あらすじ
台湾で生まれ,日本で育った作家が,複数の言語のはざまに立ち,「正しい」「普通の」日本語を揺さぶりながら,言語の豊かさを紡ぎ出す.李良枝,呉濁流など,「国の周縁」で創作をしてきた先人たちの言葉に導かれ,日本語と向き合ってきた自身の軌跡をたどる.散文や講演録,創作を収めた,ポリフォニックな1冊.
...続きを読む感情タグBEST3
このページにはネタバレを含むレビューが表示されています
Posted by ブクログ
呉濁流、李良枝、アンサルドゥーア、デリダ——。読み手としても一流の著者が出会ったことばに励まされながら、著者自身の「ことば」とのかかわり/つながりを肯定しつつ掘り下げていく。「温柔」が“やさしい”という意味の中国語で、「温又柔」がとてもやさしいひと、という意味になるとは(迂闊にも)初めて知った。中国語圏で「温又柔」は、まるで日本語の「泉鏡花」のような名前なのだろうか。
『悲情城市』が、日本と台湾が経験した戦後と冷戦の時代の差異と懸隔を表現してみせたように、著者の小説は台湾と日本の「ポスト冷戦」期のねじれた非対称性が書き込まれているとも言える。台湾社会の民主化、過去の再審と再評価。他方、日本社会の戦争記憶の歪な記憶と「戦後」への引きこもり。
李良枝の小説を念頭に置きつつ著者は、あるひとのことばづかい、言語のあり方を特定のアイデンティティと一義的に結びつけようとする理解を厳しく拒否し、そのひとの個別的で交換不可能な生の証しというか、生を刻んだ果実の実りとして受け止めなおそうとする。本書の最後に収録された「おてんきゆき」は、「語らない」こともまた語りの一つのあり方であることが、静かに、だが力強く、書き込まれている。