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  • リベラリズムからの体制転換―ポストリベラルと共通善保守主義

    リベラリズムからの体制転換―ポストリベラルと共通善保守主義

    ビジネス・実用

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    1巻2,860円 (税込)
    オバマ米元大統領も絶賛し、内外で反響を呼んだ前著『リベラリズムはなぜ失敗したのか』に続く著者話題の書。 『ヒルビリー・エレジー』著者のヴァンス米副大統領に最も影響を与えた思想家が「経済的左派×社会的右派の融合」を提唱。 分断に疲れた社会を再統合する希望の書。 アメリカや先進諸国が直面する極端な経済格差や社会基盤の崩壊、そしてエリート層と労働者階級の間に生じている深刻な分断を「冷たい内戦」と呼び、その根本原因を鋭く分析。 この分断の背景には、右派・左派を問わず「進歩」を至上命題とするリベラリズムのイデオロギーと、それに乗じて特権を独占し大衆の生活を不安定化させる「エリート」の存在があると指摘。これに対し、限界のある現実から生み出された大衆の「常識」や伝統的な美徳を再評価する。 本書は、古代の「混合国制」の理念に学び、エリートと大衆の敵対を乗り越える「共通善保守主義」を解決策として提示。新しい真のエリートが労働者階級の価値観に寄り添い、相互に高め合う「貴族的ポピュリズム」の形成を通じて、リベラリズムがもたらした社会の分離を克服し、真の「統合」と「共通善」の実現を目指すための道筋を論じる。
  • リベラリズムはなぜ失敗したのか

    リベラリズムはなぜ失敗したのか

    ビジネス・実用

    3.9
    1巻2,640円 (税込)
    日本経済新聞(2025/06/28)、クーリエジャポン(2025/05/10)などでインタビューが相次ぐ注目の著者。 多くの民主主義国家で不平等が拡大し、強権政治が台頭し、リベラリズムが機能不全となっている。注目の政治学者が政治、経済、教育、テクノロジーといった様々な分野で見られる問題を検証し、失敗の原因と是正をさぐる。宇野重規(東京大学社会科学研究所教授)解説。

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ユーザーレビュー

  • リベラリズムはなぜ失敗したのか

    Posted by ブクログ

    この本の全ては、「リベラリズムは失敗した。リベラリズムを実現できなかったからではなく、リベラリズムに忠実だったから。」という言葉に凝縮されていると思う。

    ただ、この本で言われているリベラリズムは、いわゆる日本の左派が掲げる「リベラリズム」ではなく、その根底にある「個人主義」のことのような気がする。一応、この感想では「リベラリズム」という言葉を使うこととするが、自分的には「個人主義」という言葉の方がしっくりくる。

    日本の「リベラリズム」が衰退したのはまた別の本で譲るとして、ここでは本書を通じて考えた、リベラリズムが現代社会にもたらしたものについて整理しておきたい。

    〇リベラリズムは何をもたらしたのか?
    「リベラリズム」が蔓延した⇒モラル・道徳をぶち壊し、その結果現れた問題を、国家の法で抑制するように頼る。⇒政府の権力は増す。社会に蓄積された道徳的な資源が失われる⇒文化が消えゆくにつれて国家権力・リヴァイアサンが巨大化し、責任を伴う自由が後退する。

    本来的には自由には責任が伴うはずなのに、それを忘れてしまっている。身の回りの問題は、国家が解決してくれるものだと思っている。

    こうした事態はリベラリズムの理念から逸脱した結果ではなく、むしろその理念を忠実に追求した結果である。リベラリズムは成立の当初から失敗が必然だった。しかし、我々はそれに気づかず、「リベラリズム」を徹底することでこの問題が解決していくものだと信じ続けている。

    〇リベラリズムと技術の発展
    リベラリズムは「技術の発展」「自由市場」を円滑に稼働させるための「オペレーティングシステム」である。個人化は技術の発展を促進する。

    この本では、facebookの例が挙げられている。個人となり、孤独だからインターネットが発達する。確かにその通りだと思う。

    かつて共同体が担ってきた役割が次々と市場に委ねられ、商品やサービスに置き換えられていく。

    〇リベラリズムと均質化
    リベラリズムは、個人の自由を制約する「文化」や「規範」を克服すべきものとして捉える傾向がある。
    「特殊性と多様性に満ちた世界にも、のべつまくなしに均質な基準を押し付けようとする。現代政治は地域の多様性を黙認できない」「文化そのものが深い同意であることを見逃している」要するに、地域や共同体が長い時間をかけて形成してきた文化や規範に外部から踏み込み、そこからの「解放」を求めるのである。

    そういえば、どこかの町で、公務員同士が結婚したら、片方に退職を勧奨する内規が批判されていた。勿論現代の時代に適合していない、何故女性だけに勧奨していたのか、という批判は勿論そうだが、それを吊るし上げて断罪することの乱暴さも同時に感じたことを思い出した。文化や規範は、「時代に適合していない」と批判するのは勝手だが、その慣行が生まれ、維持されてきた背景を理解せず、現在の価値基準だけで過去の慣行を裁こうとする姿が今の「リベラル派」への不信感にもつながる。一種の「上から目線」というか。

    〇リベラリズムと民主主義
    リベラリズムは民主主義を破壊する。
    ①個人主義→エリートの誕生→エリートによる支配。
     直接民主主義の機会を増やすと叫んでいる一方で、行政科学や近代的官僚機構の拡張で政策決定への民衆への影響力を減らそうとしている。
    ②多様性を尊重させることで、個人の自由を確保し、それによって権力や党派を分裂させれば、市民の間に無関心と私生活主義を植え付けることができる。

    まあ、元々直接民主制は衆愚制だと思う。
    個人の意見を抽出・代表すべき政党・中間団体が緩むことで生まれるのは政治の不安定化。そうした中で、官僚層は、そうした不安定な政治状況に左右されることなく政策を遂行しようとするのは当然のことと。であれば、直接民主制に振り回されない行政を志すことは何ら不思議ではない。もはや、選挙は権威を与えるための「お祭り」でしかないのかもしれない。
     同時に市民は、「多くの市民は政府を実際にはコントロールできないし、政治に自分の声は届かないと感じている。先進民主主義において多くの有権者の投票行動の動機となっているのは、自分らの声が聞かれているという確信ではなく、もはや自己統制の主張を認めないシステムに反対投票をしたいという思いなのだ。」
     これは現代の民主主義の状況をかなり的確に捉えているように思う。。そして、そこに入り込むのがポピュリズムである。

    ここまで読んできて、最終、この本の結論は、「ポリスの生活」「リベラリズムが促進した、孤立し非人格化された生活とは異なるように、善意の人々の努力で他にないカウンターカルチャーの共同体を作ること。」
    勿論、筆者は、「リベラリズム以前の時代に回帰するという単純な話ではない。」とは言いつつも、やっぱり「リベラリズムが促進した、孤立し非人格化された生活とは異なるように、善意の人々の努力で他にないカウンターカルチャーの共同体を作ること。」は、どうしても具体的に思い描くことができなかった
    一歩間違えると、「旧き善き道徳」を懐古しているおじさんの嘆きみたいに聞こえてしまう。

    リベラリズムへの疑問と同時に、それに代わるものを構想することは難しい。

    ----------以下、本書のまとめ--------------

    【序 リベラリズムの終焉】<リベラリズムは失敗した。リベラリズムを実現できなかったからではなく、リベラリズムに忠実だったから。>
    元々、リベラリズムVSファシズムVS共産主義で、ファシズムと共産主義が瓦解したから、リベラリズムの一人勝ちとなっている。ただ、リベラリズムは失敗した。リベラリズムを実現できなかったからではなく、リベラリズムに忠実だったから。
    個人の自由を実現するためのリベラリズムは、現実にはとてつもない格差を生んでいる。
    〇政治面:小さな政府を志向し、個人の自由を重視するのがリベラリズムだが、国民は政府の介入を求め、政府はそれに歯車のように応じる。これによって介入の範囲を広げていく。その一方、政府と国民の距離は開いていく。
    〇経済面:リベラリズムの補助役でエンジンでもある経済システムは、人々のコントロールから離れている。
    〇教育面:絶えず競争を求められている。ただ、グローバル化し経済の競争が激化する世界では、そのほかに選択肢がない。リベラルアーツは衰退する。
    ・科学技術:科学プロジェクトに付随して生じた問題を解決しながらも、いまだに、科学が人間を限界から解放できるという矛盾した見解を捨てていない。

    【第一章 持続不可能なリベラリズム】<近代リベラリズムは、道徳・規範すらも解体する。解体された規範・道徳の」代わりは国家が担う>
    古代のリベラリズム:それぞれの宗教や社会の中で必要とされた規範や徳性を前提に置いていた近代からのリベラリズム:宗教や社会の規範の中で、不合理なものを解体すること。
    その前提は以下の3つ
    ① 政治を「上」への願望ではなく、「下」への信頼に根ざすものにしようとしたこと。
    「公益」と政治的調和を求める高尚な訴えをするより、国内の異なる階層に各々の特定の利害を守ろうとする「激烈な争い」をさせて、それぞれが他を抑えるように仕向ける。
    ②徳性の修養を支えるのに必要不可欠であると考えられ、そしてそれ故に専制政治からの解放のための前提条件とされていた規範を、抑圧や恣意性、制約の源と見るよう仕向けたこと。
    ③政治基盤と社会規範に修正が必要であるなら、人間を支配・抑制する自然も克服する。

    リベラリズムによる変革は以下の2つ
    ①政治の基礎を主意主義の考え方におくこと。
    個人が束縛を受けずに自立した選択をすること。例:ホッブズやロックは、「自由な個人」を基礎に置いている。
    ②自然の支配。自然科学。さらには経済システムをも取り込む。
    利己的で所有欲に囚われた人間の本性も役に立つように仕向ければ経済や科学のシステムを牽引する。

    個人が解放されるから、社会規範が権威を喪失していく、国に対して社会規範を根絶するように要求する。その結果実定法を課すことによって行動を規制する必要性が高まる。
    リベラリズムの創始者は押し並べて社会規範が存続することを前提にしていたが、そもそもそうした規範すら壊されていく。リベラリズムのプロジェクトが、つまるところ自己矛盾していて、それまで頼りにしてきたモラルと物質の貯蓄のいずれの低減にも行き着く。

    【第二章 個人主義と国家主義の結合】<共和党は経済的自由のために国家の権力を求めるし、革新的リベラリズムは個人の自由の拡大のために国家の権力を求める>
    現在のアメリカ
    共和党:古典的リベラリズム(小さな政府)
    民主党:革新的リベラリズム(大きな政府)
    ただ、そのどちらも、個人の解放を基礎としている、その観点から考えると、どちらも政府の権力という観点では、矛盾した立ち振る舞いをしている。

    ・古典的リベラリズム
    小さな政府を志向しつつも、現代世界で個人主義を実践する主要な手段である世界的「自由市場」を異口同音に支持している。この市場は「自由競争」の名の下に正当化されていながら、実際には国のエネルギーや介入、支援に依存している。

    ・革新的リベラリズム
    一貫して個人の解放を求めてきた。逆に革新的リベラリストは拡張的な国家は個人の自由の擁護者だと熱弁を振るいながらも、風俗習慣とモラルの強化となると、国家の干渉を抑えるべきだとしている。

    結果的には、リベラリズムは、中央集権化を進める国家とは敵対関係には全くなく、国家を求めているし、むしろ同時にその権力を増大させてもいる。国家と個人の中間の領域がなくなってきている。
    保守的リベラリストは、家族の価値や連邦主義を擁護していると主張しているが、規制緩和やグローバリゼーション、経済格差の擁護といった経済的リベラリズムを進めている。革新的リベラリストは個人の自由を拡大させつつ、大きな政府を志向している。

    【第三章 アンチカルチャーとしてのリベラリズム】<リベラリズムは文化を「破壊する」>
    文化を壊すリベラリズム。

    リベラリズムは自分が生きているあいだの損得だけを考える、刹那的で利己的な喜びを満足させることにばかり目を向ける傾向。
    特殊性と多様性に満ちた世界にも、のべつまくなしに均質な基準を押し付けようとする。現代政治は地域の多様性を黙認できない。

    リベラルな個人主義は文化の解体を要求する。文化が消えゆくにつれてリヴァイアサンが巨大化し、責任を伴う自由が後退する。

    【第四章 技術と自由の喪失】<リベラリズムは、技術の発展を順調に実行させる「オペレーティングシステム」>
    今のリベラリズムは、自由は、望みを全て自由に追求して良い状態のこと。
    技術の発展を止められないと私たちが思っているのは、逆に、リベラリズムという政治技術というオペレーティングシステムによってさまざまな技術的プログラムが順調に実行できるような環境が作られている。
    facebookによってアメリカ人は孤独になっているが、その孤独は、そう望んだから。個人の自由を望んだから。

    アンマン派と呼ばれるプロテスタントの一派は、反技術主義であるが、それは彼らの政治信条に則ってのこと。彼らは保険に入らないが、それは共同体としての互助を重視しているから。逆にアメリカ人が保険に入るのは、共同体主義を捨てて、個人と保険会社の関係に終始するから。

    【第五章 リベラリズムvsリベラルアーツ】<欲望や欲求から自由を獲得するための「リベラルアーツ」は、個人が自由である、という前提である社会では必要ない>
    リベラリズムがリベラルアーツを破壊する。
    近代以前は、自由は得るものだった。自由とは自己統治と自制を身につけた状態。心の中の暴君である欲望や欲求から自由は獲得するもの。そのためにリベラルアーツがある。
    現代は、人間は初めから自由であるものと考えられている。欲求への制約がないことを自由とする解釈が支持されるようになる。それであれば古典的な文献を読むよりも「STEM」教育が重要視される。

    【第六章 新たな貴族制】<リベラリズムはエリートを生み出す。その結果によるエリートによる強者の支配>
    リベラリズムの道具と化した教育システムも、やはり、強者が弱者に君臨する新しい貴族性を生み出している。

    ・新しい貴族制のルーツとしての古典的リベラリズム
    リベラリズムは旧来の貴族階級と敵対し、その代わりになるものとして正当化され大衆の支持を得ていた。しかし、新たな貴族制を作り出している。
    ただ、成長する社会であれば、皆が「まし」な生活をできるので支持されてきた、が、この成長はいつまで続くのだろうか。

    ・強者の支配
    リベラリズム、エリートの解放による強者の支配。

    【第七章 市民性の没落】<リベラリズムは反民主主義すら生み出す>
    リベラルデモクラシー→国民は統治しない代わりに自由な個人として物質的に恵まれ軍事的に有利である暮らしに満足する。公的な物事よりはプライベートを、公共心よりは私利私欲を、公益よりは個人の意見の集積を。

    多様性によって個人の自由を確保し、それによって権力や党派を分裂させれば、市民の間に無関心と私生活主義を植え付けることができる。

    ・非リベラルデモクラシーの正しい理解
    そうした中で重要になるのがタウンシップ。
    市民の無関心の改善のためには、地方が実際の自己統治を広げられるように中央政府の権力を大幅に制限する必要があるのだが、そのことはまともに考えられたためしがない。


    【結論 リベラリズム後の自由】<どうすればいいのか。リベラリズム以前の世界に戻るのではなく、新しい文化の誕生を>
    リベラリズム以前の時代に回帰するという単純な話ではない。

    「自由」という言葉は現代の根本的な誓約であると捉えられている。だが、人生のかなりの部分で自由は交代しているのではないか。多くの市民は政府を実際にはコントロールできないし、政治に自分の声は届かないと感じている。先進民主主義において多くの有権者の投票行動の動機となっているのは、自分らの声が聞かれているという確信ではなく、もはや自己統制の主張を認めないシステムに反対投票をしたいという思いなのだ。と同時に、消費者の選択といった領域の自由は飛躍的に拡大して、いつまでも充足できない渇望を満たすために、多くの人が身に余る負債を抱えている。市民としての潜在能力を保証されながら、政治的弱者の立場に置かれている、深い隷属状態。

    リベラリズムは文化そのものが深い同意であることを見逃している。敬虔なアンマン派は、1年間若者を共同体から離して、どちらをとるか「選択」させる。しかし、リベラリストは、彼らを「解放」しなければ、と述べる。

    共同体の中で文化を支える慣習の構築、生活経済の普及、そして「ポリスの生活」、つまりは市民の共同参加から生じる自律の形。
    リベラリズムが促進した、孤立し非人格化された生活とは異なるように、善意の人々の努力で他にないカウンターカルチャーの共同体を作ること。
    新しく現実的な文化の創造に目を向けて地域の環境で育まれる慣習、家庭内の高度な技術に根差した経済、ポリスでの市民生活の実現。
    リベラリズム後の自由を想像し築き上げる。

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    2026年10月25日
  • リベラリズムはなぜ失敗したのか

    Posted by ブクログ

    世界の状況を知ろうシリーズ。農村のような社会から始まり、4大文明を経て、ローマのような帝国(王政、帝政、共和政)からの、中世、キリスト教支配、ルネッサンス、再びの覇権主義、2つの対戦を経ての民主主義の誕生と普及により、「歴史は終わった」と言わしめたリベラリズム。これが世界中で揺らいでいる。強権的・独裁的なリーダーが増え、社会の分断、格差、多様性の排除が進む。本書では、これらは全てリベラリズムが成功した結果であると分析する。究極的には個人の自由を尊重する考え方であるだけに、あらゆるルール、慣習、規範等からの自由を目指すと、格差は生まれるし、多様性が尊重されるようで相対主義がまかり通る。社会の意思決定者はこのような社会システム上で権力を手にしたリベラルクラッツと言われる「上級国民」となり、ますます格差が広がり、社会は不安定化する。アメリカの状況を見れば一目瞭然であり、日本が追いかけているとなると今後が不安。古き良き道徳観や、和をもって尊しとなすという教えが今必要な気がする。

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    2026年04月12日
  • リベラリズムはなぜ失敗したのか

    Posted by ブクログ

    難しくて、消化しきれていないが、問題意識には共感出来る。リベラリズム自体が何なのか勉強する必要があるが、著書によれば近代以前のリベラルアーツと近代のリベラリズムでは自由の捉え方が異なる。リベラリズムは、共同体や文化から個人を切り離し、欲望を律する必要のない世界を作りだした一方で、結局、より大きな権力に依存することになる。リベラリズムは成功したが故に、失敗したという。
    また一つ深掘りしたいのは近代政治システムについて。マディソンは合衆国憲法を作った際に、民主主義、特に直接民主主義の愚かさ、脆さに気付いていたという。個人が政治に参画しないよう、無関心になるように政治システムが設計されたというが、それは本当か?日本での政治の停滞感、シルバー民主主義への諦観などを考えると通底するものはありそうだ。

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    2026年08月13日
  • リベラリズムはなぜ失敗したのか

    Posted by ブクログ


    パトリック・J・ディネーンのこの一冊は、現代リベラリズムに対する最も鋭い批判のひとつだ。タイトルにある「失敗した」という言葉は意外なことに、リベラリズムが「成功しすぎた」ことこそが問題の本質だと著者はそう断言する。

    ◾️逆説の核心

    個人を伝統的共同体や慣習から解放するというリベラリズムの約束は見事に実現された。しかしその代償として、国家と市場という新たな巨大機構への従属が生まれ、格差の拡大、人間関係の希薄化、環境破壊が加速した。私たちは本当に「自由」になったのか、それとも別の形の隷属に置き換わっただけなのか。

    ◾️個人主義と国家権力は共犯だった

    多くの人が信じる「小さな政府=個人主義」という図式は幻想にすぎない。ディネーンは、個人主義がむしろ中央集権的国家を必要とし、両者が手を組んでリベラリズム以前の共同体を解体してきたと指摘する(84頁)。アメリカ建国者、特にマディソンはこの仕組みを意図的に設計した(130-132頁、205-209頁)。

    ◾️現代政治の停滞を説明する

    だからこそ、保守派が小さな政府を実現できず、進歩派が私的領域への介入を止められないという現在の状況も腑に落ちる。左右両派とも、同じリベラリズムという同一前提の内部で動いているにすぎない。

    ◾️行き着く先

    このまま進めば、自由・平等を掲げながら、実質的には行政国家と監視体制に支えられた「軟らかい専制」へと変質するだろう――ディネーンはトクヴィルの予言を現代に蘇らせる(220頁)。

    ◾️唯一の希望とその限界

    著者は古典的教養教育の再興を提唱し、真の自由とは欲望を抑制する能力にあると説く(163頁)。しかし、誰もが自己実現と豊かさを求める現代において、この処方箋がどれだけ現実的かは疑問が残る。時計の針を戻すことは、もはやほぼ不可能に近い。
    それでも本書は、現代社会の違和感に明確な座標を与えてくれる。「自由」という言葉が以前と同じ響きを失うほどの、静かな衝撃を残す一冊。政治哲学に関心のある人にも、格差や孤独に漠然とした不安を抱える人にも、お薦めしたい。

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    2025年12月12日
  • リベラリズムはなぜ失敗したのか

    Posted by ブクログ

    西側自由社会に生きる我々にとって、所与のものである自由主義そのものに問題がある、と認識を根底から崩してくる本。非常に興味深く、また危険な書だ。
     ここでいう自由主義=リベラリズムとは、カマラ・ハリスが大統領選で訴えたものではなく、ましてや日本の「リベラル」の浅薄なものではない。ホッブスやロック、ミルの提唱したそもそもの自由主義である。
    著者はリベラリズムは、個人を元来自由なものであるから、その生得の自由をどこまでも伸ばすとともに、自由に制限をかける従来のシステム(国家や宗教、家庭、慣習など)を破壊することが目的である、と論ずる。その結果、暴走した欲望がかつてないほどの経済的格差を生み、地域社会が破壊され人々は根無し草となり、政治的に無知な大半の人々は政治的自由はあっても政治的影響力を振るうことができず不満を抱くこととなる。
     この論旨は、驚くほど現在の状況に合致する。富裕層のロビー活動によってますます富めるものとそうでないものの経済的格差は開き、行き過ぎた自由のもたらすモラル崩壊が電車の中とか、公共の場とかそこここで見られ、選挙の投票率は上がらない。(ちなみに自由民主主義とよく言うが、自由主義と民主主義は相容れない、という議論もなされている。自分の自由/欲望を叶えるために努力する一人のエリートよりも、凡人百人のほうが民主主義的には正しいのだから)
     と、ここで迂闊にいや全くそのとおり、と膝を打ちたくなるところに本書の危険性があると思う。確かに経済的、教育、政治、社会が抱える諸問題は、そもそも現代社会の立脚点たる古典的自由主義に問題がある、というロジックは非常にわかりやすい。だからこそ、そのわかりやすさが故に、理解しつつ批判的精神を持って我々はこの書を読まねばならないと思う。
     それでも著者は最後にポストリベラリズムとして、リベラリズム以前に立ち戻る事はありえず、またリベラリズムが行き詰まっていた旧制のだはなどその功績は認めるべきであるとも記している。分断された人と人と、人と地域との関連性を復活させ、より発展した体制を築くべき、と前向きな言葉を持って占めている。
    盲信すべきではないが、そもそもの前提たる自由主義的考えを疑うことによって新たな視点を手に入れられる書。

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    2025年08月06日

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