【感想・ネタバレ】リベラリズムはなぜ失敗したのかのレビュー

あらすじ

日本経済新聞(2025/06/28)、クーリエジャポン(2025/05/10)などでインタビューが相次ぐ注目の著者。
多くの民主主義国家で不平等が拡大し、強権政治が台頭し、リベラリズムが機能不全となっている。注目の政治学者が政治、経済、教育、テクノロジーといった様々な分野で見られる問題を検証し、失敗の原因と是正をさぐる。宇野重規(東京大学社会科学研究所教授)解説。

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Posted by ブクログ


パトリック・J・ディネーンのこの一冊は、現代リベラリズムに対する最も鋭い批判のひとつだ。タイトルにある「失敗した」という言葉は意外なことに、リベラリズムが「成功しすぎた」ことこそが問題の本質だと著者はそう断言する。

◾️逆説の核心

個人を伝統的共同体や慣習から解放するというリベラリズムの約束は見事に実現された。しかしその代償として、国家と市場という新たな巨大機構への従属が生まれ、格差の拡大、人間関係の希薄化、環境破壊が加速した。私たちは本当に「自由」になったのか、それとも別の形の隷属に置き換わっただけなのか。

◾️個人主義と国家権力は共犯だった

多くの人が信じる「小さな政府=個人主義」という図式は幻想にすぎない。ディネーンは、個人主義がむしろ中央集権的国家を必要とし、両者が手を組んでリベラリズム以前の共同体を解体してきたと指摘する(84頁)。アメリカ建国者、特にマディソンはこの仕組みを意図的に設計した(130-132頁、205-209頁)。

◾️現代政治の停滞を説明する

だからこそ、保守派が小さな政府を実現できず、進歩派が私的領域への介入を止められないという現在の状況も腑に落ちる。左右両派とも、同じリベラリズムという同一前提の内部で動いているにすぎない。

◾️行き着く先

このまま進めば、自由・平等を掲げながら、実質的には行政国家と監視体制に支えられた「軟らかい専制」へと変質するだろう――ディネーンはトクヴィルの予言を現代に蘇らせる(220頁)。

◾️唯一の希望とその限界

著者は古典的教養教育の再興を提唱し、真の自由とは欲望を抑制する能力にあると説く(163頁)。しかし、誰もが自己実現と豊かさを求める現代において、この処方箋がどれだけ現実的かは疑問が残る。時計の針を戻すことは、もはやほぼ不可能に近い。
それでも本書は、現代社会の違和感に明確な座標を与えてくれる。「自由」という言葉が以前と同じ響きを失うほどの、静かな衝撃を残す一冊。政治哲学に関心のある人にも、格差や孤独に漠然とした不安を抱える人にも、お薦めしたい。

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2025年12月12日

Posted by ブクログ

西側自由社会に生きる我々にとって、所与のものである自由主義そのものに問題がある、と認識を根底から崩してくる本。非常に興味深く、また危険な書だ。
 ここでいう自由主義=リベラリズムとは、カマラ・ハリスが大統領選で訴えたものではなく、ましてや日本の「リベラル」の浅薄なものではない。ホッブスやロック、ミルの提唱したそもそもの自由主義である。
著者はリベラリズムは、個人を元来自由なものであるから、その生得の自由をどこまでも伸ばすとともに、自由に制限をかける従来のシステム(国家や宗教、家庭、慣習など)を破壊することが目的である、と論ずる。その結果、暴走した欲望がかつてないほどの経済的格差を生み、地域社会が破壊され人々は根無し草となり、政治的に無知な大半の人々は政治的自由はあっても政治的影響力を振るうことができず不満を抱くこととなる。
 この論旨は、驚くほど現在の状況に合致する。富裕層のロビー活動によってますます富めるものとそうでないものの経済的格差は開き、行き過ぎた自由のもたらすモラル崩壊が電車の中とか、公共の場とかそこここで見られ、選挙の投票率は上がらない。(ちなみに自由民主主義とよく言うが、自由主義と民主主義は相容れない、という議論もなされている。自分の自由/欲望を叶えるために努力する一人のエリートよりも、凡人百人のほうが民主主義的には正しいのだから)
 と、ここで迂闊にいや全くそのとおり、と膝を打ちたくなるところに本書の危険性があると思う。確かに経済的、教育、政治、社会が抱える諸問題は、そもそも現代社会の立脚点たる古典的自由主義に問題がある、というロジックは非常にわかりやすい。だからこそ、そのわかりやすさが故に、理解しつつ批判的精神を持って我々はこの書を読まねばならないと思う。
 それでも著者は最後にポストリベラリズムとして、リベラリズム以前に立ち戻る事はありえず、またリベラリズムが行き詰まっていた旧制のだはなどその功績は認めるべきであるとも記している。分断された人と人と、人と地域との関連性を復活させ、より発展した体制を築くべき、と前向きな言葉を持って占めている。
盲信すべきではないが、そもそもの前提たる自由主義的考えを疑うことによって新たな視点を手に入れられる書。

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2025年08月06日

Posted by ブクログ

バラク・オバマが高く評価したという本。近代初期のリベラリズムは、自立した個人が生み出す体制を目指した。人間の多様な才能の保護、財産を獲得する多種多様な才能のどれをも等しく保護する結果、その程度と種類とを異にするさまざまな財産の所有がただちに生ずる。そして順調に格差は拡大、広範囲に定着する。個人を理不尽で選択していない人間関係から解放して、この世界をとくに表出的(自己実現的)個人主義に向いた者が成功するように再構築する、それがリベラリズムの責務である。格差是正で無く個人の自由を重視した。

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2025年04月07日

Posted by ブクログ

 「リベラリズムの失敗」とは何か?「序」を見る限りでは、以下のようなことが指摘されている。経済尺度でのメリトクラシー、金権政治、地理的疎外、市民性の基礎となる教育の喪失、人間-技術の主従逆転 等。著者は政治哲学者なので、社会学履修者から見るともっと実証的な話が欲しくなる。

 一方で、リベラリズムが本来的に、新たな格差の出現を内包した自転車操業プロジェクトであるという指摘はクリティカルである。
 これを踏まえれば、議論の立て方の大転回が可能なのではないかと考えた。つまり、「一般人が社会問題の存在を実証すべき」というクレームを、逆に「エリートが社会問題の不在を実証すべき」とできるのである。アカデミズムの実践的価値が、爆上がりすると思いませんか?

 あらゆる科学の源流に哲学があることの威力。本書からはそれが強く感じ取られた。

(本書の構成)
序 リベラリズムの終焉
1 持続不可能なリベラリズム
2 個人主義と国家主義の結合
3 アンチカルチャーとしてのリベラリズム
4 技術と自由の喪失
5 リベラリズムvsリベラルアーツ
6 新たな貴族政
7 市民性の没落
結語 リベラリズム後の自由

--(追記)
 メリトクラシーは本質的にリベラリズムなのだと思う。

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2024年09月25日

Posted by ブクログ

リベラリズムは個人を伝統的な社会や組織の束縛から解放することを目指すものであったはずである。ところが現実に起きていることは、個人が国家と市場に支配される極端な格差社会に投げ入れられるという事態である。
なぜこのようなことが起きたのか。
リベラリストはリベラリズムの不徹底によると言う。著者は、リベラリズムが成功したからこそ起きたのだ、と主張する。つまり根本的なリベラリズム批判を展開するのだ。
著者はリベラリズムはアンチカルチャーであるとする。文化を破壊すると。それは3つの柱による。ひとつは自然の征服による自然からの人間の独立。ふたつ目は過去と未来を切り捨てる現在主義。みっつ目は人間が根ざしている場所からの切り離しである。
これらはまさにその通りなのだが、著者が欠落させている重要な視点は、資本主義というシステムとリベラリズムとの関連性である。その点で議論の射程と深さは、著者が依拠している論者のひとりカール・ポランニーに遠く及ばない。ポランニーは人間の経済活動を人類学的、歴史的に解明した上で現代社会の病理を抉り出しているからである。

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2023年03月26日

Posted by ブクログ

著者はパトリックデニーン、ノートルダム大学政治科学部教授であり政治学者。そりゃもうゴリゴリの保守とゆうか、共同体主義でビビった。こんなにハードな共同体主義の人の思想に数時間付き合ったの生まれて初めててめちゃくちゃ疲れてしんどい。平積みされてたから気軽に買っただけだったのに!やだもう!

6割強の部分は相容れなかったけど、この思想に至るまでの背景な納得できるし続く人が出てくる事もこの人らが何を悲観しているのかもよく分かる。

第1章 持続不可能なリベラリズム
第2章 個人主義と国家主義の結合
第3章 アンチカルチャーとしてのリベラリズム
第4章 技術と自由の喪失
第5章 リベラリズム VS リベラルアーツ
第6章 新たな貴族制
第7章 市民性(シティズンシップ)の没落
結論 リベラリズム後の自由

第4章、第5章あたりは、お前それはちょっとさあどうなのその考え方は賛同できねえよって大きな声で突っ込みたくなるよね。
この著者の思想はまじしんどい。

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2020年03月29日

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