【感想・ネタバレ】なぜ日本は「大東亜戦争」を戦ったのか アジア主義者の夢と挫折のレビュー

あらすじ

1924(大正13)年11月、最後の訪日を行なった中国独立の父と称される孫文は、神戸で“大アジア主義”を宣言した。当時、アジアのほとんどの国は欧米の植民地となっており、日本と中国が協力してアジアの国々を独立させねばならないということだ。大アジア主義を唱える日本人は、それ以前から少なからずいた。私は、アジア主義は正解だと現在でも考えている。それがなぜ大東亜共栄圏となり、大東亜戦争となったのか。大アジア主義から大東亜共栄圏への変遷、その経緯を明らかにするためには、昭和の戦争についてあらためて総括せねばならない。どうも私たち日本人には、連合軍が決めつけた“侵略戦争”というよりは敗れる戦争をしたことこそが致命的失敗という認識が希薄なようだ。そこで、いつどこでどのようにして失敗回路にはまってしまったのか、今後失敗を繰り返さないために、徹底的に洗い直してみることにしよう。(田原総一朗/本文より抜粋)

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Posted by ブクログ

日本が大東亜戦争に至る、表の話とは別な裏のなりたちが色々わかります。
これ程の背景がありながら戦争を始めてしまったは、やはり残念。

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2019年06月12日

Posted by ブクログ

日本にも気骨のある主義主張を展開していた人がいた。
欧米からの主張にのっかったりすること無く、ちゃんと考えていた人がいたんですね。どこに行ったんでしょう。またどうやったらそういう人が出てくる世の中になるんでしょう?

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2011年08月28日

Posted by ブクログ

南京事件については、日本軍の上層部は中国人への敬意をもち、指示した人もいたかもしれない。しかし建前上かもしれない。

部下は略奪禁止令をはいはいと聞き流していたのではないか。つまり、略奪や強姦などの南京事件はあったのではないか。上層部も見て見ぬ振りをし、軍としてそういう行為がまかり通っていたのはありえる。

日本的組織特有の下克上的命令無視。YesとNoがはっきりしていない日本の文化では上からの絶対命令服従ということはありえない気がする。
被害者の人数というのは今となっては正確なところはわからないだろう。

それにしても、大川にしろ頭山にしろ、国政に一般人がこれほど関わるものなのか。大川にいたっては、テロリストと考えてもいい行動だ。というかヤクザだ。この時代、こんな人間関係が国を動かしていたのか?それとも今でもそんなものなのか?そうでないと思いたいが。

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2013年11月30日

Posted by ブクログ

かつて
「教科書が教えない歴史 /藤岡 信勝 (著), 自由主義史観研究会 (著) 」
という天下の駄本がありましたが、

「教科書が教えない歴史」というタイトルは、この田原さんの本にこそ当てはまる言葉だと思います。

内容的にはかつて書かれた「日本の戦争(小学館)」を頭山満・大川周明・北一輝の視点からまとめ直した、という感じで、正直、深みは感じられません。

それでも、普通の人が読めば、多くの発見があると思います。
日本の「本来」の右翼は、反資本主義で反権力で、亜細亜主義者である、
という基本の当たり前のことがわかります。

北一輝が「天皇機関説」の上に立つ人だというのも理解できるはずです。

あの戦争を主導したのは、
部数拡大のために戦争を煽ったマスコミと
利権獲得のためだけに動いた(軍部)官僚とであり、

戦後、それを糊塗するため責任を亜細亜主義者に押し付けた、
という構図を理解する一助になればと思います。

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2011年05月08日

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