あらすじ
戦争末期の恐るべき出来事――九州の大学付属病院における米軍捕虜の生体解剖事件を小説化し、著者の念頭から絶えて離れることのない問い「日本人とはいかなる人間か」を追究する。解剖に参加した者は単なる異常者だったのか? いかなる精神的倫理的な真空がこのような残虐行為に駆りたてたのか? 神なき日本人の“罪の意識”の不在の無気味さを描く新潮社文学賞受賞の問題作。
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Posted by ブクログ
再読。神を持たない日本人の良心のあり方が描かれている。神なきがゆえに、罪を罪として拒絶することもなく、罰を受けることもないかわりに救いもないような。アメリカ人の捕虜を生体解剖して殺した、そのことへの呵責に苛まれる勝呂はまだ良心があって、罪の呵責を背負って生きている。彼にはまだ救いがある気がするけれど(その救いは描かれてはいないけれど)、全てに無感動で己の出世のことしか考えないような医師たちには何があるんだろうか。呵責の念の起きない戸田は戸田で、何も感じない自分を不気味に感じ、勝呂がうらやましいのだと思う。寂寞とした海鳴り。
作品冒頭では、腕は良いが機械的で人間味を感じさせない変わり者として登場する後年の勝呂が、本当は一番人間味がある。
Posted by ブクログ
この本のモデルになった、当時研修医として実験に参加していた先生が昔近所にいらっしゃって、時々講演会をしていた
それをきっかけに親から勧められて読んだ本。講演会も行ってみるかと聞かれたけど当時高校生だったのでなんとなく怖くて断ってしまって。大人になってから行ってみたいなと思ったけれど先生は最近亡くなってしまったようで、今になってそれをすごく後悔している
こうやって戦争の体験を直接経験者の方から聞ける機会って、これからどんどん失われていくんだろう
そしておそらく、私たちはその最後の世代なんだろうな。
この本に登場する人物は誰も極悪人ではないのに、一人一人が手に取るナイフや、時には一本のペンが誰かの命を奪うことになる。健康診断だと聞かされていた捕虜たちが、実験前に「Thank you」とお礼を言ったという話を聞いて胸が痛くなった。
なんの本だったのかは忘れてしまったのだけど、「なぜナチスは大量虐殺ができたのか」を解説した本に「一つ一つの行為をできるだけ細分化したから」という見解があった。それによると、「私は収容者たちを運んだだけだから」「ガス室のボタンを押しただけだから」といったように罪悪感までも分解する効果があるそうで。本作で題材にされている事件も要因はそこにあるのかなと考えた
Posted by ブクログ
この本を知るまで、実際の事件を全く知らなかった。病院で人が死ななければ、外では空襲で人が死ぬ時代。時代による影響が大きいのかもしれないが、「生」と「死」に対して、感覚が麻痺していたのだろう。戦争医学や結核患者を救うという名目の解剖だったのかもしれないが、軍医は捕虜の肝臓を欲しがったり、解剖に参加した看護師は、教授やその奥さんの事しか考えてなさそうだった。断りきれなかったものの、手術を目の前にして「やっぱりできない」と怯えてしまう勝呂は人間的で、解剖による良心の呵責を考える戸田も人間的に思えた。
Posted by ブクログ
『海と毒薬』は、人間の醜さをこれでもかというくらい見せつけてくる小説だった。しかも、「こんな残酷な人間がいる」という描き方ではない。登場人物たちは、どこにでもいそうな普通の人間に見える。自分を守りたい、面倒なことには関わりたくない、周りに逆らいたくない。そういう誰にでもありそうな感情が少しずつ積み重なって、禁忌を犯してしまう。
一方で、作中で描かれる解剖そのものには、思っていたほど強い衝撃を受けなかった。
もちろん、当時この作品が書かれた時代を考えれば、生きた人体を切り開き、実際に手を動かしていく描写は、かなり衝撃的で倫理に反する行いだったのではないかと思う。
しかし、現代に生きる自分は、ホラー映画やスプラッター映画などで、もっと直接的で刺激の強い映像に慣れてしまっている。そのせいなのか、解剖の場面を読んでも「思ったよりパンチがない」と感じてしまった。
ただ、その感覚と、解剖を前にして苦悩する登場人物たちとの間にあるギャップが、逆に印象に残った。
読み進めるうちにじわじわと恐怖や嫌悪感を感じさせられる。まさに手に汗握るように。それはやはり、遠藤周作の丁寧な心情描写によるものなのだと思う。
描写として強烈に残ったのが、病院の匂いだった。
病院の描写というと、白い壁やベッド、医療器具など、目に見えるものを想像しがちだけれど、この作品では匂いが妙に記憶に残る。消毒薬のような匂いや、病院特有の、生きている人間と死に近い場所が混ざったような匂い。
匂いという目に見えないものをここまで具体的に感じさせる描写が印象的だった。読者に不快感を抱かせながら、その不快感さえも作品の空気として取り込んでしまうところに、遠藤周作の巧さを感じた。
文章を読んでいるだけなのに、病院の空気が鼻の奥に入ってくるような感覚がある。そして、その匂いが作品全体の不穏さとものすごく合っている。
病院は本来、人を治すための場所なのに、そこには常に死も存在している。その空間の中で、人間の命を扱うはずの人間たちが、少しずつ倫理から外れていく。その対比もかなり不気味だった。
何より怖いのは、この作品が「人間は残酷だ」と単純に描いて終わらないところだと思う。
登場人物たちは、最初から特別に残酷な人間だったわけではない。弱かったり、臆病だったり、周りに流されたり、自分を正当化したりする。そういう、むしろ普通の人間らしい部分が、状況によって恐ろしい方向へ向かってしまう。
そのため読んでいると、「なんでそんなことができるんだ」と思う一方で、「自分だったら絶対に違うと言えるのか」とも考えさせられる。
解剖の描写そのものよりも、むしろその後に残ったこの感覚のほうが、私にはずっと怖かった。人間が自分の弱さによって倫理を手放していく過程とは、実に緩やかで自然な現象なのだ。
心の中にずん、と重いものが残ったような読後感もたまらない。その「嫌な感じ」こそが、この作品のすごさなのだと思う。解剖という題材の刺激よりも、人間の弱さや醜さを生々しく見せつけられることのほうが、ずっと後を引く。
『海と毒薬』は、人間を嫌いになりそうなほど人間そのものを描いた小説だった。素晴らしい作品だった。
Posted by ブクログ
読み始めてまず印象に残ったのは、作品全体に漂う独特の不穏な空気だった。ミステリーというわけではないのに、先に何が起こるのかという緊張感がずっとある。読み終わってから振り返ると、冒頭の外国人のマネキンに対する独特な表現や、ガソリンスタンドの人間などが口にする「戦争に行ったのだから、人を殺したことくらいある」というような言葉も、後に起こることをどこかで暗示していたように思えて、何気ない描写の一つ一つにゾッとした。最初からすべてを理解していたわけではなく、読み終えた後だからこそ意味が変わって見えるところが面白かった。
もっとも、この作品を読んで一番考えさせられたのは、やはり「良心とは何なのか」ということである。人体解剖という題材だけを見ると、人間を解剖することの倫理性を問う作品のようにも思えるが、実際に描かれているのはもっと複雑なものだと思う。なぜ人は、自分では間違っていると思っていることに加担してしまうのか。何をもって「これはやってはいけない」と判断するのか。その判断を支えているものは何なのか。そこまで掘り下げている作品だと感じた。
そのことを考えるうえで、勝呂の存在が非常に興味深かった。勝呂は最初から人命を軽視していたわけではなく、むしろ患者を救いたいという思いを持っている。だからこそ、人体解剖を拒むこともできたはずなのに、なぜ拒まなかったのかが気になった。
私は、勝呂は単純に「悪に染まった」のではなく、自分が信じていた正義や良心を、現実の中で維持できなくなったのではないかと思った。目の前の患者を救いたいという思いがあり、そのために努力していた。それでも救えない現実に直面し、自分の善意だけではどうにもならないことを知ってしまう。そのとき、「それでも自分は正しくあり続ける」というより、「もうどうにでもなれ」という方向に傾いてしまったのではないか。良心を捨てようと決意したというより、良心を信じること自体を諦めてしまった、と考えると勝呂の行動が少し違って見えてくる。
そこから、作中の「神」の扱いも興味深く感じた。日本人の多くは、宗教的な意味で絶対的な神を信じて生きているわけではない。そうだとすると、自分が何を守るべきなのか、何が正しいのかを判断する最後の拠り所は、自分自身の良心になる。勝呂にとって、目の前で救いたいと思っていた患者は、一時的にその「神」のような存在だったのではないかと思う。抽象的な神を信じるのではなく、目の前の現実の中から「自分はこの人を救うべきだ」という精神的な支柱を作っていた。しかし、その支柱を失ったことで、何を信じていいのかわからなくなった。カトリックを信仰する人物との対比も含め、絶対的なものを外部に持つ人間と、自分自身の良心を拠り所にするしかない人間の違いが描かれているように感じた。
上田看護師についても、過去の出来事が現在の人格にどう影響しているのかを考えさせられた。もしあのとき死産をしていなければ、彼女は違う人間になっていたのではないか。そう考えると、良心や倫理観というものは、最初から人間の中に完成された形で存在するものではなく、経験や喪失によって形を変えていくものなのだと思う。
そして、個人的にこの作品の怖さを最も感じたのは、登場人物たちが人体解剖に「いきいきと」積極的に参加しているわけではないことだった。むしろ、どこかおかしいと思いながらも、はっきりと拒絶するほどの強い信念がなく、なんとなくその場に流されていく。その「なんとなく」が積み重なって、最終的には人を殺すことにまでつながってしまう。ここは今の社会にも通じるところだと思う。人間は、必ずしも「悪いことをしよう」と思って悪いことをするわけではない。「おかしいとは思うけれど」「自分だけ逆らうわけにはいかない」「みんなやっているから」と判断を少しずつ他人や状況に預けていく。その結果、自分の中では一度も明確に「人を傷つけよう」と決意していないのに、取り返しのつかないところまで行ってしまう。
だから、『海と毒薬』を読んで最後に残ったのは、人体実験の是非そのものより、「自分ならどこで拒むことができただろうか」という問いだった。良心を持っていることと、良心に従い続けられることは同じではない。自分の中にある「これは間違っている」という感覚を、周囲や状況に流されずに最後まで守れるのか。
この作品は、人間の残酷さを描いているというより、むしろ人間が良心を失っていく、その過程の怖さを描いているのだと思う。だからこそ、戦時中の特殊な事件を扱った作品でありながら、読み終えたあとに残るのは「彼らは異常だった」という感想ではなく、「自分も同じ状況に置かれたらどうなるのだろう」という、少し嫌な問いなのだと思った。
Posted by ブクログ
葛藤や自分自身に対して噛み砕いて自分という人間を言語化してる事がかっこいいなと思った。
罪悪感の感じ方は人それぞれ。
戸田はサイコパスではないと思う。真人間だと思う。
僕はあなた達にも聞きたい。あなた達もやはり、僕と同じように一皮剥けば、他人の死、他人の苦しみに無感動なのだろうか。
Posted by ブクログ
悲しみの歌→海と毒薬
の順番で読んでしまって完全にミスった。
遠藤周作の作品は、「白い人・黄色い人」しかまだ読んでいなかったけど、今回読んだこのふたつの中でも一貫した「罪悪感」について描かれていておもしろかった
キリスト教的に損得勘定なく純粋な人、純粋な人にあてられて罪悪感に苦しむ人、何も感じられない人
この三種類の人間で構成しながら、無宗教の罪の意識とはどのようなものか深堀している
戦中に九州の医大で行われたアメリカ人捕虜の生体解剖実験の実話を元にして、1作目では関わった医師や看護師を用いて戦中の生命の無価値さと感情の鈍麻を、2作目ではその中の勝呂という医師を用いて戦中と戦後の比較をしながら罪悪感を描いていた
1作目も2作目も、海のように大きな潮流に流される人を正義感を持って糾弾する程の権利はあるのかを問うてたとおもう
芦田のキュゲスの指輪的に動かない自分の良心に共感してしまって、それが一番好きだった
社会からの糾弾や法的罰則がなかったとき、良心にしたがえる人は一体どれほどいるんだろう
勝呂は一見その人間に見えるが、良心はあるが時代という大きな流れに逆らえず、逆らう意味もみいだせず、流されていく1番日本人的なひとだとおもう
流産した看護婦の、寂しさと無力感で投げやりになって同性の汚いところを自分の中で次々と暴いていき、同性の想い人を自分の方が知っていることに対してマウントを取っている汚さもすきだ
相対的に自分が醜く見えるのも、自分が持ってない異性という幸せを享受してるのも、許せなかったんだろうな