あらすじ
病気じゃないけど、体力がない。労働する元気も恋愛する元気もない――。
SNSで「虚弱エッセイ」が話題沸騰の著者による
「虚弱体質」のリアルをつづる、新世代のサバイバル・エッセイ!
・21歳で身体にガタがきた
・仕事がないからじゃなくて、体力がないからお金がない
・眼鏡をかけたら不眠症が治った
・世界の中心が膝になった
・そもそも本当に虚弱なのか
・面前DVと場面緘黙症
・愛よりも健康が欲しい
・生理のない女になりたい
・ずっとスタートラインを目指している
ほか
感情タグBEST3
Posted by ブクログ
絶対に終電を逃さない女さん(以下、終電さん)の『虚弱に生きる』を読んだ。
「虚弱エッセイ」という、今までにないジャンルのエッセイである。
いや、まったくなかったわけではないのかもしれない。私はいろんな人のエッセイをちょこちょこ読むが、中年以上の文筆家の人などは、一冊のなかに何度かは体調不良に関するエピソードが出てくる。
ただそれはあくまで、デフォルトで平均的な健康さを有している人が、時たま自分の身に起こる体調不良を綴っている、という文脈だ。
終電さんのように、デフォルトで「虚弱」が搭載されてしまっている人が、日々のあれこれをどう乗りこなしているのか、というのとは確実に文脈が異なっている。
この本が革命だと思うのは世の中に当然のように蔓延しているエイブリズムへの抗いだと思うからだ。
エイブリズムの根底には「健康=完全な状態」という見方があり、疾患や障がいを「不健康」や「欠陥」とみなし、障がい者がその状態のままでも幸福や充実した生活を送る権利を否定したり、軽視したりすることにつながる。
虚弱であることでこれだけ食事や運動や通院をして自分の体調に気を配らねばならないのかといえば、それは社会のデザインがそもそも健康である人向けだからだ。 公共交通機関、自家用車、徒歩、自転車などで出勤ができる人、衆人環視に耐えうる人、1日8時間、週5日働けて、週の休みはだいたい2日ほどで気分転換も含めた気力と体力の回復ができる人などなど。
求められることが多いし、それができる人以外は普通ではない、欠陥があり、賃金や福利厚生も充分にする必要がないと判断される。
だからそうしなくても済むような方法で生きるためのお金を稼がねばならない、がそれも簡単なことではない。 終電さんのように金銭に換えられるほど価値がある文章や絵やモノを創造できる人ばかりではない。
これが、たとえば勤務が週5日でも1日の勤務時間は6時間だとか、出勤や登校の時間を1時間ずらせるとか、1日8時間、週5日勤務だとしても1日のどこかで15分ほど好きなタイミングで横になっていい時間があるとか、週に1日はリモートでいいとか、オフィスに仕切りをつけるとか。
そういうちょっとしたゆとりで、終電さんのような働き方ではなくとも、今よりも楽に働ける人はいるのではないか。
すべてが改善した、健康になったとはいかなくとも日々の苦痛が少し和らぐのではないか。
『虚弱に生きる』の感想をディグっていてもそう思わずにはいられない。
この社会が、あまりにも一本調子な働き方しか想定していないから、特定の人たちのためにしかデザインされていないから、そこにどうにか自分を合わせなきゃいけない、そうじゃないと生きられない人ががんばって、がんばって、がんばりまくっているのではないか。
終電さんのように健康になりたいと努力する人たちのことを否定したいのではなく、終電さんも書いていたように、少ない可処分時間と可処分所得を注ぎ込んでまで健康を目指すためにあれこれとしなくても、何となく生きていける、働けるほうが、それこそ健康になれそうではないかと思うのだ。
Posted by ブクログ
私もかなりの虚弱体質&体力がない&毎日体調を崩している、永遠にスタートラインを目指している人間なので非常に共感しながら読みました。
元気がないからそもそも生きることや仕事のハードルが高すぎて、毎日がサバイバルなの、わかります…。
Posted by ブクログ
虚弱対談がSNSで流れてきた時に、共感を覚えすぎていたので、書籍化されるのを知って刊行を楽しみにしていた
奇しくも久々の通勤でもらってきたインフルエンザで床に伏せている時に読んだため、作者の様々な不調に対して、より親近感を感じることができた(動きたいのに動けない、可処分時間が少ない など…)
作者は虚弱さとの戦いの結果、バリバリ働くことなどに対して折り合いをつけ、目指したい姿や優先すべきことを自分で決めようとしているように感じる
SNSや実社会などにおいては、体力があり、家庭を持っており、社交的で…などの姿が良いものとされるように感じてしまうが、そうしたくてもできない人に優しく寄り添うエッセイだった
Posted by ブクログ
著者の「虚弱」と「健康」という二つのテーマをとことん深掘りしたエッセイ集。
私自身も「虚弱」を自覚しており生きづらくて仕方がないのだが、たまたま男性の体で生まれてきたため、身体面での虚弱さは著者よりは多少マシなのかもしれない。もし女性の体に生まれてきていたら、著者の抱える生きづらさや経験を、より深く身をもってなぞるように生きていただろうな…と思う。
梅崎春生「怠惰の美徳」、pha「パーティーが終わって、中年が始まる」といった著作を好んで読んできたことも重なり、すごく共感できる内容だった。
一方で、以下の健康ルーティンに関する記述などからは、同じようなことをしているのに、ストイックな性格の著者と、怠惰で呑気な性格の自分との間で対照的な向き合い方が垣間見えたことも興味深かった。
「毎日変わり映えのしない鶏胸肉を食べ、ラジオ体操と筋トレをし、カロリー計算と体重・体脂肪測定をし、湯船に浸かっている。何一つ楽しくない。全部めんどくさい。これで劇的に健康になれればまだやりがいもあるだろうに、微々たる効果しかない。そうしたストレスを解消する時間もない」
私も著者とよく似た生活を送っているが、食事管理アプリなどはゲーム感覚でわりと楽しみながら続けている。無理するとすぐ疲れてしまい、そうしないとやってられないから。効果の大小にかかわらず、「虚弱な体」という限られたリソースの中で試行錯誤して遊ぶこと自体がもはや趣味になっているかもしれないが。
私は努力が嫌いだし、そもそも努力するための体力も気力も無い気がする。どうなんだろう。
また、著者は「体力がない人のほうが意外と長生きすると思いますよ、などと声をかけてもらうことがある」とのこと。梅崎春生も医者から同様の言葉をかけられていたらしいし、我々虚弱族にもワンチャン希望はあるのかもしれない。まあ梅崎は極度のアル中で早死にしちゃったんだけど。
虚弱な自分を否定するのではなく、この体と真摯に向き合って生きていきたいと思える一冊。
Posted by ブクログ
「虚弱体質の生き方」というジャンルでエッセイを出版してくださったことにまず感謝。
私も自身のことを「虚弱」だと思って読み始めたが、筆者の「虚弱」っぷりが凄すぎて面食らってしまった。
構成のせいか、文章量の割に情報量が少なかったし、エッセイとしても個々のエピソードの掘り下げが中途半端な印象だった。
とはいえ、「虚弱を改善しようと運動・入浴・食事管理を習慣化したらメンタルはものすごく安定した」という部分が非常に励みになったので、出会えてよかった本。
Posted by ブクログ
普段、エッセイは読まないのですが、私も著者と同じく虚弱体質なので、虚弱な人がどうやってこの世の中を生き抜いているのか興味があり、読んでみました。
共感できる内容が多々ありました。
虚弱だと人よりも休息をとらないと生きていけないので、本当に時間が足りないです。
健康で元気な人にも世の中には色んな人がいることを知ってもらうために広く読んでいただきたいです。
Posted by ブクログ
エッセイを書くひとを尊敬している。
どう繕ったって、どう自然にしようとしたって
時折垣間見える本質的な部分が
見え隠れするものだと思うから。
書いてくれてありがとう!
まさしくあなたにしかできない仕事です。
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卓球がうまくなってうれしかったのくだり
ちょっと泣きそうになった。
よかったね!!!と。
なにもしなくても「健康」なひとと、
「健康」でいるための努力が必要なひと。
それぞれ悩みはあっていつだって
ないものねだりなんだろうけど切実だな〜
たとえ効果が薄れてきてもそこでやめずに、
これをやってるからこの程度で済んでいるんだと
いう底上げしてるのもかっこいい。
第二章で試したこと、
詳しく具体的には書いていないのが
健康指南本じゃなくていいなと思った。
藁にもすがりたいひとたくさんいるだろうから。
結婚や子育てのくだり、
特に結婚の話はちょっとだけヒリリとしたな。
健康への執着。
これまで支払ってきた苦労へのコスト。
「体力をつける体力がない」、名文だったな。
涙ぐましい努力をしてでも
健康を目指しているほうが楽という話。
こころ持ちの大切さを感じた。
Posted by ブクログ
共感しきりの虚弱エッセイ。そうそう、虚弱ってハンデだよね…。一日数時間しか働けない、お出かけは週1程度、健康にいるための活動で時間を取られる…などなど、深く頷く。
著者は私より大変そうだし、年代が違うので軽々しく「わかるー!」とは言えないけれど、私も10代から薄々「健康だけど人より体力ない…?」と思い、20代前半で確信を持ったクチなので、「まだ若いのに」という周囲の無理解さにうっすら傷つくのは、大変よくわかります。
ほんと、自分の身体に合わせた活動量で生きていくしかないね、、多数派ではないけれど、自分だけじゃない。そのことに気づかせてくれてありがとう。
あと装丁が素敵。昭和レトロ(か分からんけど)な色合い、デザインで。
Posted by ブクログ
私も本当に体力がなくて、体調のいい日の方が少ないような人生を送っているため、共感できる本なのではと思っていました、が…
思っていた以上に壮絶で、健康のために時間も労力もかけて本気で挑んでいらっしゃって、驚きの方が勝った。
私はしんどいなあと思いながらもいわゆる“普通”に就職し、働けているけれど、もちろんそういう働き方ができない人もたくさんいる。じゃあそういう人はどう生きているのか、そのひとつの例をかなり赤裸々に語ってくれている。
元気に働ける時間が少ない中でのフリーランスのお金事情や、障害者年金、就労のあれこれなど、まだまだ私には想像力語りていなかったなと思わされた。
ままならない自分の身体ととことん向き合い、試行錯誤を続ける終電さんは、きっとご自身の身体の声を他の人よりもたくさんたくさん聞いていると思う。勇気づけられると同時に、何かそれが報われる日が来ればいいのにな、と勝手に思ってしまった。
身体の強さって不平等だなぁと思う。
でも、だからこそ生まれた本。
虚弱を抱えるみんなで励まし合いながら、なんとかサバイブしていきたい。
Posted by ブクログ
資本主義の限界、働くことと貨幣が必要不可欠である社会の脆さ、を再認識した一冊とでもいえようか。
彼女が勇気を振り絞って書き留めた彼女の現実、それをできる限り受け止めようと努力した訳だが、やはりどこかからふつふつと現れるのは、その現実を素直に読み進められない自分。その事実に、勝手に、もの凄く落ち込んだ。
虚弱であることを強制的に叩きつけられた人を、同時代を生きる社会の構成員として当たり前に支えたいと願う一方で、(とんでもなく底意地の悪い言い方をすれば)健康体として生まれてしまった自分は、働き、稼ぎ、納めることしか歓迎されないのだろうか、と思えてしまえなくもないのだ。働かない理由も、社会から離脱する理由もない健康な自分には、週5日フルタイムで動けるまで働き続けるしかないのでは、と。この思考は危険だろうか。歪んでいるだろうか。
健康だができるなら極力働きたくない身としては、極論、本当の意味で「働きたい人だけが働ける」社会に早いところ到達してしまわないかと思うわけだが、それは怠惰、ないしは責任の放棄でしかないのだろうか。
これからの社会の在り方について、是非建設的な話し合いを進めていきたい。
Posted by ブクログ
理由のわからない、病名のつかない不調というのは不安でしかない。
虚弱というワードが最適解とも思える。
自分は割と体力があった方だから作者の悩み、苦しみに完全に共感…とまではいかないが、悩み苦しんでいるからこそ維持するために継続しているラジオ体操や食生活、私のように健康がデフォルトになっている人が健康を失って初めて取組むことを20代のうちから実施しているというだけですごいと思う。
これは凄まじい自己分析と努力のエッセイ。
今は他人事のように読んでいる人も、いつかわかる時が来るのかもしれない。
そして虚弱の人がいるという事実は周りと比べて普通を求める日本の在り方に一石を投じたような気がする。