あらすじ
【これは、他人事ではない。緊迫の医療サスペンス小説】
心臓病の専門病院で、適切な臓器の斡旋を行う臓器移植コーディネーターとして働く立花真知。
彼女は、五輪金メダリスト候補として注目を集めるフィギュアスケーター・池端麗を担当することになる。
麗はスケートの練習中に倒れ、拡張型心筋症と診断されていた。
副院長の一ノ瀬や主治医の市田の治療を受けながらドナーの心臓を待っているが、麗の血液は珍しく、大多数の心臓を移植することができない。
しかし、くも膜下出血で倒れ脳死判定を受けた男性ドナーの心臓が、麗に奇跡的に合致すると連絡が入る。
真知らは早速臓器の提供に向けて動き出すが、ドナーの母親が臓器提供に納得していないことが判明。真知は「禁断の方法」に手を出そうとする――。
ドナーとレシピエント、互いの思いが複雑に混じり合ってできた大きな渦は、とある男の登場によって社会問題へと発展し始める。
医師であり、これまでにも医療の現状にメスを入れてきた著者が描く「日本の心臓移植」の現実と未来。
【著者略歴】
久坂部 羊(くさかべ・よう)
1955年大阪府生まれ。医師・作家。大阪大学医学部卒業。
2003年『廃用身』で作家デビュー。2014年『悪医』で第3回日本医療小説大賞、2015年「移植屋さん」で第8回上方落語台本優秀賞を受賞。ドラマ化されベストセラーとなった『破裂』『無痛』『神の手』の他、小説に『テロリストの処方』『介護士K』『芥川症』『悪い患者』『絵馬と脅迫状』など、新書に『日本人の死に時』『人間の死に方』『寿命が尽きる2年前』『人はどう死ぬのか』『人はどう老いるのか』『人はどう悩むのか』など、著書多数。
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Posted by ブクログ
2025/08/22予約4
臓器提供を行う側の家族と受け取る側の異なる思い。
突然脳死と言われ心臓を奪われたと思う側、適合するドナーを待ち続ける側。レシピエント側のコーディネーター、ドナー側のコーディネーター。どれにも一理あるように感じてしまう。ダブルスタンダードにはなりたくない、だけど子どもの脳死判定での臓器提供はできない。読んでいると広志の母登志子の非科学的さにイライラするが自分も子どもに対しては全く同じだと気づいた。
不勉強かもしれないがドナーの情報をレシピエントに与えない事と同じようにレシピエントも自分が移植された事を守秘義務にする事はできないのか、と思った。
内容がいいのに表紙がミスマッチのように思う。
Posted by ブクログ
タイトルが衝撃的だったが、命の横取りではなく、命の贈り物なんだ、と終わって、物語の中で贈り先がわかったからこそ納得ができた部分も大きいのではないか、とも感じた。
本来なら、いいのか悪いのか、贈り先はわからないし、受取先もわからない。
レシピエント側もドナー側もどちらの気持ちもわかるだけ、センシティブで難しい問題だと思う。だから、自己中心的な考えになるのも致し方ないとさえ思う。どちら側へも思いを馳せることはできても、いざそれぞれの立場になったら、臓器を受け取ってまで生きていいのか?と考えるし、すんなり臓器提供の承諾ができるのか?とも考えるだろうと思う。
生きているレシピエントが美談のように注目される一方で、ドナー側が注目されることはほぼない。提供したドナーへは敬意を払い、フォローが重要であることが切実に伝わってきた。
Posted by ブクログ
考えさせられる内容だった。
今まで、ドナーになることも、ドナーを待つことも、正直意識したことがなかった。
突然の家族の死に対して、哀しみ以外何も感じないまま、他人に臓器を提供することについて考えられる余裕はないだろう。一方で、それが故人の願いなのだとしたら、叶えたいとも思う。
心臓が動いていても、脳死は死であることを意味するのであれば、そこに縋ることは遺された者たちが納得するまでの時間を引き延ばす権利でもある一方で、自己満足になるうるのかもしれない。
反対に、ドナーを待つ側の気持ちも、考えるだけであまりにつらい。誰かの脳死を望みながら、日々治療に耐え、残された時間を数える。残酷にも感じられる。それでも、命の贈り物という純粋な善意を信じるしかない。
正解なんてないのだろうが、本人がドナーになることを望んでいたのであれば、それを、生きたいという意思を持ってもがいている人に託すことは、命を繋ぐことになる。理解はしていても、今の私は、家族としてそれをすぐに受け入れられるのかは自信がない。
なかなか当事者の立場で日常的に考えられるような問題ではないが、この小説を読んで考えるきっかけをもらった。