【感想・ネタバレ】シリアの家族のレビュー

あらすじ

第23回開高健ノンフィクション賞受賞作

選考委員大絶賛!

書き手自身を取り巻く「人間」を、シリアの政治と歴史への深い理解とともに厚みをもって描ききった。 加藤陽子(東京大学教授・歴史学者)

大家族の幸せな記憶、その一瞬の光芒が眼前に浮かんできそうだ。名作である。 姜尚中(政治学者)

もはや言葉にすらできぬ過酷な日常を現実として生きた/生き続ける女性がいる。 藤沢 周(作家)

世界が抱える矛盾を独自の視点で描ききった秀作。 堀川惠子(ノンフィクション作家)

秘密警察も移民となったシリア人も政府軍兵士もイラン軍兵士も、すべて等身大の人間として描かれている。 森 達也(映画監督・作家)
※五十音順/選評より


風土に根差して生きる人々を撮り続ける著者は、シリアの沙漠で総勢70名という大家族アブドゥルラティーフ一家と出会い、その十二男、ラドワンと恋に落ちる。
やがて「アラブの春」から始まるシリア内戦に巻き込まれ、ラドワンは徴兵され、六男サーメルは政治犯として逮捕される。一家は故郷パルミラを追われ、難民として散り散りになってしまう。
脱走兵としてヨルダンに逃れたラドワンと結婚し、「シリアの家族」の一員となった著者は、異郷に生きる難民たちの取材を始める。

難民となりトルコで暮らして5年。一家の長である義父・ガーセムが、故郷に帰る夢を叶えることなく永眠した。アブドゥルラティーフ家の故郷パルミラの今を見たい・・・・・・。著者は11年ぶりにシリアに向かい、秘密警察の監視や親族による軟禁をくぐり抜け、かつて一家が暮らした家にたどり着く。
命がけの取材から帰還した著者を待ち受けていたのは、夫ラドワンの「第二夫人を娶りたい」という驚きの一言だった・・・・・・。

2024年12月、生きて故郷の土を踏むことはないと思っていたラドワン、そして多くのシリア難民に転機が訪れる。半世紀以上にわたって独裁を続けてきたアサド政権が崩壊したのだ。
政権崩壊から8日後、著者はラドワンと長男と共にシリアに入る。逮捕されたサーメルの消息を求め、「人間虐殺の場」と呼ばれたサイドナヤ刑務所を訪れる。その現場で目にしたもの、そして数少ない生存者が語った言葉は衝撃的なものだった。
激動のシリアを生きた市井の人々の、等身大の姿を描くノンフィクション。

小松由佳(こまつ ゆか)
ドキュメンタリー写真家。1982年、秋田県生まれ。2006年、世界第2位の高峰K2(8611m/パキスタン)に日本人女性として初めて登頂し、植村直己冒険賞を受賞。風土に根差した人間の営みに惹かれ、草原や沙漠を旅しながら写真家を志す。12年からシリア内戦・難民を取材。著書に『人間の土地へ』(20年 集英社インターナショナル)など。日本写真家協会会員。

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Posted by ブクログ

ネタバレ

2024年12月、半世紀以上にわたり続いたアサド政権が突如として崩壊した。
本書は、その歴史的転換点の前後を、シリア人の夫を持つ写真家である著者が、自身の立場と経験を通して描き出した記録である。政権崩壊前のアレッポ訪問、ヨーロッパへ向かう難民たちの姿、そして崩壊直後のシリア。日々断片的には報道されるニュースでは捉えられない、人々の生き様が静かだが強い筆致で浮かび上がる。

取材から帰還した直後、著者を待っていたのは、夫から突然切り出される「第二夫人」の話だった。文化的背景として理解しようと努めながらも、理性では整理しきれない動揺と怒りが率直に綴られている。

圧巻なのは、政権崩壊直後に著者が訪れた、ダマスカス近郊の悪名高いサイドナヤ刑務所の描写である。政治犯として収監され、奇跡的に生き延びた人々の証言は、読者の身体感覚を揺さぶる。ほぼ裸同然で狭い独房に押し込められ、日常的に拷問を受け、書物や音楽といった文化から完全に切り離された日々。「ヒトラーは、バシャール・アサドよりも寛大だったと私は思う」という言葉は、誇張ではなく、絶望の深度を示す叫びとして迫ってくる。アウシュビッツやカンボジアのトゥールスレン等のジェノサイドを経た人類が、21世紀においてなお同じ地平に立たされている現実に、眩暈を覚えずにはいられない。

本書には、体制側の秘密警察、権力にすり寄る者、体制崩壊後の兵士、難民として国外に逃れた人々など、多様なシリア人が登場する。著者に対して必ずしも好意的とは言えない人物も含まれるが、彼らを一方的に断罪することはない。常に一歩引いた位置から、その背後にある恐怖や計算、そして生き延びるための選択を冷静に考察する、抑制された温かな眼差しが全編を貫いている。その視線は諸悪の根源とされたアサドにすら向けられている。

特に印象に残っているのが、アサド体制下で秘密警察の監視を受けながら訪れたパルミラでの一場面である。立ち寄ったレストランで、思いがけず店主からケバブをご馳走になる。店主とは体制崩壊後に再会することになる。荒廃した国土や政権に手のひらを返した人々とは裏腹に、どんな状況でも人を悪く言わず、礼を尽くして客をもてなす店主の姿に救いを感じた。かねてから旅人に親切な国として知られたシリアだが、私自身かつてパルミラを訪れた際、「うちで食べていけ」「泊まっていけ」と声をかけられた経験を思い出した。

本書は、独裁政権や戦争といった人類の諸行無常を感じる書であると同時に、厳しい時代や環境を生き抜く人間の尊厳や異文化理解を静かに問いかける一冊である。過ちを繰り替えす愚かさに絶望し、瓦礫の中でなお失われない人間性に救われ、そして考えさせられる。

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2025年12月24日

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