【感想・ネタバレ】母の友2025年3月 特集「『生きる』を探しに」のレビュー

あらすじ

「母の友」、いよいよ、72年で最後の号です。特集は「『生きる』を探しに」。「生きる」は「母の友」創刊時からのテーマだったと初代編集長、松居直(1926~2022)が語っていました。それはなぜ? そして今の時代において、「生きる」とは? 童話欄は、小風さちさんによる『森の本屋』。紙版巻末付録は小西英子さんの絵本『ケーキ』カレンダーです。

*電子版には巻末付録のカレンダーはつきません。
*電子版にはP60-61は掲載されません。
*電子版では、掲載されないページ、マスキングされた画像が含まれる場合がございます。
*この作品はカラー版です。お使いの端末によっては、一部読みづらい場合がございます。

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Posted by ブクログ

 本誌の電子書籍版は表紙の画像があって、どちらで登録しようか迷ったものの、そこは紙の雑誌を読んだという拘りもあったので、こちらにしましたが、塩川いづみさんの表紙の絵は、「母の友」の72年間の歴史ともリンクしたものだっただけに残念です。

 ということで休刊前の最終号となりましたが、1961年からの4年間「母の友」の表紙を担当した宇野亞喜良さんの『描いたものが印刷に置き換わることで変容していくのが面白かった』や、梨木香歩さんの「わたしのストーリー」の『読み手がゆっくりと広場で憩う時間が持てる』例えに、紙の雑誌の魅力はあったのだと実感することで、本当にこれで良かったのだろうかという思いは正直残るものの、過去に掲載された言葉たちは(創刊編集長の松居直さんは、これをとても大切にされていた)、きっとこの先の未来に於いても必要とされる時が来るだろうと、私は思うので、ひとまず72年間お疲れ様でしたと書きたい。

 まあ最終号くらいは、ざっくりと私自身が思うことだけを書こうかなとも思ったのですが、やはりこれは掲載したいという気持ちもあってと、この中途半端感に私は生きていることを実感するのは、人がどうこう指摘するとかいうのをあまり気にしなくなったこともあるのかもしれない、私の『生きる』なのだろうということで、ご了承下さい。


 私自身「母の友」を読み始めたのは、ちょうど2年前で、きっかけは、今でもずっと気にかけて下さるブク友さんに影響されたので、別に本誌の昔からのファンとか、過去の連載陣を全て読み込んでいるという訳でもないのだけれど、それでも何冊か読んでみると、他の雑誌には無いような面白い視点が多いことに驚きと喜びを感じながら、更に大人になっても学ぶことはいっぱいあるのだなということに気付かされ、それ以降、ずっと読むようになる。

 また、そう感じたことの要因の一つに、これまで知らなかった素晴らしき執筆者たちとの出会いも私には重要で、本誌の最後の特集は「『生きる』を探しに」だけれども、既に連載のタイトルからして、その人自身のそれが表れているように思われたのが面白くて、それは、長田杏奈さんの『私のきれいは私が決める』に、コウケンテツさんの『やさしくいきましょう』、小林エリカさんの『母の冒険』に、小川たまかさんの『自由のほうへ行くために』と、見事に人それぞれで様変わりすることに、人の生き方に縛りなど無いことを教えてくれた。

 そして、更にそれを幅広く感じられたのが多彩な特集に於ける多彩な人選であり、それは児童問題や家庭環境問題に詳しい方だけに留まらず、作家、漫画家、エッセイスト、学者、写真家、イラストレーター等々、特集を読む度に誰かしらの考えにハッとさせられるのも、その多彩さにあるのではないかと、私は思うのである。

 例えば、本誌の最後の特集にしても、生きるということを実感するというのは、本当に様々なんだなということが分かり、理学博士の中村桂子さんの『わからないものとわかっているものを比べるなんて、人間が全てわかったつもりになっているような気がします』には、AIの存在が幅をきかせ始めた今の世の中に対する警鐘とも思われた、その一方で、漫画家の鶴谷香央理さんの甥っ子が、自転車を走らせながら外から大声を出して彼女に呼びかけつつ、そのまま去って行くだけの展開に、「ああ、毎日こうやって伝えたい気持ちが止まらないんだろうな」と、爽やかでほのぼのとした気持ちにさせられた、これも甥っ子にとっての『生きる』ということなのだろうと思う。

 そんな中で私が最も印象に残ったのは、絵本作家の五味太郎さんの言葉で、言葉遣いはやや悪く感じられるかもしれないが、だからこそ本音で話されていることも実感できた、そこには『好きに生きる』ことと『人の数だけ存在しそうな膨大な数の物語』との関係性を知ることで、別に全てに共感できなくたっていい、それが人なんだからという、人という存在の多彩さに垣間見えそうな人の奥深さを悟ることで、自分の奥深さの可能性もまだまだ追いかけて行きたい気持ちになることができたというか、その助けとなりそうなのが絵本や本といった『物語』にあるのではという、五味さんの視点に大きな共感を覚えた。

 その他にも、「読んであげるお話のページ」の店主があの方に見えてくる、粋な計らいがあったり、「中川李枝子」さんの追悼特集では、そのお人柄の良さを(天真爛漫さがあるのも素敵)、彼女の担当編集者だった井上博子さんの言葉で掲載されていたのが嬉しかった上に、極め付けは「母の友」連載著者のみなさんが『生きる』をテーマに選んだ、おすすめの本が紹介されていることで、これは読んでみようと思うものが多かった。


 最終号ではあったものの、連載の中ではそれだけに固執せず、寧ろ、普段通りの雰囲気だったことに救われた気持ちとなる。

 そして、未来への架け橋として、川内倫子さんの写真「三月の光」で明るく輝く、希望と可能性に満ちた存在、小幡彩貴さんの「Kinderszenen」の、ここで終わるわけではない美しくも切ない場面には、新たな出発という意味もありそうで、こうした繰り返しで、これからもきっと、人それぞれの『生きる』を模索していくのでしょう。

 72年間、ありがとうございました。
 またお会いできる日を楽しみにしております。

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2025年03月02日

Posted by ブクログ

ネタバレ

・人間は「生きもの」です。わからないことに生きものであることの意味があるのです。

・生きものは手をかける、その関係性に意味がある存在です。手がかかるからこそ、かわいい愛しい存在なんです。

・世間が押しつけてくる「こうすべき」という物語から逃れて、自分の物語を生み出していくには、やはり力がいる。その力を鍛えるトレーニングというのが、絵本や本を読むということなんだろう。

・母が死んで空いた穴は、母の形をしているから、違う人でそれが埋まるわけはない。でも、その穴や周りを暖かい空気で優しく包み込むことはできて、夫と娘と友人がそうしてくれている。

・自分を育てるとき、強いちからとなるものに「憧れ」があると私は思っています。

・八つ当たりができる、謝れる、本音が言える関係が親子の間でも大事です。〜憧れると同時に、親が「生もの」だってわかってる。だから、つくろわずに、親も今の自分を生きていればいいんだと思います。

・カリブ海は小さな島々が集まっていて、潮の流れに身をゆだねていると、偶然何かに出会ったり出会わなかったりする。到達点があるわけではないまま、円環的に海にたゆたうこと自体を肯定する発想を、西洋の「弁証法」と対比して、ブラスウェイトは「弁”潮”法」と名づけました。

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2025年02月18日

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