あらすじ
子どもがやりたいことを決め、クラス全員で学級をまわしていけるようになるには、教師の「仕掛け」が大切だった!
子どもがどんどん動き出す仕掛けや、クラスの友達と協力しあえる仕掛けが満載!
子どもの「先生、これどうやるの?」「今何をしたらいいかわからない…」がなくなり、
教師の指示なしで、子どもが自分で考えてどんどん動けるようになる!
たった3つのステップで、子どももクラスも成長していける!
感情タグBEST3
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Posted by ブクログ
若松先生のこれまでの主張をより具体化したものが本書である。本書を読むことを通して、若松先生の発せられた言葉の断片が、結合し合い、自分の中で、一つイメージとして膨らんでいった。以下は、読書中、引っ掛かりのあった部分。
p.3 「『やっぱり教師がどんどん仕切っていかないと』と方針転換してしまう話も聞きます。私自身、何度もこうした道をたどってきました。」
→これは自分自身にも当てはまる経験の一つ。具体的なビジョンがないことが原因の一つだと思う。問い実践と同じように、一度でも、「これはよかったかも。」という経験ができれば、次に次にとつなげていけそう。
p.23「子どもたちに対して、理想的な自主性を求めていると、こうした小さな自主性をみつけることができなくなります。」
→まさに引き算思考のそれ。本質のみを追い求めようとすると、その周りにある大切なものを見落としてしまう。その周りにある大切なものこそ、本質につながっていたりする。子どもを見取る目を磨いていく必要がある。→『一人ひとりを生かす評価』を読み直す。
p.25「その子の今取り組んでいる行動を言語化するような声掛けをします。こうすることで、『自分の行動選択を受け止めてもらえているのだな』と感じることができます。また、その行動選択が教師によって協調されることで・・・」
→子どもから質問があったとき、自分はまず「どうすればいいと思う?」と切り返していた。これは、一見すると、コーチング的手法を生かした関わりに思える。しかし、大切なことが欠如していた。
子どもは、どんな思いで質問しに来たのか想像してみる。もしかすると、藁をもすがる思いで、自分のところまで来てくれたのかもしれない。
自分がすべきだったことは、まず、「質問に来たという事実を認める=価値づけること」だった。若松先生は、「きちんと先生のところに質問に来られたね。」と、その行動選択を受け止めている。
また、悩んでいる様子が見られる子がいれば、「悩んでいるね。」「じっくりと考えているなあ」と声をかけている。行動を選択しようと試行錯誤している子、その過程に価値を見出し、価値づけているのである。「~しようとしてる。」その姿にこそ、自立性の芽が芽生えようとしているのである。自分はこの芽をいくつ見落としてきただろうか。
Posted by ブクログ
・「わからない」がでやすくするために
わかった完璧な人。まだもう少しわからないことがある人。で聞き、その時にわからないことを伝えられていることを価値づける。どこがわからない?
理解度合いを点数で
理解度合いをペアやグループで話す「どこでわからないの?」
わからないが出やすい環境
道徳とかではっきり2択とかでなく、数直線書いて、その中で選ばせる。
・テスト後は答え渡さない。(グループで聞いたり)
・知らないふりをして、子ども同士を繋ぐ(教師を頼らせない)
「誰かにきいてみた?」
・週に10分かかりで集まる時間を作る
・話し合いの中で、自然と生まれた声を拾って価値づける。(算数の人やっていた)
「一覧作って書き加えてもいいかも」
・学級目標振り返りシート作る
・ペアトークに「今日頑張ること」加える
・九九できた子なにできる?
「テストしてあげる
「できている子励ます
・する目的や、どんなこと頑張るかを子供と考えて振り返るの大事
・毎日を楽しむ
。基本叱らない
Posted by ブクログ
大事なことの確認ができた。
ん?と立ち止まらせてくれたフレーズ
『「教師の求める理想の像」として伝えないことが大切』
大人が最上位の目的を持つことは大事で
そのために何をしていくか整理していくことで
大人としての一貫性が出ると思っていた。
だからこそ、ん?と立ち止まった。
これは結局理想像を強く描くすぎるあまりに
目の前の子どもが見えなくなるからだと思う。
こうなっていきたいよねということは
子どもと一緒に考え、一緒に考えを分かち合ってないと意味がないのかな。
目の前の子どもたちも教師の理想像が強すぎると
「先生の理想に近づくための自分たち」と
感じていく気がする。
第一に目の前にいる子どもたちを見ることができているか。
ここが最優先になってるかどうかって
子どもたちもすごく感じるところだと思う。
自分もそう感じさせていないか、考えさせられる。
教師のこうしたい、よりも
子どものこうなりたいを大切にすることができているか。