あらすじ
好きと打ち明けたい。デートに誘いたい。病気の人を見舞いたい。身内を亡くした人にお悔やみを伝えたい。そんな時、どうしたら自分の気持ちを率直に伝えて、相手の心を動かす手紙を書くことができるのか――。大作家が、多くの例文を挙げて説き明かす「心に届く」手紙の秘訣は、メールを書く時にもきっと役立つ。執筆より半世紀を経て発見され世を瞠目させた幻の原稿、待望の文庫化。
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Posted by ブクログ
狐狸庵ものの先駆けなる、手紙の書き方を中心とした軽妙なエッセイ。死後発見された原稿ながら、昭和三十五年ごろの、新婚で幼い長男を抱えた遠藤周作が肺結核を患っていた頃のものらしい。
男性読者を想定したものでもあり、かなり時代は感じさせるし、すごく腑に落ちながら読んだわけではないが、「読み手の身になって」書け、という一貫した主張も時に語られる人間心理も普遍的なものである気がした。恋文書く側は男性編で、断る側は女性編と銘打たれているのが、昭和というより平安時代の古典常識だなと思った。森鴎外は『雁』で、「見られる」女から「見る」女への転換と挫折を描いたけれど、このエッセイでは一貫して女は受け身。その辺が特にこの作品の古さを印象づけていると思う。良い悪いではなくて、そういう時代だったんだね、っていう。古さでいうならモガとかモボとか死語だし。まず候文で手紙を書く発想はそもそもない。
私は手紙を書くのは好きな方だけど、こうして見ると昔はこんなに手紙が身近なものだったのかって驚く。メールやLINEが発達した今、もはや手紙自体が絶滅危惧種だし、そうするとここで筆者が述べていることの半分くらいは絶滅危惧種属性だけれど、メールでもLINEでも対面のコミュニケーションでも、要するに相手の立場に立って相手との関係性を考えながら、紋切り型でなくやりとりをするのが血の通ったコミュニケーションよね、って思う。
あとあたかも当然のように書いてるけど、手紙を送られたら嬉しいものだろう!っていう前提に立っているのが力強い。メールでもLINEでも、迷惑じゃない?って考えがちな私としては、そこそんなに自明視して大丈夫そう?って若干心配になる。