治12年)12月3日、東京・麹町に生まれる。本名は永井壯吉(そうきち)。
父は高級官僚で裕福な家庭に育ちましたが、早くから西洋文化や芸術に興味を持つようになります。
•留学と海外生活:
1903年、フランスやアメリカに留学し、西洋文学や芸術に触れる生活を送ります。この経験が彼の作風や価値観に大きな影響を与えました。
しかし、欧米文化への憧れと同時に、日本の伝統文化の美しさを再発見する契機ともなりました。
•帰国後の活動:
帰国後、作家として本格的に活動を始め、『すみだ川』『あめりか物語』などの作品で注目を浴びます。
しかし、大正期以降は急速に近代化する日本社会に批判的になり、江戸文化や古い東京の情緒を愛する作品を書くようになります。
•晩年:
戦後は隅田川沿いの静かな生活を送りながら執筆を続けました。代表作『濹東綺譚』はその晩年の代表作です。1959年(昭和34年)に亡くなりました。
2. 作風と特徴
•江戸文化への愛惜:
荷風は、明治以降の近代化によって失われつつある江戸の風俗や情緒を、作品の中で細やかに描きました。これにより「古き良き東京の記録者」として知られています。
•退廃的な美意識:
荷風の作品には、人生の虚無や退廃的な美意識がしばしば現れます。これは西洋文学からの影響と、急速な近代化に対する反発の両方が反映されています。
•個人的な視点:
随筆や小説には、彼自身の体験や感情が色濃く反映され、親しみやすさと独自性を兼ね備えています。
3. 代表作
•小説:
•『あめりか物語』(1908年)
アメリカ滞在中の体験を基にした短編集。異文化との出会いがテーマ。
•『ふらんす物語』(1909年)
フランス滞在時の体験や感慨を描く。
•『すみだ川』(1909年)
隅田川周辺を舞台にした情緒豊かな短編。
•『濹東綺譚』(1937年)
江戸情緒を舞台に、人間の哀愁を描いた代表作。
•随筆・日記:
•『断腸亭日乗』
日々の出来事や考えを詳細に記録した日記で、文学的価値も高い。
•『日和下駄』
江戸の情緒を愛する荷風の観察眼が光る随筆。
4. 荷風の人物像
•西洋文化と江戸文化の間で:
西洋文化を愛しつつ、日本の伝統文化への愛情も強く持つ、いわば「二重の美意識」を持つ作家でした。
•独特の孤独感:
荷風は人付き合いを避け、孤独な生活を選びました。それでも東京の下町を愛し、日常の散策を通じて作品のインスピレーションを得ていました。
•時代への批判者:
社会の近代化や効率化が進む中で、失われていく文化や人間味を記録し、批判し続けた姿勢は一貫しています。
永井荷風は、単なる作家としてだけでなく、失われゆく時代の記録者として、日本文学史に欠かせない存在です。その作品を読むことで、明治・大正・昭和という激動の時代を生きた一人の観察者の視点を追体験することができます。
**『濹東綺譚(ぼくとうきたん)』**は、永井荷風による日本文学の名作で、1937年(昭和12年)に発表された小説です。この作品は、東京の下町を舞台に、古き良き江戸文化の名残を追求しながら、時代の移り変わりを描いたものです。
1. あらすじ
主人公の「私」(筆者の分身であるとされる)は、隅田川(濹東の「濹」は隅田川の異字)の東側に位置する向島界隈を散策する中で、芸者を引退した女「お雪」と出会います。
お雪は、かつての華やかな生活から一転、生活苦に直面しながらも、品格と慎ましさを失わずに生きていました。「私」はお雪に惹かれ、彼女との交流を通じて、消えゆく江戸の情緒や人々の生活を記録しようとします。
物語は、お雪の素朴な人柄と、彼女の人生の哀愁を織り交ぜながら進み、次第に時代の変化とともに失われつつある日本の伝統美を描き出します。
2. 主なテーマ
•江戸の情緒と近代化への哀愁
荷風は、都市の近代化が進む中で失われていく江戸の文化や風景を憂い、それを愛惜する姿勢を示しています。
•人間の哀愁と孤独
お雪の孤独な生活や、彼女を見守る「私」の心情を通じて、人間関係や人生の儚さがテーマとなっています。
•芸術家の視点
「私」は観察者としての立場を崩さず、荷風自身の作家としての姿勢が投影されています。
3. 文学的な特徴
•美しい文体
荷風の作品は、古風で格調高い日本語表現が特徴で、『濹東綺譚』もその例外ではありません。
•写実的な描写
隅田川周辺の風景や人々の生活が丁寧に描かれ、昭和初期の東京の情景を鮮明に感じることができます。
•短い構成
『濹東綺譚』は短編に分類され、コンパクトな中にも深い味わいがあります。
4. 評価と影響
『濹東綺譚』は荷風の代表作として評価が高く、昭和の日本文学を代表する作品の一つです。戦前から戦後にかけての東京を知る貴重な記録であり、多くの文学研究者や愛好者に読み継がれています。また、映画や舞台化もされ、時代を超えて親しまれています。
この作品を通じて、荷風が見た「失われゆく美しさ」と、それに対する彼の愛惜の感情を体感することができます。
Posted by ブクログ
玉の井の私娼窟を舞台とした、永井荷風58歳の作品。荷風が玉の井を実地調査した話は彼の『断腸亭日乗』で読んだが、それがこのような静かな作品として結晶したことに感じ入る。ただ、当時の東京の地誌を知っていれば、もっと深く読めたかな、という感じもする。なので、脚注がないのは少々残念。
とはいえ、岩波文庫版には木村荘八の挿絵が添えられていて、これは素晴らしかった。文と絵とがセットで、一つの作品なのだと思う。
Posted by ブクログ
自分も東京の下町を一緒に歩いているような錯覚に陥った。挿絵も濹東綺譚の世界へ誘ってくれるような、あの時代の情景が目に浮かび生活の音が聞こえてくるような心地の良い気持ちになった。
わたくしとお雪とは、互いにその本名も住所も知らずにしまった。ただ濹東の裏町で、一たび別れてしまえば生涯相逢うべき機会も手段もない間柄であるー
今の時代、SNSを見れば個人情報はダダ漏れ。どんな人となりなのかあっという間にわかってしまう。
そんなものを持ち合わせていない時代、
相手の事をほとんど知らぬまま、でも思いだけは残り別離する。そのせつなさがとても上質なものに感じた。
そして、個人めいめいに他人よりも自分の方が優れているという事を人にも思わせ、また自分でもそう信じたいと思っている心持ち。明治時代に成長したわたくしにはこの心持ちがない。これが大正時代に成長した現代人とわれわれとの違うところですー
と言う描写。承認欲求を欲する現代のことを言っているようだった。時代は繰り返しているのだと滑稽に感じた。
Posted by ブクログ
散策中の雨が偶然出逢わせた、歳の離れた男女。暖かく心を通わせだす。
通う男の洒脱な言い訳は、小説の取材。作品と現実が微かに重なる、夕暮れの季節。
昭和初期の景色や匂いを感じさせる克明な描写が、心をタイムスリップさせてくれる。
Posted by ブクログ
彩りが気に入った。
読書の傾向について、他人の影響を受けて食わず嫌いになってる分野というのは得てしてあり、私の場合は永井荷風は親が今一ついい顔をしてなかったからか、手をつけないまま忘れた作家のひとりになっていた。今では不明を恥じるばかりだが。
それでも、ひょんなことから代表作である本作を今さら手に取る。ああ、でもこれは若い頃に読んでも判らなかっただろうなあ。この年になって読むから、荷風が歩いた世界がカラーで甦る気がするのだ。二・二六事件が起きた昭和11年頃の向島・玉の井を、中の人になれない目線で描いているのだが、実に良い彩りなのだ。なんというか。もっとも、エリートの家に生まれた荷風のこの世捨て人的な書き方を好まない人は少なくないだろう、ああ、僕の親が好まなかったのもこの辺なのかもしれない。
個人的には付録的に描かれている同時期の銀座の描写がまた面白い。向島を描いた作品は複数残っているので、他のも手に取ってみよう。
Posted by ブクログ
永井荷風の代表作にして、文学史上に残る有名作。この作家の作品は、今回がはじめてである。読んでみてまず思ったのは、「これは小説なのだろうか?」ということ。これはべつに批判ではなく、主人公・大江匡(=荷風?)が向島や玉の井の界隈を散策するさまが軽快な筆致で描かれており、まるで日記や随筆を読んでいるような感覚に陥る。お雪との逢瀬など、それなりに起伏はあるものの、それだけといえばそれだけで、話らしい話はあまりないともいえ、そういう意味でも「小説」感は薄い。ただ、さすがにこれだけ名が知れ渡っているのにはやはり理由があり、だからといってつまらないなどということはまったくなく、ありのままを噓偽りなく描き出した(ような)世界観は、素朴で快い感情を与え、ヘタな創作よりもよほど率直におもしろさを嚙みしめることができる。また、当時の風俗などを知ることができるため、そういう点も興味深く楽しみながら読むことができた。
Posted by ブクログ
今から74年前、スカイツリーのお膝元が舞台のお話。
定期的だが、約束もなくふらっとやってくる客。やがてその客はさよならもいわずに来なくなる。来なくなる理由がある。去るものは追わず。
Posted by ブクログ
取材の為に訪れた私娼窟で小説家の大江匡はお雪という女に出会い、やがて足繁く通うようになる。
新潮文庫で最初に読んで、ちょっと分かりにくい感じだったので、すぐに岩波文庫で再読。雰囲気がなんとなく良い感じで好み。当時の東京の様子やちょっとした皮肉のような感じも良いな。また読みたくなるような本でした。
Posted by ブクログ
老境にさしかかった男が、芸者と仲良くなる話。
特別、筋に目をみはる所はなく、男の心境小説とでもいう所か。
端正な文章に魅力があるので読めた。
あとがきがやたら長い。
Posted by ブクログ
特に何が面白かった訳でもないし、言葉も言い回しも聞き慣れない日本語でしたが、最後まで読めた。
なんとも雰囲気のある大人な作品でした。
また落ち着いてじっくり読もうと思う。
Posted by ブクログ
昭和初期の玉乃井(現在の東向島)の私娼窟が舞台で、若い娼婦と壮年の物書き叔父さん(モデル荷風)の小物語。
祖父の育った場所だが、空襲で風情が残ってないのが残念…。
ドブの匂いと蚊の羽音と熱帯夜…憧れはしないが懐かしい…。
Posted by ブクログ
1937年刊行。
永井荷風58歳の作品にして、氏の最高傑作と称される作品です。
この頃は既に作家として文壇上成功し、『あめりか物語』、『ふらんす物語』を代表する名著を生み出した後です。
旺盛な創作活動と、ストイックな江戸期の文人の研究を重ねた後、往年、荷風は、銀座のカフェーに興味を持ち始めます。
このころ流行だった"カフェー"は、現在でいういわゆるカフェではなく、接客サービスを行う女性がいるお酒を提供するお店、つまりは風俗店でした。
夜の街を鮮やかにテラスカフェーは、この頃の荷風の作品に度々登場します。
カフェーに出入りした経験を元にした作品により収入を得た荷風は、東京・向島界隈のサロンに出入りし、本作、濹東綺譚を書き上げます。
濹東綺譚の?の字は、江戸時代の儒学者『林述斎』による造語で、さんずいに墨で、"隅田川"のことを指します。
濹東とは隅田川の東側のことで、荷風は本作を「向島寺町町に遊里の見聞記」をつくり、「墨田堤の東北にあるので、?上となすには少し遠すぎるような気がした」と述べています。
戦前より昭和の中頃まで、この辺りには玉の井という私娼街が存在し、本作は、その玉の井の私娼「お雪」と、小説を生業としている主人公「大江匡」の物語となります。
大江匡は、小説『失踪』の構想を練っており、その舞台を向島あたりに決めた。
6月末のある日に、玉の井を散策していた大江は、急に大雨に降られる。
大江は持ち歩いていた傘を広げるが、そこに浴衣姿の女・お雪が現れ、傘に入ってくる。
誘われるままにお雪の家に上がった大江だが、それをきっかけに大江は、お雪と逢瀬を重ねることになるという展開です。
大江とお雪の出会い、玉の井での日々、そんなある日、大江は、お雪が大江との出会いを起因に境遇を変えようとしている、懶婦か悍婦になろうとしていると考えます。
そして、特に何を告げることもなく、大江はお雪の元を去っていきます。
最終的にお互いの本名すらも告げぬまま出会い、過ごし、別れた二人の関係性は、玉の井という男女の出会いと別れが繰り返される街において健全であり、また同時に物悲しさを感じさせます。
そんな、私娼街ゆえの独特の雰囲気が浮き彫りにされていて、慕情を感じさせる傑作と思いました。
テンポは独特で、特に大きな事件が発生しているわけでもなく、メリハリがあるという内容でもないので、気がつけばページが進んでいる感じですね。
難しい漢字や言い回しが多いため、誰でも読みやすい作品というわけではないのですが、気がつけばその世界に没頭できると思います。
なお、本書中には、東京朝日新聞掲載時の木村荘八氏による挿絵が全て載っています。
この挿絵が本作の魅力を引き上げているという意見も多いです。
実際、作品にマッチしていて、既に失われた街のイメージを情景豊かに蘇らせる素晴らしい挿絵と思いました。
ちなみに私娼街としての玉の井は現存していないですが、その街を散策すると、名残が観察できるとのことです。
機会を見て、濹東綺譚の足跡を辿ってみたいと思いました。
Posted by ブクログ
わたしには、主人公の気持ちが分からなかった…
読むにつれて、本心じゃないことを、言い訳してるんじゃないかって思った
わたしがまだ、お雪さんくらいの年齢だから?
恋愛に年齢は関係ないと言われるようになったのが、最近だから?
話が進むにつれて、切なかった
切ないけど、しょうがないんだって、思える終わり方だった
いい時代?と捉えるかは人それぞれだけど
行けるんだったら行ってみたい
戦前の昭和の空気感が伝わる美しい文章だと思った
Posted by ブクログ
短編で読みやすく、素敵な終わり方。挿絵も 小説のイメージを 壊さず、自分のなかで 映像化しやすかった
再読する時は 江藤淳「荷風散策」を読んでからにする
Posted by ブクログ
1930年代、戦間期の風俗がよくわかる
玉の井の生活音や匂い、蚊の喧騒から艶やかな睦言まで聞こえてくるように香り立つ文章である。
濹東綺譚を読んだ私は、見たこともない玉の井の光景を脳内に再建してはそれに懸想する。
1992年の映画版『濹東綺譚』もお勧め
お雪(墨田ユキ)の軽やかな美しさに溜息を禁じえない
Posted by ブクログ
日記を除けば、もしかしたら初荷風だったかもしれない。読み始めのころは、うっかり日ごろ愛読している鏡花と比較してしまい(ばかなことを!)、「あまり好きではないな」などと不遜にも鼻を鳴らしたものである。だがページを繰っていけば、シニカルであると同時に、捨て置かれない愛すべき愚直さともいうべきレンズの存在に気付く。時代に置いて行かれて稀少になってしまった「襤褸の布」の美しい縫い取りを見出し、そこにおいて「二重人格の一面」、自分に期待されている姿を守ろうとする姿勢。『美』というもののイメージ、向かい方を再考させられる読書だった。
Posted by ブクログ
1936年(昭和11年)頃の濹東(造語。墨田堤の東北)。中年作家と私娼との出会いと別れの物語。
淡く儚い、まるで桜のような作品で、一文一文がそよそよと舞い散る花びらのようだった。
挿絵がまた何とも!
Posted by ブクログ
恥ずかしながら、永井荷風の作品を初めて読んだ。天気や場所を写す文章が秀逸。
主人公とお雪の儚い交わりを、恋愛と呼んでいいのか。二人の心情や、歯がゆい結末、全てが、大人の小説といった感じ。
(2015.1)
Posted by ブクログ
小説家・大江が隅田川の東岸界隈(濹東)で偶然出会った「売笑婦」に惚れ込んで、自らの身分を隠して通い詰める。
主人公に対する女の心情の細やかな変化とか、それを感じて切ない疚しさを覚えはじめる主人公の心理描写とかが珠玉。
永井荷風は本当に女が好きだったんだろうと思う。谷崎といい、本当の女好きが書く文章は艶があってキラキラしている。志賀直哉にはそこが欠けている。
Posted by ブクログ
『つゆのあとさき』が予想外に良かったので、永井荷風の代表作といわれるこちらを。
1937年(昭和12年)の作品。
初老の作家が玉の井の私娼窟で若い女と出会い、彼女に過去の幻影を見る、という「男の妄想」みたいな物語。
銀座のカフェーの女給と比較して、お雪はまだ純朴であると言っているあたり、さんざんカフェーで遊んできたお前が言うなという感じですね。
芸者を見受けしたこともある荷風が、それを彼女たちのせいにして「失敗だった」というのもまた。
(126ページ)
わたくしは若い時から脂粉の巷に入り込み、今にその非を悟らない。或時は事情に捉われて、彼女たちの望むがまま家に納れて箕帚を把らせたこともあったが、しかしそれは皆失敗に終った。彼女たちは一たびその境遇を替え、その身を卑しいものではないと思うようになれば、一変して教うべからざる懶婦となるか、しからざれば制御しがたい悍婦になってしまうからであった。
ただ、作家が過去の幻影を見ているのは、お雪だけでなく、銀座あたりでは失われてしまった江戸の風情を玉の井の私娼窟に投影しているんですよね。汚いドブ川が流れる売春宿にこそ、心を救われる美しさがあるという情景が描かれています。
(118ページ)
いつもの溝際に、いつもの無花果と、いつもの葡萄、しかしその葉の茂りはすこし薄くなって、いくら暑くとも、いくら世間から見捨てられたこの路地にも、秋は知らず知らず夜ごとに深くなって行く事を知らせていた。
岩波文庫版では新聞連載時の木村荘八の挿絵が掲載されているんですが、これを見ると当時の向島界隈、人通りも少ないし、めちゃくちゃ暗い。「ラビラント」に迷いこむような、橋を渡ると異世界みたいな感じだったのかなと。
「あとがき」にあたる「作後贅言」に、帚葉翁(校正家・神代種亮のことだそうです)とともに銀座をうろついた日々のことが書かれているのが個人的には本文以上に興味深かった。
特に、酔った男たちが他党を組んで銀座を歩く「無遠慮な実例」として早慶戦の後の慶應の学生とOBをあげているのはおもしろい。
荷風は慶應の教授となり『三田文学』を創刊してるんですが、「早く辞めてよかった」とまで言っている。
(165ページ)
その実例によって考察すれば、昭和二年初めて三田の書生及三田出身の紳士が野球見物の帰り群をなし隊をつくって銀座通を襲った事を看過するわけには行かない。
(166ページ)
そのころ、わたくしは経営者中の一人から、三田の文学も稲門に負けないように尽力していただきたいと言われて、その愚劣なるに眉を顰めたこともあった。彼等は文学芸術を以て野球と同一に視ていたのであった。
また、「銀座のカフェーは夏になると暑い紅茶と珈琲を出さない」、これは「紅茶と珈琲本来の香気を失ってしまうものである」と書かれているのも、カフェの日本史を追っている私としては気になるところ。
戦争をはさんで一度全て焼失しているんですけれど、昭和のはじめの銀座がすでにここまでモダンだったことに驚きますし、現在まで残っているもの、消えてしまったものに心惹かれます。
『荷風の昭和』という本も出ているので読んでみたいです。
以下、引用。
8
何でもその頃非常に評判の好いものであったというが、見ればモオパッサンの短篇小説を脚色したものであったので、わたくしはあれなら写真を看るにも及ばない。原作をよめばいい。その方がもっと面白いと言ったことがあった。
29
小説をつくる時、わたくしの最も興を催すのは、作中人物の生活及び事件が開展する場所の選択と、その描写とである。わたくしはしばしば人物の性格よりも背景の描写に重きを置き過るような誤に陥ったこともあった。
72
このような辺鄙な新開町に在ってすら、時勢に伴う盛衰の変は免れないのであった。いわんや人の一生においてをや。
一体この盛場では、組合の規則で女が窓に坐る午後四時から蓄音機やラディオを禁じ、また三味線をも弾かせないという事で。雨のしとしとと降る晩など、ふけるにつれて、ちょいとちょいとの声も途絶えがちになると、家の内外に群り鳴く蚊の声が耳立って、いかにも場末の裏町らしい侘しさが感じられて来る。それも昭和現代の陋巷ではなくして、鶴屋南北の狂言などから感じられる過去の世の裏淋しい情味である。
75
そのころには男を「彼氏」といい、女を「彼女」とよび、二人の侘住居を「愛の巣」などという言葉はまだ作り出されていなかった。馴染の女は「君」でも、「あんた」でもなく、ただ「お前」といえばよかった。亭主は女房を「おッかア」女房は亭主を「ちゃん」と呼ぶものもあった。
溝の蚊の唸る声は今日にあっても隅田川を東に渡って行けば、どうやら三十年前のむかしと変りなく、場末の町のわびしさを歌っているのに、東京の言葉はこの十年の間に変れば実に変ったものである。
103
女子がアッパッパと称する下着一枚で戸外に出歩く奇風については、友人佐藤慵斎君の文集に載っているその論に譲って、ここには言うまい。
104
この道の片側に並んだ商店の後一帯の路地はいわゆる第一部と名付けられたラビラントで。
106
言葉には少しも地方の訛りがないが、その顔立と全身の皮膚の綺麗なことは、東京もしくは東京近在の女でない事を証明しているので、わたくしは遠い地方から東京に移住した人たちの間に生れた娘と見ている。性質は快活で、現在の境涯をも深く悲しんではいない。むしろこの境遇から得た経験を資本にして、どうにか身の振方をつけようと考えているだけの元気もあれば才智もあるらしい。男に対する感情も、わたくしの口から出まかせに言う事すら、そのまま疑わずに聴き取るところを見ても、まだ全く荒みきってしまわない事は確かである。わたくしをして、そう思わせるだけでも、銀座や上野辺の広いカフエーに長年働いている女給などに比較したなら、お雪の如きは正直とも醇朴とも言える。まだまだ真面目な処があるとも言えるであろう。
117
残暑の日盛り蔵書を曝すのと、風のない初冬の午後庭の落葉を焚く事とは、わたくしが独居の生涯の最も娯しみとしている処である。
118
いつもの溝際に、いつもの無花果と、いつもの葡萄、しかしその葉の茂りはすこし薄くなって、いくら暑くとも、いくら世間から見捨てられたこの路地にも、秋は知らず知らず夜ごとに深くなって行く事を知らせていた。
126
わたくしは若い時から脂粉の巷に入り込み、今にその非を悟らない。或時は事情に捉われて、彼女たちの望むがまま家に納れて箕帚を把らせたこともあったが、しかしそれは皆失敗に終った。彼女たちは一たびその境遇を替え、その身を卑しいものではないと思うようになれば、一変して教うべからざる懶婦となるか、しからざれば制御しがたい悍婦になってしまうからであった。
132
溝の角の無花果と葡萄の葉は、廃屋のかげになった闇の中にがさがさと、既に枯れたような響を立てている。表通りへ出ると、俄に広く打仰がれる空には銀河の影のみならず、星という星の光のいかにも森然として冴渡っているのが、言知れぬさびしさを思わせる折も折、人家のうしろを走り過る電車の音と警笛の響とが烈風にかすれて、更にこの寂しさを深くさせる。
136
わたくしはとにかくもう一度お雪をたずねて、旅行をするからとか何とか言って別れよう。その方が鼬の道を切ったような事をするよりは、どうせ行かないものなら、お雪の方でも後々の心持がわるくないであろう。
わたくしは散歩したいにもその処がない。尋ねたいと思う人は皆先に死んでしまった。風流絃歌の巷も今では音楽家と舞踊家との名を争う処で、年寄が茶を啜ってむかしを語る処ではない。わたくしは図らずもこのラビラントの一隅に於いて浮世半日の閑を偸む事を知った。
140
四五日過ると季節は彼岸に入った。空模様は俄に変って、南風に追われる暗雲の低く空を行き過る時、大粒の雨は礫を打つように降りそそいでは忽ち歇む。夜を徹して小息みもなく降りつづくこともあった。わたくしが庭の葉雞頭は根もとから倒れた。萩の花は葉と共に振り落され、既に実を結んだ秋海堂の紅い茎は大きな葉を剝がれて、痛ましく色が褪せてしまった。濡れた木の葉と枯枝とに狼藉としている庭のさまを生き残った法師蟬と蟋蟀とが雨の霽れま霽れまに嘆き弔うばかり。
156
またしても乗換の車を待つため、白木屋の店頭に佇立むと、店の窓には、黄色の荒原の処々に火の手の上っている背景を飾り、毛衣で包んだ兵士の人形を幾個となく立て並べてあったのが、これまたわたくしの眼を驚した。
157
銀座通に柳の苗木が植えつけられ、両側の歩道に朱骨の雪洞が造り花の間に連ねともされ、銀座の町が宛ら田舎芝居の仲の町の場というような光景を呈し出したのは、次の年の四月ごろであった。
158
霞ヶ関の義挙が世を震動させたのは柳まつりの翌月であった。
銀座通の裏表に処を択ばず蔓衍したカフエーが最も繁昌し、また最も淫卑に流れたのは、今日から回顧すると、この年昭和七年の夏から翌年にかけてのことであった。
いずこのカフエーでも女給を二、三人店口に立たせて通行の人を呼び込ませる。裏通のバアに働いている女たちは必ず二人ずつ一組になって、表通を歩み、散歩の人の袖を引いたり目まぜで誘ったりする。商店の飾付を見る振りをして立留り、男一人の客と見れば呼びかけて寄添い、一緒にお茶を飲みに行こうと云う怪し気な女もあった。
百貨店でも売子の外に大勢の女を雇入れ、海水浴衣を着せて、女の肌身を衆人の目前に曝させるようにしたのも、たしかこの年から初まったのである。裏通の角々にはヨウヨウとか呼ぶ玩具を売る小娘の姿を見ぬ事はなかった。
わたくしは若い女達が、その雇主の命令に従って、その顔とその姿とを、あるいは店先、あるいは街上に曝すことを恥とも思わず、中には往々得意らしいのを見て、公娼の張店が復興したような思をなした。そして、いつの世になっても、女を使役するには変らない一定の方法がある事を知ったような気がした。
159
月島小学校の女教師が夜になると銀座一丁目裏のラバサンというカフエーに女給となって現れ、売春の傍枕さがしをして捕えられた事が新聞の紙上を賑した。それはやはりこの年昭和七年の冬であった。
162
アイスクリームの如きは帰朝以来今日まで一度も口にした事がないので、もし銀座を歩く人の中で銀座のアイスクリームを知らない人があるとしたなら、それは恐らくわたくし一人のみであろう。
銀座通のカフエーで夏になって熱い茶と珈琲とをつくる店は殆ど無い。西洋料理店の中でも熱い珈琲をつくらない店さえある。紅茶と珈琲とはその味の半は香気にあるので、もし氷で冷却すれば香気は全く消失せてしまう。しかるに現代の東京人は冷却して香気のないものでなければこれを口にしない。
163
紅茶も珈琲も共に洋人の持ち来ったもので、洋人は今日といえどもその冷却せられたものを飲まない。これを以て見れば紅茶珈琲の本来の特性は暖きにあるや明である。今これを邦俗に従って冷却するのは本来の特性を破損するもので、それはあたかも外国の小説演劇を邦語に訳す時土地人物の名を邦化するものと相似ている。わたくしは何事によらず物の本性を傷けることを悲しむ傾があるから、外国の文学は外国のものとしてこれを鑑賞したいと思うように、その飲食物の如きもまた邦人の手によって塩梅せられたものを好まないのである。
万茶亭は多年南米の殖民地に働いていた九州人が珈琲を売るために開いた店だという事で、夏でも暖い珈琲を売っていた。
165
飲食店の硝子窓に飲食物の模型を並べ、これに価格をつけて置くようになったのも、けだし已むことを得ざる結果で、これまたその範を大阪に則ったものだという事である。
165
わたくしはこの不体裁にして甚だ無遠慮な行動の原因するところを詳にしないのであるが、その実例によって考察すれば、昭和二年初めて三田の書生及三田出身の紳士が野球見物の帰り群をなし隊をつくって銀座通を襲った事を看過するわけには行かない。
166
かつてわたくしも明治大正の交、乏を承けて三田に教鞭を把った事もあったが、早く辞して去ったのは幸であった。そのころ、わたくしは経営者中の一人から、三田の文学も稲門に負けないように尽力していただきたいと言われて、その愚劣なるに眉を顰めたこともあった。彼等は文学芸術を以て野球と同一に視ていたのであった。
169
「そうかね、しかし肉体を露出する事から見れば、浴衣の方があぶないじゃないですか。女の洋装は胸の方が露出されているが腰から下は大丈夫だ。浴衣はこれとは反対なものですぜ。」
170
「そういえば女の洋服は震災時分にはまだ珍らしい方だったね。今では、こうして往来を見ていると、通る女の半分は洋服になったね。カフエー、タイガーの女給も二、三年前から夏は洋服が多くなったようですね。」
170
「踊も浴衣ならいいという流儀なら、洋装ははやらなくなるかも知れませんね。しかし今の女は洋装をよしたからといって、日本服を着こなすようにはならないと思いますよ。一度崩れてしまったら、二度好くなることはないですからね。芝居でも遊芸でもそうでしょう。文章だってそうじゃないですか。勝手次第にくずしてしまったら、直そうと思ったって、もう直りはしないですよ。」
171
この附近の酒場でわたくしがその名を記憶しているのは、万茶亭の向側にはオデッサ、スカール、サイセリヤ、こなたの側にはムウランルージュ、シルバースリッパ、ラインゴルトなど。また万茶亭と素人屋との間の路地裏にはルパン、スリイシスタ、シラムレンなど名づけられたものがあった。今もなお在るかも知れない。
179
今まで、どうかすると、一筋二筋と糸のように残って聞えた虫の音も全く絶えてしまった。耳にひびく物音は悉く昨日のものとは変って、今年の秋は名残りもなく過ぎ去ってしまったのだと思うと、寝苦しかった残暑の夜の夢も涼しい月の夜に眺めた景色も、何やら遠いむかしの事であったような気がして来る……年々見るところの景物に変りはない。年々変らない景物に対して、心に思うところの感懐もまた変りはないのである。
Posted by ブクログ
昭和初期を舞台にした、老いた小説家の男性と娼婦として生きる女性の淡い恋愛物語
そう、恋愛物語、、の筈ですが、ただ一時すれ違っただけと言っても良い間柄で、別れ方についても、いくら何でも、もう少しましなやり方があったのでは、、と考えてしまいます。
当時の路地裏の雑沓の描写が、その匂いまで伝わってくる気がするほど鮮やかでした。また明治、大正、昭和の激動の時代と共に移り変わる価値観についても多く触れられており、「自分の祖父母世代が若い時は年配からこう思われてたのか」などと考えながら興味深く読んでいました。
Posted by ブクログ
向島を舞台にした小説の中で、向島を舞台にしようと取材している老小説家が、やはり若い女性と交流する筋の小説を書いているという、作中作のような構造を持っている。というより、登場するあらゆる人物はやはり作者荷風自身の像なのであって、正直なところ小説というより、随筆に近いといっていいのではないかと思う。「小説」とする必要性はよくわからないようにも思ったが、それはともかくとして、品格があってすらすらと余裕のある文体は、やはり当時の一流の作家の力量のなせるものだと感じた。恥ずかしいことに荷風先生の作品は他に読んでいないが、おそらく、私が内田百けん先生に対して抱いている感想と同様、この方に関しては小説よりも随筆を得意としているのではないかと感じた。
また、物語の筋などより、舞台とする場所の選択やその描写にこそ力を入れることによって、劇的な展開に匹敵する感興を読者に起こさせることのできるという、荷風の理論も面白く感じた(理解が間違っているのかもしれないが)。
Posted by ブクログ
東京の下町を夜歩きする話。
表紙のあらすじだと、私娼のお雪との話が主題にように見えるが、どちらかというとそういった印象を持った。
第二次世界大戦が起こる三年前に書かれた話で、当時の町の様子がよくわかる。話の最後の方に書いてある、世の中に対する批評があまり今と変わらなくておかしい。
永井荷風はよく町の中を彷徨っていたらしい。解説に紹介されていた、永井荷風の日記「断腸亭日乗」も読んでみようと思った。
Posted by ブクログ
川端康成の「雪国」に似ている。
今に生きる私の感覚からすると、昭和初期の匂いのする場末の私娼と初老の私の話。
初老の私は作家、取材に行った先で私娼のお雪と知り合う。その彼が平凡な人生を生きてきた初老の男性が退職金を持って、かつての女中の元に出奔する話を書く。そして、さらに著者の永井荷風がいる三重構造で不思議感はある。
職業柄男性が訪れ立ち去る女性なのに、自分との馴れ初めを覚えていることから自分を好きではないかと勘繰るところなど男性はいつの時代も変わらないと思った。それに対して女性側も最終的には結婚を匂わせるところも変わらない。男女とは、いつになっても進化しないものなのかもしれない。
印象的だったのが、そういう話をするときに、いつもは愛嬌に見えるえくぼが作った皺に見えるシーン。
結局、最終的に、結婚の匂いが漂いだしてから私はお雪の元に通わなくなる。結婚する気もなく通った自分、その気持ちを詫びたいと思いながらできぬ自分をお雪の気持ちを持て遊んだ悪者と感じるシーンがあるが、これも男性特有の勘違いではないかと思う。時代の違いはあるかもしれないが、結局、こういう職業を選ぶ女性は誰にでも思わせぶりな態度をとるだけで、「あの客、来なくなったわね」位しか思ってない可能性が高いのではないかと思った。
Posted by ブクログ
社会人としてはダメなボンボンだった匂いしかしないけど、じっくりと洗練された趣味人だったのだなとは思う。
あまり同調できなかったが、ある種の深い美しさは感じた。
Posted by ブクログ
この作品に描かれる東京は関東大震災後の風情であるから、もう江戸はほとんど残っていない。ここには、日中戦争勃発前の息苦しい世相が見られると同時に、主人公と私娼お雪との交情には心温まるものを感じる。現在はこの息苦しさだけが台頭しつつあるようだ。
Posted by ブクログ
濡れ場が全く描かれていなくても、行間から湿っぽいエロスが立ち上る。爺さんが若い女にモテてドヤァっていう顔もついでに立ち上る。背徳的なヨロコンデルっていう感情を、如何に婉曲に表現するかに腐心しているように見えた。小難しく書くなエロ親父と言いたくもなる。