あらすじ
★★2025年 浮世絵のブーム到来★★
江戸時代のある1日を舞台に、浮世絵を通して「食事、服装、住宅、買い物、レジャー、仕事」など、江戸庶民の生活の流れを江戸雑学とともに解説!
250年前にタイムスリップした気分で、江戸の1日を追体験♪
(「はじめに」より)
浮世絵というのは、「浮世」を描いた絵。では「浮世」とは何かといえば、ズバリ現世という意味です。
「浮」は浮かれるの「浮」。砕けた言い方をすればウキウキワクワクの「浮」。江戸時代を現世として生きる人々が、見ていて浮かれるような、今生きている世の中って、人生って悪くないなと思えるような、そんな絵が浮世絵なのです。面白くないわけがありません。
この本は、私が大好きな浮世絵をつかって「読者の皆様と江戸の一日を追体験したい」という気持ちで書きました。
難しいことは考えず、江戸人気分でウキウキワクワク、浮かれ気分で楽しんでください。
◆内容例◆
・イナセな男子が闊歩する! 魚河岸早朝の賑わい
・お江戸名物 大名行列とワンコ
・女子のモーニングルーティン
・花形職業☆鳶と大工のワーク・ライフ・バランス
・夏だ☆花火だ☆夜遊びのススメ
・火災発生! 俺たちのヒーロー・町火消が走る
・ナイトツーリズムの目玉!? 幻想的な漁火
など
その他、Q&Aで「江戸庶民に人気の旅行先は?」など、江戸生活の疑問にもお答え!
感情タグBEST3
Posted by ブクログ
江戸のトリビアみたいな話がいっぱい。
キノコ狩りのきのことは?一番人気の寿司のネタは?花魁の語源は?などなど。
庶民の生活の24時間を朝から夜まで紹介してる、軽く読める本でした
Posted by ブクログ
不定時法。明けと暮れを6つとして、その間を6等分する。夏と冬では時間が違う。それに対応した時計があった。
いなせ、とは、鯔背のようなちょんまげ。毛先をピンと立てて散らす不良っぽいアレンジのこと。転じて威勢がいいこと。魚河岸のお兄さん。
江戸に多いもの=伊勢屋稲荷に犬の糞。犬は共同で飼う街犬。ゴミを犬に食べて貰うことが街の清潔に繋がった。
お歯黒は既婚の印、虫歯を予防する効果があった。
店は明け6つ(夜明け)にアク。それまでに丁稚たちが開店準備をする。丁稚奉公は10歳くらいから。真面目に働けば暖簾分けもあって成功への道になった。
3代続けて江戸生まれ、は5%くらいしかいない。
浮世絵は、蔦屋重三郎によってプロデュースされた。
明け6つに門が開いて、行商たちが商売にくる。
ご飯は朝一度無く。汁物と漬物。ときには魚、野菜、納豆など。
朝風呂は男のたしなみ。火事が多いので内風呂は禁止。赤土のためほこりっぽい。朝晩に風呂に入る。
水は神田上水、玉川上水の水が上水井戸からくみ上げられた。または水売りの行商人から買う。
長屋は9尺2間。4畳半のたたみと1畳半の土間。
花形職業は、大工と鳶。食いっぱぐれがない。
男は1~3日起きに髪結いに通う。
識字率は都会では7~8割。
洗髪の頻度は女性はつき1~2回。
店先売りは三井越後屋が始めた。現銀掛け値なし。利息が付かない分安くした。店員は関東出身者は不採用。京都出身者。京言葉で接客させた。
女性のための口入り屋、きもいりやがあった。月極の囲い者は妾のアルバイト。
人気の寿司種はエビ、贅沢なのは卵焼き。
屋台は蕎麦屋が安い。一杯16文(400円)、トッピングがのると24文。
吉原は、朝泊まりの客を送り出すと一時閉店。昼から昼見世が始まる。休憩を挟んで、暮れ6つに夜見世が始まる。
歌舞伎はエンタメの王道。
夏は、王子の滝。不動の滝、など。
スポーツ観戦は勧進相撲。神事としての要素もある。
砂糖の量産体制が整ったため、和菓子はたいていのものはあった。
アルバイトは口入れ屋が紹介した。
籠は、一里約1万円。高価なもの。
居酒屋の定番メニューは、里芋の煮付け、マグロとネギの鍋。
一汁一菜+漬物がキホン。晩ご飯は冷や飯。
ろうそくが普及したのは江戸時代。
江戸時代は水路が多いので、蚊も多かった。蚊やが必需品。
冬は火鉢で小鍋を作った。火鉢がテーブル代わり。
江戸の町には門限があった。夜4つ。開くのは明け6つ。それまでは自由に出られない、他の町には入れない。
木戸番がいて、小商いをしていた。
瘧(おこり)という病があった。現代のマラリア。高熱と悪寒で命を落とす場合もある。正月の羽根つきは子どもを守るおまじない。羽は蚊を食べるトンボを見立てている。
吉原では、夜4つの拍子木を打たない。遊び過ごすと帰れなくなり止まることになる。
間男は殺されても文句は言えない。町奉行では私財。普通は示談になり、示談金は7両2分(約60万円ほど)と決まっていた。
刑場が街道沿いにあったのは見せしめのため。鈴ヶ森、小塚原、など。
7がつのお月見イベントの二十六夜待ち。オールナイトでお月見を口実に夜更かしをした。
衣類が古いことを丑三つと言った。
遊女は大変な仕事。人々はさげすむことはない。親孝行な存在だった。
吉原の近くの土手には、夜間営業専門の夜明屋がずらりと並んでいた。町木戸が開くまで営業していた。