あらすじ
おかっぱ頭の少女チイは、じつは男の子。大道芸人の両親と各地を踊ってまわるうちに、大人たちのインチキを見破り、炭田の利権をめぐる抗争でも大活躍。体制の支配に抵抗する民衆のエネルギーを熱く描く。
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あくまで淡々と書かれているのに、凄く引き込まれて、最後には手に汗握ってしまいます。
何度も読み返していますが、いまだにこの引き込まれる感覚は新鮮です。
これもドグラマグラの所為なのでしょうか。
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最近はまっている夢野久作さんの代表作の一つです。
でも、内容は夢野さんらしくなく、いたって普通の悪を倒すって感じでした。それがかえって新鮮だったのかもです。
それでも独特の文章は相変わらず。それにはまってしまうのです。
(2014/06/06)
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夢野久作がこんなにもかわいい冒険活劇小説を書いてるとは驚いた。
とにかく、主人公の一見美少女の美少年チイの超能力を駆使した大冒険がとにかく胸が躍ります。
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忠義、慈愛、非人道、そういった概念がチィには理解できない。むしろそういったもののために社会の大人たちが右往左往して全く要領を得ないことに苛立つ。読みどころはこの辺かなと思う。完成していれば間違いなく日本を代表する文学作品の一つに挙げられただろう。逆に未完の美もあるだろうけども。
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この人の本は、昔の言葉、
しかも今作に至っては九州弁でかかれているのに、
グイグイと引き込まれてしまう。
話もあっちいったり、こっちいったりするくせに
わかりやすい。
皮肉っぽいし、馬鹿馬鹿しいところもある。
オチもわかりにくくなっている。
でも、とても面白い。
これはすごいと思った。
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子供の活躍する小説は大抵どこかに厭味があるものであるが、この小説はただただ痛快である。手放しでチイの活躍を応援したくなる。それはおそらく夢野久作自身が心底憧れて造形したキャラクターだからなのであろう。純粋で高潔な子供など現実には存在しないのである。
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夢野久作氏の代表作を3つ網羅したが・・・
普通の本屋で他の作品って売ってるのかな。
いいよね。あの明治あたりのハイカラ文化の雰囲気。
豪傑な九州男児の悶着は、ちょっと雰囲気違うけど、文体の心地よさは健在。すき。
子どもが主人公の作品は、映像での作品化は難しいのではないかと思う。
「子どもは子どもにしかなり得ない。」
複雑な感情の機微を演技に置き換えていくにはきっと経験値が足りなくて、客観的にしかとらえられないからじゃないかと思う。
それをあえて映像に挑戦するなんて野暮なことはしないで、
だからこそ、小説を、漫画を読む意味を考え、味わいたい。
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ナニイ。ふんどし?そんなものを締めた経験は生まれてないよ。ブラ下がるべきものはブラ下げておくのが衛生的じゃないか。
こういう衛生観で生きていると、ドグラマグラ使いにもなれちゃうのかなと思いました。
チィの純粋さと、度胸に感動しました。
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主人公の掴みどころのなさがこの作品の魅力だと思う。序盤は虐待されても親を慕い続ける健気な少年、中盤からやんちゃさや狂気が見えてきてぞくりとする。
個人的には前から中盤の掴みどころのなく不思議な世界観が大好き。
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「犬神博士」と呼ばれる変人が幼少時代の思い出を語る夢野久作の絶筆作品。乞食芸人に育てられた5、6歳の美少年が様々な修羅場をこえて、筑豊炭田の利権が独占資本の手に落ちるのを防ぐ。風俗騒乱の踊りで猥褻罪で捕まったり、イカサマ賭博を見破ったり、玄洋社社長と堂々とやりやったりと娯楽要素たっぷりの冒険譚。日清戦争前夜の風俗の描写、独特の言い回しも読者の楽しみを与えてくれる夢野久作の代表作。お勧めです。
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この小説はかの“夜は短し歩けよ乙女”の作者森見登美彦さんのお勧めの文庫本6冊中の一冊です。
夢野久作という作家の名前は知っていましたが、作品のジャンルを怪奇小説?例えば横溝正史風のおどろおどろしい内容だと誤解していました。
得てして食わず嫌いの先入観が読書の幅を狭めるものです。
という訳で森見さんの勧めとあらばと手に取った小説は決して怪奇小説ではなかったのでした。どちらかというと、大衆向きの冒険小説、人間離れしたヒーローが活躍する近代小説というべきものですか。
そこに森見登美彦の小説の原型も見え隠れします。雰囲気が漂っていますね。
時代は日清戦争の前夜という設定。ところは福岡。主人公は出生その物が怪しい“チイ”と呼ばれる大道芸人の7歳の美少年。しかし普段は女装しおかっぱ頭で猥褻な“アネサン待ち待ち”踊りを踊って客からおひねりを頂戴する役目。両親は彼の本当の親ではなく旅芸人の道すがら盗人を働いたりして、チイをどこからかさらって子どもをだしにして稼いでいるいうならばとんでもない親です。
チイは見た目はきっと女の子そのものなんだろうと思います・・途中で彼を女の子と思いこんで貰い受けたいというアネサンもいたりしますから・・・。しかしこの小説では犬神博士のあだ名を持つ主人公が自分の子供時代のことを(=チイのお話)吾輩という一人称を使い語っているので、どうも人物が二人いるような感覚を覚えました。
それにしても、奇想天外と言ってよい小説です。同時に胸がすくような思いや喝采する場面が多く登場します。何といってもどう見ても不幸な生い立ちと境遇という常識に囚われないチイの言動が周りの大人を圧倒します。そして数々の人間離れした能力でイカサマな賭博師をやっつけたり政治家にまで目をかけられたりするのです。
お話は途中で終わっていますが、さてチイはこれからどこへ行くのでしょう・・
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夢Qにしては信じられないくらいポップ。
おカッパ頭の少女のなりをした踊りの名手、大道芸人の美少年チイは、風俗壊乱踊りを踊ってワイセツ罪でつかまるが、超能力ぶりを発揮して当局者をケムにまく。つづいていかさま賭博を見破ったり、右翼玄洋社の壮士と炭坑労働者とのケンカを押さえるなど八面六臂の大活躍。大衆芸能を抑圧しようとする体制の支配に抵抗する民衆のエネルギーを、北九州を舞台に、緻密で躍動的な文体で描き出す、夢野文学傑作の一つ。 -作品紹介
ポップやけど、世間や「大人」に対する違和感や憤りが見え隠れするので、「夢Qらしさ」はあると思う。
未完なのが惜しい。いろいろ想像するのも楽しいが、やっぱり著者がこの後どう書くかが気になる。
あとどうしても犬神博士=チイとは思えない。。
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痛快に尽きる。
時代背景が好みだった。
大人は少し馬鹿げていて滑稽だ。
夢野は外れがない。
実に面白い。
ラストが気になるが逆に未完成感がたまらない。
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福岡、筑豊、直方、北九州と、見知った土地が舞台というのでかなり一気に読んだ。最近知ったけど福岡の人だったのですね夢野久作さん。
犬神博士と呼ばれる怪しげな風体の男と、大道芸人から福岡中を股にかけ玄洋社と炭鉱労働者の喧嘩を仲裁に行く、女装の美少年チイ。これが同一人物らしいのだが、長じて犬神博士と呼ばれるまでの話は一切ない。だがそこに至るまでの話が必要なのかと言われると、どうなんだろう。チイの活躍ぶりをたっぷり堪能させてもらったことだし、その辺は良いのかな。福岡日々新聞(現・西日本新聞)万歳。
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主人公・犬神博士、もしくはチィ。結構突飛な価値観のようでじつはかなり全う。
彼の視線で見る矛盾した大人たちはなかなかに「滑稽」で面白い。
夢野節を十二分に味わえる。
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チイ=犬神博士には思えなかった。
しかしチイの思想は社会性に欠けているが、正しいようにも・・・
アネサンマチマチ見てみたいわ(笑)
あとがきで「南方熊楠」に興味を持った。
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1931〜1932年に福岡日々新聞(現:西日本新聞)に連載されていた夢野久作の数少ない長編(多分これとドグラ・マグラだけ)の1つとのことです。てっきり未完なのは連載中に亡くなったからだと思っていましたが、夢野久作の享年は1936年なので、単に執筆が滞ってただけなのかな?夢Qの中では今までで1番読みやすく、エンタメ性も抜群!
巻末解説では推理小説でもなければ怪奇小説でもなく、ましてや純文学でもない。何ものでもないことによって、何ものでもある、とかっこよく評されています。
私がどう読んだかというと究極のキャラ萌え小説として読みました。チイ(=犬神博士)がねぇ、ただひたすら愛しくて可愛い。角川のアニメ調の表紙は賛否両論あるだろうけど、私は好きです。この格好で男の子ですよ。夢Qは女装男子萌えコンテンツの特許申請していいと思う。
ちなみにチラっとですがギャンブル漫画のような展開もあります。『賭博破戒録カイジ』の班長戦のようなことを1930年代で既に先取りしていることに感動しました(笑) こちらも特許申請していいと思う。
チイの冒険活劇として始まり、最終的には筑豊炭田の利権争いに関する一件で物語は終わります。未完にしては結構キリが良いのですが、殺人事件の真相やキチガイ博士と呼ばれるようになった経緯など、他にも謎は多く残っているので、続きを誰か書いてください(泣)
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『チイの「悟空感」が最高な痛快冒険小説』
R6年12月課題図書,『犬神博士』夢野久作
1、印象に残った箇所(ページ数も明記)
①P176、瘤おやじとの花札対決でチイを全面的に信頼して有り金を全ベットする男親
→男親のこの「しょーもないヤツだけど憎めない」感が個人的には終始ツボでした(笑)、調子に乗って独立宣言して女親から怒られるシーンとかも面白かった
②P224、天沢老人の圧倒的に事実には基づかない骨相学による弁護
→冒頭から終わりまで事実は一つも書かれておらず「骨相学」一本で勝負に打って出るのがツボ(笑)、加えて入口のセリフ「私は骨相学上から見て、当局と全然正反対の意見を主張しなければならぬことを、非常な光栄としかつ、欣快とするものである。」でかなりテンション上がっちゃってるのもまた可愛い(笑)
骨相学
頭骨の形状から、その人の性格その他の心的特性を推定できるという考え
欣快(きんかい)
〘 名詞 〙 ( 形動 ) 喜ばしく快いこと。また、そのさま。愉快。「欣快の至り」
③P337、楢山(ならやま)社長の言葉巧みな交渉
→入口がかなり巧み、「今福岡県内で一番偉い人は誰な」、「誰でもないアンタじゃろうが…、あんたが福岡県内で一番エライ人じゃろうが」、初手で相手を認める、勉強になる
④P346、火事になった青柳の中で玉子焼とお茶漬けを食べるチイ
→やはり「シメ」は重要(笑)
2、本作で初めて知った言葉や言い回しがあれば、意味と一緒に教えてください。(5つまで)
①P176、「宝満山から後飛び」式の無鉄砲
宝満山から後ろ飛び
→博多の古い諺で、あの有名な「清水の舞台から飛び降りる」と同義語
清水の舞台から飛び降りる
→死んだつもりになって、一世一代の決断をすることをいう。京都の清水寺は切り立った崖(がけ)の上に建てられており、その舞台から飛び下りるほどの決意なのであるから、一生に一度の買い物をしたり、価格を思いきって下げたりするときなどに用いる。
→「宝満山」は太宰府にあって、福岡で登山者が最も多い山としてメジャーな場所。
初めて聞いた言い回しでした、福岡に住んでいる&登山をやっている自分としてはぜひ積極的に使って行きたいなと(笑)
ちなみに、「清水の舞台」は飛び降りれそうな場所がありますが、「宝満山」の頂上は周囲がゆるやかなので「ここぞ後ろ飛びスポット」っていう場所が無いです、最初に言い出した人は実は登ったこと無いかも…?
②P319、キチガイに違いないと「九分九厘まできめてしまった」
→楢山さんの登場シーン、流れの面白さもあって印象に残った、と同時に「あれ、九分九厘って割合に直すと9.9%じゃね?、実はそんなに確実じゃ無くね?」と思ったんですが、調べたらYahoo!知恵袋に下記が掲載されていました、恥ずかしながら自分は全然知りませんでした(笑)
質問
「九分九厘」って9.9%ですよね? ということは、「九分九厘」も
あんまり確実な例えではありませんよネ?
ベストアンサー
正解は99%。
元々、この言葉が誕生した江戸時代では、10分の1を意味する”割”を割合を表す基本単位にしており、割の10分の1を分、その10分の1を厘として表現していた様です。
実例で表現するとわかり易いと思いますが、現代の”15.3%”は、1割5分3厘と表現されるところまでは同じですが、これを当時は、”0.153”ではなく、”1.53割”と言う感覚で受け止めていた、と考えれば、感覚的に理解出来ると思います。
3、本作の終わり方をどう思いましたか。また、続きがあるとしたらどのような展開になると思いますか。
「予想外な終わり方だな」というのが読み終えたときにまず浮かんだ感想でした。
「色々とありながらも最終的には上手く切り抜ける」というのが続いていたし、その痛快さを楽しみながら読んでいたので、ラストも何と無くハッピーエンド的な展開を予想していたからかなと。
続きがあれば…ですが、個人的には「知事・楢山が仲直り?(そんな軽いモノでは無い気もするけど笑)ルート」の明るい方向に進んで行くかな?…予想と言うよりもはや希望かもですが…
4、感想
①チイの悟空感(ドラゴンボール)が最高
→圧倒的な無敵感(見た目は可愛くて、踊りは超一流、口は悪い、バクチをやればすぐにイカサマを習得、謎に合気も使える)で進んで行くこの感じが最高に面白い
明るく楽しく笑える勧善懲悪モノ、今も昔も変わらずこういった作品の需要ってあるんだなと、人間の本質って変わらないんだなとか思ったりもした(笑)
②裏表の無い素直な言葉・雰囲気が人の感情を動かす
→チイの良さはその素直さ、それで多くの仲間が出来ていっている気がした
自分も昔は「カッコよく見られたい」って思ってましたが(笑)、それをあんまり思わないようになってから一気に友達が増えた気がする、繋がっている部分があるのかなと思った
③昔の作品なのでコンプラ違反が酷い(笑)
→「キチガイ」、「ヒンガラ」等々…まあ昔の作品なので当たり前なんですが、ちょうど「ふてほど(不適切にもほどがある)」が流行語取ったので…
子供のときにテレビを近くから見てると、おばあちゃんから「アンタ、ヒンガラ目になるよ!!」って言われてたなーとか、昔を思い出しました(笑)
5、一言まとめ(この作品を一言で総括してみてください)
チイの「悟空感」が最高な痛快冒険小説
→「冒険」という定義に当てはめて良いか?は分かりませんでしたが、こんなはちゃめちゃな日常?であれば、それもはや「冒険」と呼んでも良いのかなと考えました
6、疑問点
①「博士に過去を語らせる」という形式にした目的、効果
②解説に下記文言あり、皆さんはどんな風に感じたか
推理小説でもなければ怪奇小説でもない。ましていわゆる純文学でもない。それらの単細胞的フレームを超えている。
何ものでもないことによって、何ものでもある。
→ちなみに、個人的な感覚では、まあエンタメ小説かな、と思ったけど…そんなに深い感じ方はできず…(笑)
Posted by ブクログ
乞食や詐欺など不穏な要素もありつつ、所謂神童と呼ばれるような子供が大人たちに振り回される冒険活劇という印象を受けました。
純粋で活発な子供だからこその大胆さで大人たちを振り回し振り回され、女の子のような愛らしい出で立ちや名人級の踊りを買われ何度も拐かされたりと常にドタバタで破茶滅茶だけれど、それを面白がっているチイ(当の本人)のあっけらかんとした性格が読んでいてとても愉快でした。
未完となってしまった為、この痛快な冒険の終着点がどうなる予定だったのか気になり、続きがないことがとても残念です。
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犬神博士・・・というタイトルから私がイメージしていた話とは程遠い話だった。
新聞連載ということを知って納得。面白くて読むのが止まらない娯楽作品という印象。博打を売って爺さんを任そうとしたあたりでは、いくらなんでもチイが大人すぎて頭が良すぎて、そんなわけないだろうと思ったが、ハンマの源を手ぬぐいで打ち負かした辺りで、もうこれは利発な少年の痛快武勇伝でいいのだなと思った。ただ、それにしては、裏の政治背景があまりにややこしすぎて読み飛ばしてしまったが・・・後でわけわかんなくならないだろうか、と心配してるうちにチィは走りだし、作品は未完を迎えるわけである。
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他の作品と違い、すら~っと読み終わった。 何かモヤっと残って読み返すと言った感じではないな。 最後は何らかで締めくくって欲しかった。(語るきっかけは取材だったよね)
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その先になにがあり、現在とどうつながっていくのか
そして現在がどのような状態なのか、
何が描き出されるのか気になって仕方ない
「そこで終わる!?」な作品。
歪んだ環境で育った子供が、
子供らしい純粋さの正論で
大人の欲や醜さを炙りだしながら、
子供らしからぬ活躍で
爽快に物事を解決していくグロテスク。
怪奇物ではない、というが考えてみるとこういう子供の存在
周りの大人の姿は、結構怪奇モンではないか
Posted by ブクログ
解説にあった通り、探偵小説でも怪奇小説でもない。
カテゴライズしようのない小説だと思う。
テーマについては本編読んだだけでは正直…わかりませんでした。難しい!
ただ、他の夢野作品よりもエグくない上、福岡訛りの文体がすごくサッパリしていて良い。標準語だったらこれはおもしろさ半減。
物語中盤の「あの児は幻術(ドグラマグラ)使いぞ。逃げれ、逃げれッ。」におおっ!となりました(^o^)
とっても読みやすいしストーリーもはっきりしてるので入門書としてはいいかも。
未完なところが、むしろゾクゾクしました。
Posted by ブクログ
大衆芸能を抑圧しようとする体制の支配に抵抗する民衆のエネルギーを、北九州を舞台に、緻密で躍動的な文体で描き出す、夢野文学傑作の一つ。(裏表紙より引用)
読み終えて、「まさか、未完?」と思い、調べました。
犬神博士は昭和6年9月から昭和7年1月まで、福岡日々新聞(現在の西日本新聞)に連載されたそうです。
ドグラ・マグラの発刊が昭和10年、亡くなったのが昭和11年・・・。
連載途中で亡くなったわけではないし、書き下ろしのドグラ・マグラが発刊されているわけだから、病床に臥していたわけでもなさそう。
そこまで考えて、「これで終わりだったんだ!」と思いました笑。
それくらい、唐突に終わっています。
主人公・チイは何がどうなって「キチガイ博士」やら「犬神博士」と呼ばれる人になったのか・・・。
走ってどうなったのか・・・。
気になることがいっぱいですが、そこは読者の想像力で埋めなければならないみたいです。
チイはとにかくステキに痛快です。
(この「ステキに」という表現がすき。夢野久作独特の表現だと思うのですが、どうでしょう。)
まっすぐで、元気で、自分の思ったとおりに行動する。
大人には屈しないし媚びない。
でもって、すべてを見通している。
民衆のための小説といった感じです。
Posted by ブクログ
2009/
2009/
読みたいです。
アジアのスラムでは、子供はどんどん増える。子供が労働力だからである。子供が労働力だからである。この国では、子供は減る一方である。人口問題とは、他方では、子供問題であろう。
子供問題は、奇妙なことに、まず人口問題として意識され、次に教育問題となり。経済問題となる。子供問題にはならないのである。子供問題を考えても、そのうち相手は大人になってしまう。
なぜ、子供問題に興味をもつか私の場合は、仕事の上で、死体を扱うからである。死体は、社会から排除される。しかし、社会から「正当に」排除される、もう一つの人間的存在がある。それは子供である。死体の場合と同じように、子供に注目することは、社会について、さまざまなことを教えてくれるはずである。
そんなことより、自分の子供で精一杯だ。これも子供と死体に共通する、もう一つの観点であろう。死の場合も、他人の死より、自分の死で精一杯ではないか。