あらすじ
『侍女の物語』前夜のアトウッド
世界的作家アトウッドの初期短編集が待望の復刊。キャンパスで繰り広げられる奇妙な追跡劇(「火星から来た男」)、記者が陥る漂流の危機(「旅行記事」)、すれ違いから各々孤独を深める夫婦(「ケツァール」)、適性に悩む医者の卵がある少女に向ける感情(「訓練」)、下宿屋で巻き起こる異文化をめぐる騒ぎ(「ダンシング・ガールズ」)など――アトウッドのぞくぞくするような「巧さ」が詰まった七編を収録。あからさまにではなく、ほんの少しだけ垣間見せるというやり方で、日常に潜む違和や世界の綻びをアトウッドは示してみせる。
「ことに「キッチン・ドア」で描かれる、形のない、だがはっきりと肌で感じる破滅の予兆は、のちの『侍女の物語』や〈マッドアダム〉三部作のディストピア世界の前日譚と見ることもでき、世界のあちこちで不穏な狼煙の上がる二〇二五年に読むと、これを訳した当時よりずっと生々しい実感をともなって迫ってくる。およそ五十年前に書かれたにもかかわらず、これらの物語は少しも古びていない、どころか読むたびに「今」の物語として更新されつづける。そのことに何よりも驚きを感じる」(「復刊によせて」より)
感情タグBEST3
Posted by ブクログ
短編7作。
1977年から時を経ているとは思えない
技術や住環境は高度化しても、人の思考や偏見の構造は必ずしも進化していない
本質を突く文学は数十年経っても古びず、むしろ心の停滞が及ぼす影響をあからさまに感じさせる
この恐怖は、あとがきに記されていた通りである
Posted by ブクログ
あとがきにも書いてあったが、読後モヤモヤとした不安が残る話ばかりだった。
他者とわかりあえない、自分が正義だと思いこんでいても見方を変えればそんなことはない、無自覚な差別、いつかすべてが崩壊する予感など。
これが最初に日本で刊行されたのが1989年とのことだけど、現代のテーマでもおかしくない話が多かった。
決して明るい気持ちになる話ではないけど、惹き込まれるものがあり、あっという間に読めた。
『ベティ』の最後、「永遠に謎なのは、この世のベティたちなのだ」がすごく印象に残った。
正直私もフレッドの気持ちのほうが理解できるし、フレッドは世の中に多くいると思う。
『旅行記事』は、どうしても生きる実感が持てなかった主人公が飛行機の海への不時着を体験し、生きる意味を望んだことを後悔する話。
私もつい生きてる実感が希薄になることがあるけど、幸せで何不自由なく生きていられるからこその虚無感なんだろうと思う。
『ケツァール』は、お互いがお互いを理解できないままでいる夫婦の話。それぞれの視点から書かれていて、妻の視点からだと夫が理解不能だし、夫の視点からだと妻が理解不能。
結局他人の気持ちなんてわからないし、自分が正しくて相手がおかしいと思ってみんな生きているんだろうな。
『訓練』は、特に最後に胸が締め付けられた。心理描写がとにかくすごい。
医者の家系で、ふたりの兄はハンサムで医者としてもうまくやっていけそうなのに、自分はハンサムでもなく医者にも向いておらず落ちこぼれだと思っている主人公が、障害を持つ子どもたちが集まるサマーキャンプで働く話。
そこで出会ったジョーダンに肩入れしていくが……。
無自覚な差別や、善意でやったつもりが悪い結果になったり、憐れまれる側からの攻撃性、自分がやっていることも周りが頑張っていることもグロテスクで惨めであること……などなど辛くなる要素がなかなかに多かったけど、とても印象に残った話だった。
表題作『ダンシング・ガールズ』は相手が理解できないまますれ違い、各々が自分が正しいと思ったり、永遠に叶うことのない理想郷だったりと、これも読後切なさが残る話だった。
Posted by ブクログ
岸本佐知子さん訳
最初から最後まで漂う不穏な雰囲気。
人間の矛盾や汚い部分、他者への無理解やすれ違いをとてもリアルに突きつけられるような短編集でした。
上手く言えないけど、モヤっとしながらも他人事と思わせない引き込み方に美しさを感じる作品でした
特に「訓練」と表題作がずっと心に残ってます...