あらすじ
結婚して十年。夫婦関係はとうに冷めていた。夫の浮気に気づいても理津子は超然としていられるはずだった(「妻の超然」)。九州男児なのに下戸の僕は、NPO活動を強要する酒好きの彼女に罵倒される(「下戸の超然」)。腫瘍手術を控えた女性作家の胸をよぎる自らの来歴。「文学の終焉」を予兆する凶悪な問題作(「作家の超然」)。三つの都市を舞台に「超然」とは何かを問う傑作中編集。
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Posted by ブクログ
2016年、11冊目です。
絲山秋子の小説です。
彼女の作品は、過去「沖でまつ」「逃亡くそたわけ」などを読みました。
我々のそぐそばにある日常を舞台に、僅かに周りの人との間にある齟齬が、
歩む道筋に大きな影響を与えていく。でもそこでたどり着いた先は、
渇して無意味なものでなく、少し心が軽くなる着地点にたどり着きます。
「妻の超然」「下戸の超然」「作家の超然」の3つの小編から成っています。
「妻の超然」では、50歳前後の子供のない夫婦で、夫が若い女と浮気を
している。妻は気付いていて、夫との関係を”超然”と捉えて知らないふりをしている。
しかし、最後に、超然といって相手の考えていることを考えることをせず、
同じ時間を生きようとしない自分の生き方は、”超然”ではなく、”怠慢”なのではと気づく。
確かに、超然や諦観は、ある種の無関心から成り立っている精神状態だと思う。
”超然”という言葉の解釈やその役割は多様だが、思惟するにはいいきっかけだ。
「下戸の超然」は、お酒を飲めな男性の生き方を、恋人との出会いと別れの流れの中で描いている。
私自身も”下戸”であるため、作中の主人公の心境には、共感できるところも多い。
会社生活で苦労した点も類似している。私の場合は、加齢による病気もいくつかあり、
多種類の処方薬を服用するようになったので、飲み会の席でも、
”酒飲んだら死んでしまう”といって、お酒に口をつけなくて済むようになりました。
主人公は、下戸であるが、彼女が酒を飲むことには全く抵抗がない。
それを非難することもしない。彼女は積極的なボランティア活動をしており、
下戸の彼を引きだそうとするが、彼自身は、そういったことに感心も無く、彼女に合わせようとも思わない。
この辺りが下戸の超然立つところなのだろが、
「恵まれない子どもたちに幸せなバケーションをプレゼントする」という彼女の参加する
ボランティアの目的には文句のつけようがない。
けれども「疑いようのないこと」というものに僕はなにかうつろなものを感じてしまうのだ。
これが、主人公の下戸である彼の超然なのだと感じた。
最後の「作家の超然」は、主人公である作家が、首の腫瘍を摘出する手術の前後で考える
人間関係や社会と自分との関係性を描いている。
ちょうど私も手術直前に読んだので、なにか他人事のような気がしませんでした。
こんな一説がある「今は、病気がおまえを生かしている」。
まさに、自分でなく、これからは”病気が自分というものよりも優先されるものになっていくんだ。
まさに超然かもしれないですね。
おわり
Posted by ブクログ
芥川賞作家の作品だと思いました。超然というのは手をこまねいて、すべてを見過ごすこと。栄えるものも、滅びるものも。「妻の超然」「下戸の超然」「作家の超然」の3話が収録されています。私は「作家の超然」が気に入りました。絲山秋子「妻の超然」、2013.3発行(文庫)、2010.9刊行。
Posted by ブクログ
「妻の超然」「下戸の超然」「作家の超然」の三篇からなる中編集。
恥ずかしながら私、「超然」という言葉を知らなくて。
読む前に意味を調べました。
で、「超然」とは、『物事にこだわらず、平然としているさま。世俗に関与しないさま』という意味とのこと。
夫の浮気に超然といようとする妻。
超然とした態度を恋人に罵倒される男。
そして病気に対して人生に対して超然としている作家。
それぞれがそれぞれの問題に対して、どこか悟りを開いたような、一種諦めのような、そんな状況が描かれています。
でも、なんだろうなー。
それって、自分の本当の感情を抑えようとしてるだけなんじゃないかなー。なんてことを、読みながら思ったりしました。
私は、夫が浮気したら怒り狂うだろうし、恋人から理不尽な要求をされたら喧嘩になるだろうし、病気になれば毎日ほろほろと泣いて過ごすだろうし。
それが、一般的な人間の素直な感情だと思います。
でも、ふと思ったのは、感情を露わにして生きて行くのは楽なんだよなー。ということ。
「下戸の超然」の彼女のように、そして怒り狂い喧嘩をしほろほろ泣く私のように。
超然でいること。つまり何事にも無関心でいることって、多分、きっと、すごくエネルギーが必要なことなんですよね。
無関心でいつつ、でもどこかで期待もしつつ、だけどその期待を裏切られた時、大きな傷を負わないように、心のバランスを保っている。それが「超然」なのかなー。
というのが、絲山作品三作目の私の解釈でした。
それにしても「作家の超然」はすごく難しかったー。
勉強して出直してきます