あらすじ
奇蹟のピアニスト、フジコ・ヘミング。幼い頃から才能を発揮し、高く評価されていたにもかかわらず、不遇の時代をすごしてきた天才ピアニスト。1969年、リサイタル直前に風邪で聴力を失い、やむなくすべてのコンサートをキャンセル。その後、耳の治療に専念する傍ら、ピアノ教師として生計を立て、演奏活動を行ってきた。1999年、そんなフジコを取り上げた『フジコ~あるピアニストの軌跡~』(NHK)が放送されたことがきっかけでブレイク。多くの苦難を乗り越えたフジコの演奏は視聴者の魂を揺さぶり、大反響を巻き起こした。ピアノと共に壮絶な人生を歩んできたフジコ。本書では「うまくいかないほうが当たり前」「じぶんらしく生きる」という、偉才ならではの人生観や死生観、生活観に迫った気持ちが軽くなるエッセイです。フジコに密着し続けてきた写真家・中嶌英雄氏の貴重写真も多数掲載。
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Posted by ブクログ
銀座まで小一時間かかるので、電車の中で読もうと手にとった本
行きと帰りの電車で読み終えた
文学というより、淡々と自分の生きざまを語っている。
つらつらと読みやすい本だった。
生まれてからずーっと耐え忍んで生きてきて、最後に華開いた人生だったと思う
彼女が華開いたのは、心のありかたにあったと思う
苦労したことを糧にできたからこそだろう
ポジティブな考え方、他人に依存しないことなどなど、その生き方から学ぶものは多い
2024年に亡くなられたのがとても残念だ
Posted by ブクログ
フジコ・ヘミングさんの人生哲学、タイトル通りです。わたしは共感できるところが多いので読んでて癒やされます。
ご多分に漏れず1999年のNHKのドキュメント、「フジコ、あるピアニストの軌跡」から、フジコさんに興味をもちました。番組制作のきっかけや撮影時のエピソードが載っていておもしろかったです。
苦難の連続のフジコさんですが、ドイツでほそぼそと生活はできていたし小さくても演奏会は開けていたようだし、なにより有名な音楽家の前で演奏する機会はときどきあった。この本は今までを総括して小さなエピソードなどもとても多く書かれています。いいこともちょいちょいあったじゃない〜と思えます。
当時、NHK以外でもドラマなど制作されたりしていろいろ見ましたが、メディア側は、よりドラマチックに見せるためか、とりわけ苦難の部分だけを取り上げてると思います(それがあのラ*カンパネラの哀しい調べに乗っかって、見る人の情をかき立てた。わたしもかきたてられた一人)。この本を読むと、フジコさんの人生にはもっともっと膨らみがあることがわかります。いままで認識していた事実もじつはそうではなかったり後日談があったり、いい意味で裏切られました。
よかった、また読みたいです。
Posted by ブクログ
フジコ・ヘミングのNHK特集『そしてまた、フジコ・ヘミングとともに』を観た。フジコ・ヘミングについて相変わらずの関心があったので、視聴することにした。ずいぶん前にフジコ・ヘミングのテレビを見たことがあり、その時の印象を思い起こした。調べてみたところ、1998年に放映された『フジコ〜あるピアニストの軌跡』だった。その際の『カンパネラ』に非常に驚かされた。ピアノにこれほど心を動かされたのは初めての経験であり、その後、CDを求めて繰り返し聴いた。フジコ・ヘミングのピアノの素晴らしさに感銘を受けた。
それから20年以上経過し、『そしてまた、フジコ・ヘミングとともに』を見ると、90歳を過ぎたフジコ・ヘミングがピアノを見事に弾句、コンサートが映し出された。そして不幸なことに階段から落ちて怪我をし、病院で末期の膵臓がんが見つかってもなお、ピアノに向かう姿が印象的であった。フジコ・ヘミングの指の太さに驚き、指と手が躍動する様子に感動した。やはり、彼女は天才であった。
フジコ・ヘミングは、ロシア系スウェーデン人であり、美術デザイナーの父と日本人の母、大月投網子(とあこ)の間に1931年にベルリンで生まれた。戦争の影響で日本に戻り、幼少期から母の指導のもとピアノを学び、父は母国に帰り、母に厳しく育てられた。家庭は貧しかった。青山学院や東京芸術大学に進学し、さらにはベルリン国立音楽大学に留学した。長い間無国籍であり、父のスウェーデン国籍を取得したあと、様々な経緯があった。1998年にはテレビの放映により、一気に人気が高まったのである。実に、67歳の遅咲きであった。
このようなテレビを視聴すると、必然的に本も読みたくなるため、本書を手に取った。文体は流れるようで、きらりとした言葉が散りばめられている。さまざまな苦難を乗り越えたフジコ・ヘミングだからこそ、心を揺り動かす音楽を奏でることができるのだ。耳が聞こえない中でピアノに立ち向かい、ピアノへの熱情が人々を感動させる。音楽のもつ力を最大限に引き出す姿勢は、国籍を問わない。日本でもいじめに遭い、ドイツでは東洋人に対してショパンやパガニーニが理解できるかと問いかけられた際も、真摯にピアノに向き合った。死の直前までピアノに立ち向かう姿勢は、ただただ驚嘆するばかりである。
フジコ・ヘミングは語る。「人は人、私は私。自分らしさに胸を張って」「勝ち負けにとらわれず、自分らしさを捨てないで」「人と比べないで、自分磨きに集中する」「自分らしく生きられる方を選ぶ」「失敗したっていいじゃない」「相手に依存するから一人の時が寂しくなる」「自分の幸せを見つけて楽しむ」「心に余裕を持つ」「いつだってトランク一つに戻れる」などの言葉は、彼女の生きる哲学を体現している。
フジコ・ヘミングは、厳しい母から「ずっと怒られ、怒鳴られる」悪夢のようなピアノのレッスンを受けた。1日に1回2時間で、3回も繰り返されることもあった。その教育は、まさにスパルタ式であった。「どうしてこんなこともできないのよ」「お前はバカだ。アホ」と言われ続け、時には自分がバカだと思い込むようになった。子どもは親を選ぶことができず、良い性格や恵まれた才能を受け継ぐわけではない。しかし、親から受け継いだどんな性格や才能も、きっと人生に役に立つはずであると彼女は言う。
フジコ・ヘミングは、素晴らしいピアノの師匠に出会い、ショパンの曲に出会い、リストの『カンパネラ』に会い、トップの指揮者やピアニストたちと出会いながらたくましく成長していった。そして、ピアノに打ち込むことで彼女自身が形成されていった。淡々と描かれる文章からは、未来には良いことが待っており、鐘が鳴るという信念が行間から滲み出てくる。音楽のように、文章も心を動かす力を持っている。読み終えた後には、清涼感を感じることができた。
Posted by ブクログ
自分さえよければそれでいいという人に
天国の門はない
フジコさんは絶対天国にいくだろうなー
ほんとに頭がさがります。
フジコさんの言葉忘れないように
また時々読もう
ピアノも人間性もだいすき
下北沢とパリの家に遊び行きたい
お茶したい
ピアノ聴きたい
Posted by ブクログ
フジコ・ヘミングのラ・カンパネラは有名で知っていたけれど、どんな人なのか、全然知らなかった。
もう亡くなってしまっているのが残念
たくさん苦労をしてきて、それでもポジティブで希望を捨てなかったこと
決して偉そぶらない人間性
私もそんな風でありたいし、私なりの人生哲学を作り上げていきたいって思わせられた