あらすじ
1995年にオウム真理教が起こした地下鉄サリン事件の後、山梨県旧・上九一色村の教団施設から信者の子ども53人が保護された。親から離され、悪臭が漂う第10サティアンで生活していた子どもたちは、あれからどんな人生を歩んだのか。今の日常生活にもカルトの教義や修行の記憶が影を落としているのか――。子どもが保護された山梨県の児童相談所の記録2800点を入手し、大人になった当事者たちに会いに行くと、「オウムの子」の苦難の30年が浮かび上がってきた。
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Posted by ブクログ
子供の頃、オウムの歌を友達とふざけて歌っていた事を思い出した。この本のインタビューを読んだ後では、茶化していた自分がとても恥ずかしいなと感じる。
周りへの配慮ができる人になりたいと強く思う。
Posted by ブクログ
タイトルを見た時、麻原彰晃の子供の話かと勘違いしました。そうではなく親がオウム真理教に入信したためにオウムの施設で暮らさざるを得なくなった子供たち、オウム真理教の宗教二世のその後の人生を探り当てる話でした。
麻原彰晃が逮捕された年から30年も経つのかとまず思い。
そして取材をしていた本書のメインの記者がその時まだ物心もつかない幼児だったということにも衝撃。
自分は社会的大事件としてリアルタイムでニュースを見た記憶があるけれど、この記者さん達にしてみたら最初は歴史的事件を掘り起こすような感じだったんだろうなと隔世感のようなものを感じた。
それにしても子どもたちの置かれた環境の凄まじさ。
学校に通わず食べ物も腐ったりカビが生えたりしたものを食べさせられ、お風呂にも満足に入れず親からは引き離されお互いに子どもたち同士で監視し合うような暮らしぶり…
想像を絶します。今ならひどい児童虐待と言われるでしょう。
この子供たちはわけも分からず親に連れられてそこへ行きそこで生き、その後社会へ放たれたことは何の罪でも咎を負うことでもないはずなのに、それを職場や他の人はもとより、親しい人であっても自分がオウムの子であったことを隠して生きねばならないということが気の毒でならなかった。その困難さは想像しても余りある。
その辛さは多分経験してない者にはわからないことなのだろうと思いました。
そしてオウムの子であったことに本書に出てきたどの人も申し訳なさのようなものを感じてるように見えて、やりきれなさも感じた。
幼児の頃の経験がその後のその人の人生をある意味決定してしまう怖さと苦悩。
一つ感じたのは、たとえ自分が犯した罪でなかったとしてもそこに関わっていた、身を置いていた、あるいは知らずに加担していた…というだけでも人は罪悪感を感じてしまうものなのだと言うこと。
自分に何ら責任はなくてもそこに身を置いていた自分を責めてしまう。
自分にもそういう経験はある。辛い。
(p154)「オウムの子」をめぐる問題の本質は、ただそこにいたというだけで、加害者側に立たされてしまい、社会から排斥されてしまうということだ
本書に出てこられた方々はそれでも何とか人生を歩いている
出てこなかった、見つけられなかった人たちの中にももしかしたら今でも自分を責めてしまったり、人には語れない過去があることに苦しんでいたりする人がいるのではないかと気になってしまった。
(p148)「ずっと隠すことに一生懸命になってきたので、うまく発信することができないんですよ。人に言わないという選択をしてきたので、何をどうやって書けばいいのかわからないんです」
これもまたそういう立場にあった人たちが表に出てきたり、社会に対して発信したりしない(できない)大きな理由の一つだろうなとしみじみ感じました。
加奈さんは取材を受けて聞き出してもらうことで少し過去を変えられたのかもしれない、と最後まで読んで感じました。
ほかの子どもだった人たち、一般的なよくいるような大人として平穏無事に暮らしていてほしいなと心から思います。