あらすじ
効率や合理性が重視され、あらゆる場でシステム化が加速する現代。一方、昭和の時代を支えた昔ながらの商い、手仕事や職人たちが、姿を消していった。
炭焼き、三助、チャンバラ劇団、行商、紙芝居屋……変化とともに、人間同士の関わりやぬくもりが失なわれていないだろうか。
約120の職に就き昭和を生き抜いた放浪詩人高木護の生涯を軸に、消えゆく仕事と携わる人々の姿、今なお現場を守り続ける職人の思いとドラマを描き出す。
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Posted by ブクログ
九州を舞台にした昭和の仕事のカタログ。
2〜3行の解説も多いので、パラパラめくって、気になる仕事を読んでみた。
縁遠いことの説明が少ないとイメージしにくいが、当時を経験した人が読むと、物足りなさを埋めてくれるかもしれない。
Posted by ブクログ
本屋で見つけた。かつては温泉で背中を流す「三助」といった職種が存在したように、職業は栄枯盛衰でかる。
翻って現在、高収入傾向のあるホワイトカラー職も、本当に必要なのか?というフェーズに入っているんだろうなと。そもそもAIで出来るなら人間のやる意味って何?という話は今後更に出てくる。
仕事の生産性を追い求めた時に、本当に24時間働ける機械に人間が勝てるわけがない。なので既存の職業が消えて、新陳代謝が起きるのは当たり前である。
まだまだAIだと間違うとか人間じゃないと出来ないといった議論があるものの、結局ある程度の品質で安かったら、多くの人はそこまでの質を求めなくなるだろう。つまり、人間の職を代替するみたいな安直な話よりも、求められる品質の閾値が下がるところに技術革新の意義があると個人的に考えている。
ここで一つのヒントになるのが、人間臭いものなのかとしれないと考えている。上述した三助のように、ただ背中を流すのであれば、機械でも良いが、そこで生まれるコミュニケーションにこの職業の本質があるのであれば、価値はある。
かつてはホワイトカラーが台頭してきて、泥臭い職業が淘汰されたように、これからホワイトカラーに属するようなただ頭の良いだけ人間の価値は、AIの劣化版としてどんどん薄れていくんだろうなと。
これに関しては他人事ではいられないものの、まあそんなもんだよなというところもある。