あらすじ
あなたと私は違う。だから、一緒にいよう――。
『ふがいない僕は空を見た』『夜に星を放つ』の著者が、今を生きる人々に贈る感動作。
【各界からの反響続々!】
なんて誠実な小説なのだろう。今、この時代に、この本と出会えてよかった。――武田綾乃(作家)
白か黒かでしか断じない、この時代に絶対に有効な“あわい”の物語。――早見和真(作家)
何度も胸が潰されそうに痛かった。彼らの日々に、どうか幾重にも虹がかかりますように。――町田そのこ(作家)
その人の涙のわけを知らない。分からない。けど私たちは何かを思うことが出来るから見つめながら目を逸らさずに、あなたの話を聞きたい。――山本奈衣瑠(俳優)
【あらすじ】
中学二年生の桐乃は、団地での暮らしに憂いていた。
郊外にある古い団地群には、様々な国にルーツを持つ人が生活している。そのせいか桐乃のクラスは衝突が絶えず、ベトナム人のクラスメイト・ヒュウがいじめの標的になっていたのだ。
家に帰っても、母の里穂は団地に住む人々を国籍問わず日夜助けており、「娘の私より、他人を優先するんだ」という思いがどうしても消えない。この場所で生活することに対する桐乃の嫌悪感は、日々強まっていく。
そんな中、中学校で起きたとある出来事をきっかけに、桐乃はヒュウと話すようになる。ヒュウは、理由は違えども、桐乃と全く同じことを望んでいた。
「この団地から出て、遠くに行きたい」と。
はじめてできた友達、母とのすれ違い――。
桐乃・ヒュウ・里穂のそれぞれの視点から、社会に蔓延る様々な分断に翻弄される2人の“こども”が少しずつ“おとな”になるひと夏を描いた、ほろ苦くも大きな感動を呼ぶ、ある青春の逃避行。
【著者略歴】
窪 美澄(くぼ・みすみ)
1965年東京都生まれ。2009年「ミクマリ」で女による女のためのR-18文学賞大賞を受賞。受賞作を収録した『ふがいない僕は空を見た』が、本の雑誌が選ぶ2010年度ベスト10第1位、2011年本屋大賞第2位に選ばれる。また、同年に同作で山本周五郎賞を受賞。12年『晴天の迷いクジラ』で山田風太郎賞を受賞、19年『トリニティ』で織田作之助賞、22年『夜に星を放つ』で直木賞を受賞。他の著書に『夏日狂想』『タイム・オブ・デス、デート・オブ・バース』『夜空に浮かぶ欠けた月たち』『ルミネッセンス』『ぼくは青くて透明で』などがある。
感情タグBEST3
このページにはネタバレを含むレビューが表示されています
Posted by ブクログ
わたし自身、“ガイジン”の立場を経験したことがあるので、共感できる部分はたくさんあった。言葉がわからないと目の前で悪口言われてても理解できないし、むしろニコニコとかしちゃって、後から意味を知って落ち込むってことがあったなぁ……。
それはさておき、桐乃ちゃんのお母さん酷すぎるよ。あんなに何度も何度も裏切られてちゃ、そりゃ子どもも心を閉ざすよな……。すったもんだあって最後は母子の関係が丸く収まった風に見えて、結局桐乃ちゃんが諦めた感じだったのも切なかった。
Posted by ブクログ
読み進めるのが苦しかった。
桐乃もヒュウも、その境遇の中で生きていこうとする姿が痛々しくて…。
でも中学生だから自分の人生を受け入れて生きていくしかない。
ヒュウがだんだん悪い方へ引きずられていってしまうのとか、もうどうしようもないなと側から見てて感じた。
何かしてあげられたか?と言われると、もうそうなるしかなかったのかな、なんて。
私自身はまだ外国人が身近じゃない世代、場所で育って、周りは日本人だらけが当たり前だった。
桐乃みたいに、当たり前に周りに外国人がいて、言葉も通じない中一緒に学校生活を送って…ってこれから増えていくのかな。
環境を選べない子供達が、辛い思いをすることがないといいな…。
桐乃とヒュウが家出をして自分達なりに色々と考えることができたのは良かったと思う。
でも、それを美化しちゃいけない。
私はやっぱり桐乃の母が許せなかった。
同じ母として、なぜ母でいられないの?って。
子供に依存しすぎだし、自分勝手だし、桐乃の方が許してくれたのではなく、あれは母という存在を諦め見放したんだと思う。
家出までされて、それでもこの人は変わらないのかと思うと…父親もいまいち頼りないし母への苛立ちは募るしで、イヤーな読後感だった。
Posted by ブクログ
主人公の桐乃と、同級生のベトナムルーツ日本生まれで日本語が苦手な少年ヒュウと、桐乃の母親の里穂の3人の主観から紡がれてゆく物語。
在日外国人の問題はもちろんですが、個人的には母子の問題として読みました。
里穂、ヒュウの母親、どちらも子供からしたらきついです。
夫に捨てられたシングルマザーのヒュウの母親が、日本で朝から晩まで働いて子供に目を向ける余裕がないのは、現状から見たらやむを得ない部分はあるのかなと思いました。でもあと数歩で完全なネグレクト。
対して桐乃の母の里穂は自分から、視界の中央に困っている外国ルーツの人達を置いて、やりすぎるお世話・お節介をするイネイブラーに見えます。
グエンさんの言う通り、お節介は最小限にしないと本人たちの経験値があがりません。
そして、大切なはずの娘、桐乃は視界の隅、時には見切れてしまっている。そんな母親。
自らの拘り、生き方の選択によって、子供がまきこまれています。
過去に何があっても、家庭をもったなら、家族や子供が中心でないというのは、子供側にとってはとても切ない事だと思います。
いわゆる毒親との違いは恐らく里穂の考え方。
桐乃の反抗に対して、子供を悪者にするのではなく、自覚して反省する所。
でも子供からしてみたら愛情や承認欲求を満たしてもらえない点では同じだし、
親側が子供にいつか分かって欲しいと承認を求めるあたりは親子逆転していると感じました。
精神的に未成熟な子供が親からの愛情を求めるのは当然のことで、
桐乃が寂しい気持ちで育ってきて、愛情が満たされずに反発してしまうのは当然だと思うし、
反抗してグレたりもせず成績優秀で己の将来のビジョンに向けて勉強をするものすごく良い子で、そこに感謝することもないほど娘を見ていない里穂という母親にイラっとしました。
全般に、ベトナムスーパーのグエンさんの言葉が的確で、作者の見解なのかなと思いました。
ヒュウと桐乃が家出をしたことは、親子関係を打開する意味ではこの時期に必要な事だったのかなと思いました。
きっとそれくらいしないと親側は分からなかったと思うから。
ただ、何をしても分からない親は子供の性質のせいにするから、その面では悪人はいない所が救いだと感じました。
Posted by ブクログ
大人から見たら何とでもなるような事が子供の世界ではとても困難なことに思えたり、未熟な子供ながらにたくさんのことを考えていたり。
大人同士でも分かり合えないことだらけで上手くいかないこともたくさんあるけど、相手を理解しようと考えたり、他の選択肢を選んだり出来る。
小さな世界観で生きてる人は大人でもとても窮屈で退屈。
他者を変えることはできないから、自分が納得できる範囲で自分を変えたり選択していかなくちゃいけない。ってわかっててもちょっかい出してくる人はどこにでもいて面倒。
私が日本で接するコンビニの店員の外国の人たちは皆んな笑顔で優しくて本に出てくるような苦労は微塵も感じないけれど、たくさん嫌な思いをしているのかな、なんて考えた。
どこにでも嫌な人はいるし、人を見下すことでしか自分のアイデンティティを保つ事ができない人も多いと同じ日本人でも感じることは多いから、キツイだろうな。
この小説の最後は良いようにも悪いようにも取れるけど、私はこの先に明るくて前向きな未来があるって思いたい。