【感想・ネタバレ】日本語はひとりでは生きていけない(集英社インターナショナル)のレビュー

あらすじ

日本語は、いつも上位言語を欲してきた。
その歴史は、漢字への原点回帰と反発、英語への憧憬と揺り戻しという相克の歴史だ。
ヤマト王権による漢字導入と漢文公用語化から、『古今和歌集』『平家物語』『梁塵秘抄』などの古典を検証し、英語やフランス語を国語にしようとした森有礼や志賀直哉の真意に迫る。
そして現代。アメリカ語の影響下で新たな文体を獲得した村上春樹、歌詞に五か国語を織り交ぜる桑田佳祐・・・。その時代の中国・欧米との距離感に即し変化する、日本語の魅力を語る。

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Posted by ブクログ

この本を読む前に、表題から想像したのが現代日本語が成立する過程で漢語や英語などの外来語を借用、翻訳しながら成立していく様子を書いた本かと想像してた。
読んでみると想像のはるか上を行く内容であった。もちろん言葉や概念の吸収といった事はあるのだが、いかにして書き言葉としての日本語が成立したかと言うことについて、もっと深く書かれた本であった。(このように書いてしまうと、日本語の文体の本の話になってしまうが、書き言葉と話し言葉は手をとりあって進展していくので、私たちが少し難しいことを話すときに話し言葉なのに書き言葉風になってしまうので、これは文体の話だけではなく、日本語全体の話となると言うわけである。)
 日本語の歴史を振り返ってみると、日本書紀は漢文で書かれており、古事記は倭仮漢文体、万葉集は万葉集仮名で日本語で書かれるといった具合に正書法などない、黎明期だから正書法(正しい日本語の書き方)がなかったのかというと実は歴史を辿れば正書法などずっとない。源氏物語は源氏物語の文体で、伊勢物語はこれまた独自の文体、ずっと時代が下って黄表紙は黄表紙というふうに自由闊達に文章は書かれてきた。正書法があったのはもちろん漢文で、その中には正しい漢文と日本語風漢文とあった。
国家として日本語をどうするべきかと考えていたのを知る手掛かりの一つに勅撰集がある。
最初の勅撰漢詩集懐風藻から古今、新古今と10程の和歌集が編まれた。
古今集には真名序と仮名序があり、その内容はほぼ同じである。しかしその内容を仔細にみると(以下引用)
仮名序の〈ことわざ繁きものであるというのは、単に人は様々な行為を絶えず行っているというニュートラルな認識である。その行為によって「心に感じたことを見たこと、聞いたことに寄せて、言い表したものが和歌である」と述べているのである。しかし、「真名序」のほうは「人間たるもの何もしない状態でいることができない。そのため思考は絶えず変転し、哀歓は入れ替わる。その時感動が気持ちの中に生まれ、言葉が和歌になって現れる」というような意味合いであり、「仮名序」よりも説明が緻密で論理的である。言い換えれば理屈っぽい。「無為」「志」といった漢字が背負っている「中国文明」臭も含めていくぶん大げさとも見える。)引用終わり
というふうに日本語の書き言葉と漢文の書き言葉ではそもそも役割が違うことが見て取れる。
その後、平家物語、太平記、などを経て江戸時代に文化の爛熟期を迎えるのだが、このあたりになると漢文体は生き残っているものの、大衆化することで漢文風から口語体まで硬軟様々な文章が現れる。
 その後、明治維新が起こり外国の概念が奔流すると、その際に言文一致の程度が甚だしい外国語に触れる事で、啓蒙のための文章という言文一致運動が起こる。明治の文章は現代の我々にとって江戸時代の文より読みやすくなったのであった。その明治の中でもどういう文体が良いかという試行錯誤があり、志賀直哉あたりで完成されたような見事な文章が書かれるようになる。
ところが志賀直哉本人は晩年、日本語はダメな言語で日本人はフランス語を国語とすべきという考えを
抱くようになったそうである。これはさしずめ「日本選手権を制した柔道家にインタビューしたら、武道はやっぱりプロレスだねぇ』と言われるほどの衝撃である。この日本語を外国語に転化するという考えはもちろん実現しないのだが、戦後になっても日本語の文語と口語の乖離とお互いに照応するという関係は続いているのである。


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2026年03月16日

Posted by ブクログ

430頁を超える結構厚みのある本である。
『ゆる言語学ラジオ』で紹介されていたので、ちょっと興味があって手にとった。
厚みもあるので、読み始めるのに時間がかかったが、序章に出てくるのはサザンオールスターズの『勝手にシンドバッド』についての論で、堅苦しさはなくかなり良い感じにつかまれた。とはいえ、言語学や古文、近代文学にも疎いこともあり、そこから展開されていく論理展開について行くのはかなり難しかった。正直かなり読み飛ばして雰囲気と要所を拾う読み方をしていたので、理解度は低いと思う。けれども、興味深く感じる部分は多く、最近では取らないでいたメモ書きがはかどったのは事実だ。
日本語には標準型はあるが正書法はないという事実に、『えっそうだったの?』と今更に驚くと同時に納得した。
今後のAIの発達により、日本語の標準化は幅を失うという予見や、その一方でアーティスト・歌い手たちが紡ぐ言葉の豊かさと遊びのありように希望を持つ。そんな祈りに似た見解がとても魅力的だった。

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2025年12月13日

Posted by ブクログ

ネタバレ

「日本語はいつも上位言語を欲してきた」

曰く、古代は中国語であり、幕末維新を経て、英語やフランス語がその上位として位置づけられていた。

冒頭、「私のルサンチマンを晴らすことができればうれしい」と著者は記す。
ルサンチマン(ressentiment)…… 。 哲学者ニーチェが提唱した概念。単なる「嫉妬」や「恨み」ではなく、いやそれ以上とも言える、深く屈折した思いだ。そんな思いから発した著書だが、だからこそ、日本語の歴史や豊かさ、その奥深さが垣間見える内容となっている。

漢字の導入から、漢詩、漢文が「正」とされながらも、完全に中国語を取り入れず、和語との融合を図り、真名、仮名を生み出し、和魂洋才ならぬ和魂漢才の時代を長く過ごし、言文一致がなかなか果たせなかった時代背景や、外部環境をさまざまな文献を引いて解説していく。
そのなかでも、やはり日本語の持つ柔軟性や、不思議な寛容性など、その特異な性質が際立つ。正書法がないが故の、融通無碍な豊かさを感じることが出来る。

にしても、冒頭でサザン(桑田佳祐)の「勝手にシンドバッド」を引き、終章でも、「愛の言霊」の日本語と英語、フランス語はてはインドネシア語との融合を称賛するが、それって『神仏たちの秘密 日本の面影の源流を解く』(松岡正剛著 2008)でも同じように分析してたので、二番煎じだなあ。参考文献にも載ってないし。

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2025年09月09日

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