あらすじ
あの人より、上か、下か――
「差別や格差を無くして、様々な違いを持つ人々が全て横並びで生きていきましょう」となった昨今、表面上は序列、区別、差別は消えたものの、姿を変えた「凸凹」は、いまだ世の中のあちこちに。
『負け犬の遠吠え』『下に見る人』『男尊女子』『家族終了』など、時代を切り取る名著の書き手が、日本人の根深い階級意識をあぶり出す。
以下、「上に見たり、下に見たり」を考察する21章タイトル。
・男高女低神話のゆらぎ
・五十代からの「楢山」探し
・まぶた差別と日韓問題
・“親ガチャ”と“子ガチャ”
・東大礼賛と低学歴信仰
・『ドラえもん』が表す子供社会格差
・「有名になる」価値の今昔事情
・「ひとり」でいることの権利とリスク
・おたくが先達、“好く力”格差
・バカ差別が許される理由
・ミヤコとアズマ、永遠のすれ違い
・「かっこいい」、「ダサい」、「センスいい」
・超高齢化社会のおばあさん格差
・姫になりたい女の子と、姫として生まれた女の子
・デジタル下層民として生きる
・男性アイドルは無常の風の中に
・世代で異なる、斜陽日本の眺め方
・反ルッキズム時代の容姿磨き
・モテなくていいけど、出会いたい
・稼ぐ女と、使う女・遅ればせながらの金融教育
「人が二人いればすぐに上下をつけたくなる人間という生き物は今、もしかしたら本能なのかもしれないその「上下差をつけたい」という欲望を内に秘めつつ、「違いを認め合い、すべての人が横並びで生きる」という難題に挑もうとしています。
実は革命以上の困難を伴うものなのかもしれないその挑戦は、これからどうなっていくのか。
我々の生活の中に潜む階級の数々を見つめつつ、考えていきたいと思います」(本書「はじめに」より一部抜粋)
感情タグBEST3
Posted by ブクログ
読みやすいエッセイ。特に気になったのは東大礼賛と低学歴信仰の章。なぜ日本人は学ばなくなったのか、という別の本を同時進行で読んでいたのでその解として、金八先生の杉田かおるの兄役が東大を目指し失敗して自殺し、学歴よりも大事なものがあるだろという風潮になったというのは面白かった。
稼ぐ女と使う女という章も自分と母世代で仕事や家庭への意識の違いがあることをまざまざと実感した
Posted by ブクログ
普段、そこまで巷のあれやこれや、時代だの流れだのについて、あーだのこーだの語る機会が少ない中、酒井さんのエッセイは、近しい仲間とのたわいもない、あーだのこーだの議論(雑談)に近しいものと思いつつ、そこに気づきや知識が入ってくるので、さらにやめられない、欠かせない本になっています。昨今、会社での本当にくだらないこと、それはこと格差、階級が根幹にあることが多く、タイトルからグッときてしまったわけで。今後も息抜きできるエッセイを読ませて欲しいと切に思ってしまったのでした。
Posted by ブクログ
エッセイは、特に酒井さんのは旬の時に読むのが最適というのが結論。時間を経てから、ああそういえばあの頃ああだったなぁと読むのも有益だが、今を切り取って考察していると、なるほど!と大いに興味が持てる。それにしてもこの人の本は読むと疲れる。もちろんいい意味で。一生懸命頭を働かされるので疲れるのだ。特にウケを狙うということがないのでサカジュンさんは好きだ。とにかく差を無くそうという世の中だが、そうはいかない。それは人々は差別化が好きだからだ。社会的階級、性別、民族、収入、学歴、美醜。自分の位置に関わらず。
Posted by ブクログ
ほんと全て格差だらけだよね。推す力は私もほしい。好きになってもすぐ飽きちゃうから。本当羨ましい。でも簡単に身につくものでもなく。
階級を意識せずやると決めたことを頑張るしかないなぁ。
Posted by ブクログ
酒井さんが60歳近くで書かれた本だが、その感覚や視点は今20代の自分と変わらないように感じられ、人は歳を重ねても結局「人」であることに変わりはないのだな、と改めて思わされた。
Posted by ブクログ
社会の中の差別や格差について書かれているのでふが、着眼点がすごい!
特に私が驚いたのは、まぶた差別と日韓問題。そうそう、私も一重まぶたなんですよ。
著者は私と同年代なので、おっしゃっている事には激しく同意。楢山探しにデジタル下層民、金融教育、せっせと筋力を鍛えます。
Posted by ブクログ
さすが酒井順子さん。今の日本の潮流をよみ、それを柔らかく、ユーモアも交えて書かれている。定期的に図書化されたものを読むことで、自分の感覚とチューニングができて、いつも楽しみにしている!ちょっとゆるめのブレイディみかこ日本版だと個人的にはとても高く評価したい。
p.119 "おたくの多幸感”も、今は注目される感覚でしょう。
おたくの人々の多幸感の源は、「好かれる」ことに無関心、というところにあるのではないかと、私は思っています。思う存分に「好く」ことさえできれば、好かれなくてもおたく達は平気。もちろん、誰かから好かれればそれなりに嬉しいにしても、好いている対象から好かれなくても、またその他大勢から好かれなくても、彼等は何ら痛痒を感じない模様です。
好かれることに無関心なその姿勢は、「モテ」に汲々とする人々とは正反対に見えるのでした。より良い異性と付き合ったり結婚したりするためにはとにかくモテなくては、と特に女性が必死になっている時代が、かってありました。相手に好かれる外見になるように努力をし、相手が手を出しやすそうな発言や態度を心がけるというその姿勢は、楽しそうでありつつ、大変そうでもあった。
モテそうな外見、モテそうな言動をいくら整えたとて、最後の判断は相手に任せなくてはならないという、受動的な状態にあるのが、モテの現場にいる人々です。自分が本当に好きなこと、したいことをするというよりも、相手の好みを予測し、合わせてばかりいることによって、彼女達からは「好く力」が薄れていったのです。
対しておたくは「どうしたら好かれるか」という思考は捨て、対象を好く能力のみを肥大化させた人々です。そこに見返りがなくとも、自分が存分に好くことができれば、満足することができる。
鉄道おたくの知人男性が何人かいるのですが、彼等は皆、とても幸せそうです。中には、鉄道を愛しすぎて人間を愛する暇がなく、ほとんど鉄道と結婚したような人もいます。が、そのような人も、
「やっぱり家族を持っておけばよかった」
などと言うことは、決してない。いつでも列車に乗りに行くことができ、どこにでも鉄道模型を置くことができる自由は独身ならではのものと、何歳になっても多幸感に浸りけているように見受けられます。
そのような人々を見ていると、私はやはり、「好く力」を豊富に持つ人がうらやましくなってくるのでした。幸せな人生を送るには、つがいを作らなくてはならず、そのためには異性に好かれなくてはならぬ、と私も若い頃にはゼイゼイしていましたが、何かを、そして誰かを強烈に好きでいるだけでも、人はこんなに幸せなのだ、と。
p.128 『バカの壁』養老孟司
p.131
頭が良い人はもちろん、「頭が悪いんですね」
と私に言うわけではありません。しかしこちらのことをバカだと思っているというムードはギンギンに漂わせるため、私は「バカがばれた」としんみりした気持ちになるのであり、相手がバカだとわかったのなら無難に天気の話でもしてろや、などと悔し紛れに思う。
バカ差別が許される理由
しかし頭の良い人は、天気の話が嫌いなのです。かつて私は、頭の良い人から、「スモールトークばっかりしてる人って、嫌になる」
と言われたことがあるのですが、それは、天気の話だの食べ物の話だの、あの人って•
〇に似てるよねといった話だのといったスモールトークが大好きな私に対する強烈な嫌みだった気がしてなりません。
スモールトークは、脳力が高かろうが低かろうが参加することができる、貴重な話題です。しかし脳力の高い人は、そういった卑近な会話ばかり交わされているとイライラしてしまうのであり、「もっと意味のある、もっと大きな話がしたい」と思うのです。
が、世の深淵に触れるような大きな話は、いわば脳力の高い人達にとっての内輪話。それは、同じ程度の脳力を持つ人だけがいる場でしていただきたいと思いつつ、私は彼等をいたぶるように、などと、話をますます小さい方へと持っていくのです。
とある頭の良い人が書いた随筆を読んでいたら、「自分と同レベルの人と話をすることができないのが寂しい」
といったことが書いてありました。周囲にバカしかいないのはさぞ辛いことかと思いますが、そういった孤独を引き受けることが、脳力が高い人の責任なのかもしれません。
極私的な統計によると、バカ差別をする人は男性に多いものです。バカ本の著者もまた男性が圧倒的に多いのであり、頭の良い女性の方がずっと、バカには優しい。頭が良い上に、女よりもぐっと優位な立場にいる男なのだから、バカ女を相手にバカ差別をしなくてもいいではないか、と自分のバカさ加減をバカにされる度に思うのです。
p.133 脳力が高い人ばかりが高い地位につくといったバカ差別はなぜ差別にはならないのかと考えてみると、それを差別だとすると、世の中が大混乱に陥るからなのだと思います。脳力の高い人も低い人も、同じ人間。同じように扱わないと差別です、となったなら、入試ゃ入社試験はすべて抽選になってしまうかも。鋭敏な頭脳が必要な職場に、脳まで筋肉化したような人がやってきたかと思えば、屈強な肉体が必要な職場に、非力なガリ勉が配属されたりと、様々な悲劇が生まれます。
もちろん、他人をバカ呼ばわりしたり、バカを理由にいじめたりするといった表面的な行為は、今も差別に問われます。しかし脳力の高い人ほどお金をたくさん儲けたり、脳力が高い人がそうでない人を支配するような根本的な仕組みは、能力主義などと言われて当たり前に存在しているのであり、それが禁じられてしまったら、社会の根本から変えなくてはならない。頭の良い人々は、自分達が上にいることができる現在の仕組みを、変えることはないのでしょう。
p.262 自分は平和で豊かでぬるい時代に生まれて死ぬのだなぁ、と若い頃に思っていました。
ところが今、それは間違いだったことがわかります。震災やコロナ禍を経験し、デジタル化や日本の斜陽化に揉まれ、「世の中がこれほど変わるとは」と、戸惑う日々が続いているのです。
中でも地味にダメージをもたらすのは、ポリコレ意識の変化により、世が正しく”なり続けていることです。様々なハラスメントはもちろん、他人を下に見たりカテゴライズすることもご法度。そんな正しい世では、自分の「正しくなさ」が日々、我が身を削るのです。
とはいえそんな世においても、様々な格差や、人を上に見たり下に見たりする欲求は残り親け、その欲求は水面下で膨張しているのではないか。・・・・・という思いをもって書いたのが、本響となります。そして平板化が進む世においては、人々は差を乗り越える術を失い、微細な遊にもつまずくようになったのではないか、と。
本書に皇室についての記述が多いのは、皇室は雌一存在してよい「差」だからなのでしょう。公的に認められた上つ方である皇室の人々を仰ぎ見るのも非難するのも、青人草にとって恰好の娯楽となっているのを見ると、「差」への愛、を実感するものです。
表面的な格差や差別は、今後も減少し続けるであろう日本。そうしてできたつるつるした世の中は歩きやすいだろうけれど、滑って転んでしまう人もいるに違いありません。っるっとした世では、段差の多い世よりもずっと、立つ時も歩く時も力が必要となるに違いなく、そんな世に向けて、今はせっせと筋力を鍛えるしかないのでしょう。
Posted by ブクログ
バブル世代ならではのゆとりも感じつつ、頷く場面多数。普段ぼんやり考えたり、引っかかっていたことを、うまく言語化してくれたな、という感じ。
「楢山」探し、長生き、独り身、ジャニーズ、斜陽日本、共働き夫婦の役割分担の世代格差など、実感と共感、ヒリヒリ感、危機感などをかきたてられながら読んだ。
ただ、面白かったのに、すぐ忘れちゃうんだよね。たぶん私の脳みそのメッシュが粗すぎるせい。
Posted by ブクログ
私が気になったのは、やはり年齢的に「超高齢化時代のおばあさん格差」。そして「稼ぐ女と、使う女」この2つが特に興味深く読みました。
また皇室に関しての考察も面白く、感心させられる内容です。
ただこの作品を読んで、今後私はどうしたいのか、どうすべきなのかは、実ははっきりと掴むことができませんでした。この作品は提示はしていますが、その先は見えません。そこがなんというかソワソワするといいますか、もう一つガッテンできませんでした。惜しい!
著者は今後もこんな感じで作品を世に出されるのでしょうか?なんかもったいない気がしてなりません。
Posted by ブクログ
久しぶりのサカジュンさん。相変わらず筆が冴えています。(いやタイピングが?)
この一冊がどういう一冊なのかということが「はじめに」に書かれてますがもうここからサカジュン節全開といいますか。
「序列をつけることは生き抜くための知恵」と。確かにそうですね。そんな風に考えたことなかったですがそう感じる序列・順番・差異はたくさんある。
どの話もじわり(というかニヤリ)と面白いのですが、とりわけ超高齢化社会の中で長生きしたくないと同世代と会話をする話があり、p162「そんなに長生きしたくないといいながら健康のために運動したりサプリメントを飲んだり毎年人間ドックに行ったりしている」という状態が出てきて吹き出しました。自分もそうだわと深くうなづき、しかしこんな人結構いるだろうなと改めて思いました。
モロヘイヤやキヌアを食べながら長生きしたくないと呟いている、というすごく健康に気を使ってる感がでている食べ物なのがまた何とも言えず面白い。
誰よりも健康に生きたいという欲をすごく感じる場面(笑)
それから昨今の海外旅行の仕方について書かれた章は、自分も「へぇ!今ってそうなのか」と驚きました。自分が20代だった30年近く前は、まだネットというものがなく旅行会社へ行って飛行機のチケットを買い、海外旅行の時はトラベラーズチェック(今の何歳くらいまでの人知ってるんだろう…)を買ってそれから両替をして…という時代でした。全く飛行機さえも乗らなくなったので今の海外旅行事情にすごくウラシマ(太郎)感を感じました。
同じ章の「ASMR動画」というのも見たことはあるけどあれをそういうのか、ということも初めて知りました。
延々と大量の食べ物を可愛い女の子が食べ続けるだけの動画を自分は「大食いの動画」と思っていましたが(そういう側面?もあるかもですが)あれは咀嚼音を聴かせる動画だったんですね。
どおりで「ごくん」とか「くちゃくちゃ」とか随分聴こえるけど気にしないんだなあと。聴かせてるんですもんね。
知らないことがたくさんあるなぁ!と本当に驚きました。
サカジュンさんはやはりアンテナが立ってるんだなぁと改めて好奇心の強さやモノの見方に感心させられました。
でも「おわりに」でもちょっと触れてましたがポリコレにうるさい世の中となった今、そしてもっとそうなってくだろうこれからを思うとサカジュンさんのようなエッセイは発表しにくくなっていくんでは、と懸念します。この毒舌風(褒めてます)が面白いのに。
これからも社会の「正しさ」に負けずにエッセイを出していただきたいと願います。
Posted by ブクログ
集英社ウェブサイト「よみタイ」2022-2024連載のエッセイ集。2010年代半ば以降、女性・容姿・年齢など様々な差別がタブーとされ、水面下に潜った。上下差をつけたい人間という生きものが、すべて横並びという難題に挑戦している状況。
面白そうながらもよくわからないタイトルだったのですが、少なくともタテマエ上は格差が許されなくなった時代、というのはわかりました。
Posted by ブクログ
2010年代以降、ポリコレやSDGsなどの潮流の中、「差別や格差を無くして、様々な違いを持つ人々が全て横並びで生きていきましょう」という世の中になりつつあるが、そんな世においても、様々な格差や上下差への欲求は残り続け、水面下で傍聴しているのではないかという問題意識から、様々な「格差」や「差別」、「階級」に関するテーマを考察。
本書を貫く問題意識には共感するし、はっとさせられる観点もあったりするのだが、タイトルから期待していた格差や階級をめぐる骨太の議論とはかなり違い、「格差」「差別」「階級」に関する毒にも薬にもならない、ぬるいエッセイ集という感じで、正直、肩透かしな内容だった。「まぶた差別と日韓問題」における一重まぶたの日韓での取り扱いの違いなど、単なる著者の印象論に過ぎないのではないかと訝しく思った。
Posted by ブクログ
★★★ユーモア溢れる読みやすい文章で、様々な格差について考察されている。年長者と若者との感覚の差については、自分はこのような空気の中で育ったからこう感じているのかと、発見がたくさん。昭和から直近まで、たくさんの出来事や現象が取り上げられ、文筆家はすごい。自分はなんと無知なのだろう、と感じた。
Posted by ブクログ
「負け犬の遠吠え」から早20年。
結婚しない女の在り方を叫んだ著者は、
変わらず時代の移り変わりを一歩引いたところで淡々と見つめている。
正しさは平板化すること。
あとがきでの
「表面的な格差や差別は減少し続ける…つるつるした世の中は歩きやすいだろうけれど…立つ時も歩く時も力が必要となる」(抜粋)
の言葉が胸に残る。
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あの人より、上か、下か――「差別や格差を無くして、様々な違いを持つ人々が全て横並びで生きていきましょう」となった昨今、表面上は序列、区別、差別は消えたものの、姿を変えた「凸凹」は、いまだ世の中のあちこちに。時代を切り取る名著の書き手が、日本人の根深い階級意識をあぶり出す。
ちょうど今、酒井順子さんの枕草子の現代語訳を読んでいる。エッセイは何気に初めて読むが、なんか思ってたより普通?な感じ。世代が違うというのはあるかもしれないけど、なんかそんな深く考えたことなかったけどなーみんなそんな気にしてるのかなーとか思ったり。でもまあどんな世代でも当時は〇〇がいい!とかたくなに思ってたりするブームがあるし、そんなもんか。タイトルから想像した内容とは違ったけど気軽に読める感じではあった。
Posted by ブクログ
*あの人より、上か、下か――
「差別や格差を無くして、様々な違いを持つ人々が全て横並びで生きていきましょう」となった昨今、表面上は序列、区別、差別は消えたものの、姿を変えた「凸凹」は、いまだ世の中のあちこちに。
『負け犬の遠吠え』『下に見る人』『男尊女子』『家族終了』など、時代を切り取る名著の書き手が、日本人の根深い階級意識をあぶり出す*
いつもながらの洞察力、さすがです。
が、今作はどうもオチが残らない…
どのエッセイも着地がまろやかでふんわりしているので、読みやすい反面、そう来たか!と膝を打つ感じがない。
まあ色々と難しい時代のせいもあるのでしょうが…
Posted by ブクログ
女同士や社会の格差だったり違和感を、鋭くユーモア交えてツッコんで、テンポもよく面白かった。どんな状況におかれても、オバさんの自己肯定できる生命力を感じた。たまーに読むと良さそう。
Posted by ブクログ
テーマに沿った時代の変遷の要約と具体例といった感じ。なんとなくchat Gptが思い浮かびました。世代が違うので、なんというか、ひりついた社会や世間を生きてきたのかな、という印象の文章でした。今の?時制のハイライトを言語化はされた本、みたいな印象でした。
Posted by ブクログ
何百年か経って、『枕草子』のように後代に読み継がれるのは、意外と酒井順子や岸本葉子のエッセイだったりするんじゃないかと思う。
平成から令和にかけての庶民の肌感覚を、自分自身も奔流に巻き込まれた当事者として書き綴った貴重な記録。
筆致もエスプリが程よく効いてていい。
Posted by ブクログ
講談のようにテンポの良いですます調で書かれており、するすると読める。(この著書のいつものスタイルだけど)
かつて、負け犬という流行語を生み出したが、10年経つとその言葉自体が禁忌になっているという時代の変遷の早さ。それを作者自身が説いている。スモールトークが好きと公言している通り、瑣末な分析が面白い。かっぺ、米粒に仏、などのパワーワードに爆笑した。
Posted by ブクログ
タイトルから格差社会に切り込んだ内容だと思っていたが,格差社会も含めての昨今の目につく社会現象,日本人の在り様を語っている.東大礼賛やおたくやばかについてなど気がついたことを気ままに語っていて興味深かった.
Posted by ブクログ
だいたい同年代なので、昔のお話含めなるほどと思うことが多い。
ただ、階級、上下とテーマを持った連載なので、ダブってかかれていることも多かったかな。ご本人もあとがきに天皇家のことをかかれていたように。
重ね、若いころは年寄りが煙かたっかのに、今はすっかり昔の話。
時代は変われども、考え方や社会が変わろうと歴史は繰り返すのではとふと思う。
Posted by ブクログ
酒井順子さんの言語力の高さや文体、それとテーマ的なものもあって、やや堅い印象を持つエッセイ本(というか、これはもう考察本に近いかも)ですが、内容としてはそこまで難解というわけでもなく。
「これをそういう視点から見たことはなかったな」という気付きが沢山あり、酒井さんの観察力や分析力に感心しました。
Posted by ブクログ
少しずつ読んでいったので、ゆっくり読んだのだが、いつも眠くなってしまったのはなぜだろう。
酒井順子さんのおっとりとした書きぶりのせいかなとも思うのだが、「階級」「格差」を描くにはおっとりすぎなのかもしれないなと思った。
最後のまとめが、どの章も、なんか「ふつう」なのだ。教科書とおりの、どの方向からも文句の言われないまとめという感じ。切れ味という点では今ひとつでした。
きっと、酒井さんの性格の良さ?からくるのではないだろうか。
「負け犬の遠吠え」の時は切れ味鋭くて、酒井順子さん好きなんだけど、酒井さんは今は満たされているのかもしれない。