あらすじ
羽柴(豊臣)秀吉の弟で一門筆頭を務めた羽柴(豊臣)秀長。兄・秀吉の名補佐役としての活躍は、有能な家臣たちの支えが無ければ成しえなかった。秀長の家老筆頭であった桑山重晴、秀長の直臣で軍事・外交に活躍した藤堂高虎、領国の統治支配に奔走した小堀正次と横浜良慶……。多方面から秀長を支えた有力な重臣18人の役割と動向を、史料から実証的に解明。明らかにされていない家臣たちの実像に迫った、羽柴(豊臣)政権研究の最前線。
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Posted by ブクログ
秀吉の弟で秀吉の補佐役として活躍した、秀長。
彼には有能な重臣たちの支えがあった。
その中でも有力な18人の重臣たちの役割と動向を、
史料から丹念に解き明かしてゆく。
・はじめに
・羽柴秀長関係系図
第一章 秀長の重臣たち 第二章 秀吉から付された重臣
第三章 秀長直臣の重臣 第四章 秀吉から付された与力
第五章 秀長家臣団の特質 第六章 秀保時代の重臣
・おわりに
主要参考文献有り。
秀吉から付された重臣では、
家老筆頭の桑山重晴、娘が石田三成の妻になった尾藤頼忠、
熊野山の材木販売が「曲事」とされ秀吉に処刑された
吉川平助の三人。
秀長直臣の重臣では、
軍の先鋒を務め外交活動でも活発だった藤堂高虎など、
軍事・外交で支えた、六人。
小堀遠州の父の小堀正次など、領国統治で活躍した、三人。
秀吉から付された与力では、六人。
加藤光泰と秀長の父方の従弟の青木重吉は、
のちに秀吉の直臣に復帰。
では、秀長家臣団形成の経過は。
近江長浜領での招請・引き抜き・近江移住人の採用。
但馬半国統治での家臣団拡大。本能寺の変後に但馬一国と
福知山領統治、清須会議、賤ヶ岳合戦後の転封での
秀長家臣団へ秀吉の直臣配属。大和加増で秀吉の与力配属。
領内に秀吉の直轄領もあることにより、秀吉上位の支配権が
あり、また、羽柴家一門衆の家臣団でもあったということ。
秀吉が秀長を要の立場に成るように、直臣や与力を
付けたのかどうか、単に心配だったかどうかは判らない。
それでも秀長自体、初期に採用した者たちが重臣に
成っていたり、更に加わった有能な重臣たちをまとめ、
彼らに補佐され、秀吉の天下一統を支えてきている。
支えられたとしても、重臣たちを適材適所に配置して
彼らを動かせる才があったとも、思いたい。