あらすじ
虚飾のない、血のかよった人間味溢れる「ちいろば先生」こと榎本保郎牧師の姿を描く、伝記小説。
貧しい家庭に育ち、家の手伝いをしながらも、中学に合格し、積極的な活動をしていた榎本保郎。しかし満州から復員してから、虚無に陥り、生きる目的を失ってしまう。苦労して同志社大学神学部の聴講生になったものの、自殺騒動を起こしてしまうのだ。徐々に落ち着きを取り戻し、神学部にも復学し、神への献身を決意するのだが・・・。
自らをイエスの乗り物、小さいロバに擬し、生涯を伝道に捧げた榎本康郎牧師の壮絶な生と死を綴った伝記小説。
「三浦綾子電子全集」付録として、主人公・榎本保郎の弟・栄次氏が新潟の高校校長になったときの三浦綾子のお祝いの言葉を収録!
感情タグBEST3
Posted by ブクログ
熱血教師が恩師たちとの出会い、戦争体験を通じて信仰に目覚める過程を丹念に描く。
前半、軍国主義にとらわれていくところはステレオタイプ、単調に思われたが教徒の戦友の生き様に心打たれ、キリスト教に興味を持っていく。
やがて終戦、人生に対する迷いを主人公榎本信郎はどう解決していくか。
Posted by ブクログ
信仰のために私が十字架にあがる時は是非あなたに押し上げてほしいと願っています。
過去に私を理解してくれたあなただからこそ、その役目を担うにふさわしいと思っています。
でも何も気負う必要はありません。ぼくのことなんかすっかり忘れてもいい。ただ私の信仰が本物であれば自然と神が導いてくださります。
Posted by ブクログ
榎本保郎の話。
保郎の父は、生まれたこの子に対し、尼僧に名付けを依頼した。保とは、請けあう、引き受けるという意味で、男らしく何もかも引き受ける人間になってほしいと思い、これに決めたそうだ。
保郎の家は駅の真前にあり、切符などや雑貨を扱っていたが、貧しく、父母ともに日中は野良仕事だ。ろくに面倒もみれなく、近くにいた名付け親の真浄尼が実の母よりも保郎と過ごした。真浄尼は保郎を膝に抱えて般若心経をあげるといった生活だった。三歳になる頃には般若心経を誦じてたという。
保郎は中学生になった。保郎の通う中学では、蛸釣りという上級生が下級生をいじめる風習があったが、これを保郎は根絶するよう自分に誓いをたて、行動した。まず手始めに、神洲会という奉仕活動をする会を立ち上げた。自分より年下の者を可愛がる訓練として小学生の勉強も見てやることにし、一家の柱を軍隊に取られた家のために農作業も手伝った。また、日曜日は、5時に集まり活動を行うこととした。それは、蛸釣りなんかは絶対に許さないという覚悟を早起きで示すという意味があった。だが、その真の目的は、一人一人が変わっていくことにあった。
保郎は一年少し教師として働いたのち、兵隊にとられていった。そこで保郎は幹部になるよう勉強に励んだ。はじめは幹部になんかならないと思っていたが、人間を人間と思わず殴る上官にあって、殴らない上官になろうと決意した。話して聞かす上官になると。誰も彼も人の大事な息子だ、大事な親父だ、大事な夫だ、家族がみて情けないような扱いはしないと。
上巻の300ページあたりに保郎が子供達に神様がバチをあてるかという話をする。そこでは、悪いことをした分、みんなの心には黒い玉が貯まるという話をする。その黒い玉があると死刑になるが、誰でも人間は黒い玉がある。偉い神父さんにでも。だけど、イエスさんに許してくださいと、祈るとその玉はなくなり、代わりにイエスさんに移る。イエスさんは、みんなのその黒い玉を受け持ち、そして十字架にかけられる。そんなイエスさんが、みんなにバチをあてるわけがないと。ざっと言えばこんな感じだが、とてもしっくりきた。イエスは神の子、みんなの十字架を背負って死んだということが。
一度、妻の和子が家を飛び出し実家に帰る事件があった。そんな時の和子の父や母の言葉や態度はとても温かく、愛情いっぱいで、でも厳しく、とてもいいものだった。辛苦も艱難も下さるのは神だ。神の下さるものに悪いものはない、みんな恵だ、まず2人でヨブ記を読みなさいと。
保郎と和子夫婦は、刑務所から出てきた男を預かることとなる。ヤコブ書にも、人を偏り視るな、と書いてあるように、伝道者の家は、あの人が怖い、あの人は好きなどと分け隔てしてはならないのだ、といって妻の和子をいさめた。この人は受け入れなくても良いなどと神が言う人は一人もいない。
保郎は、信者の息子の後宮俊夫と出会う。後の世光教会な牧師で日本キリスト教団議長となった人である。俊夫は養殖真珠の事業の社長であった。でも、俊夫は、その事業を一生の仕事とは思わなかった。人間たるもの、その究極の目的が金儲けでしかないなどとはあってはならないと思っていたのだ。
怒りっぽい保郎はよく反省した。どうしてみんなは自分と同じような信仰を持たないのかとか。憤りからそれが顔に出て怒ったような顔ばかりしていた。だから笑う練習もした。一人ひとりが自分なりの信仰で精一杯頑張っているんだと思えるようになって、顔から険しさがとれた。人間はたやすく傲慢な思いに堕ちるものだ。
保郎はタネから植えて育てた世光教会をさり、今治の無牧の教会へ行くことになった。それは、保郎も望んだことだった。世光教会の人気があまりにも保郎個人に向けられていることに保郎は不安を感じたのだ。キリストを頼みにしているのではなく、保郎を頼みに教会が大きくなっていくことに不安を感じたのだ。
保郎はいつも顔を真っ赤にして説教をした。全身で語っていたのだ。それは、教会に来る者の心を打ったのだ。心に染みたのだ。世光教会の別れの会の時、ある信者が言ったが、保郎先生は牧師というより、用務員のようだったと。いつも金槌を持って歩いてたり、子供たちと本気になって相撲をとったり、園児をおんぶしてたりしたからだ。
保郎はいつも思った。神が与える試練ならば、どんなに苦しくても感謝して耐えねばならない、与えられた試練を乗り越えるのが自分の使命なのだと。
保郎は持病を抱えたまま、命を削るようにアシュラム運動に精を出す。まさにちいろばの如く、主に用いられるままに、行けと言われれば、どんなに忙しかろうが、身体がガタガタであろうが全身全霊で主に尽くした。
全二巻