あらすじ
うまく話すよりも、大事なことがある。
NHKの長寿番組「おかあさんといっしょ」のエンディング曲「きんらきら ぽん」の作詞を担当、手話を言葉として生きる写真家・齋藤陽道さん。手話を禁じられ、心から言葉が離れていった幼少期。手話に出会い、初めて会話の楽しさを知った高校時代。心の底から他者とつながるために写真を撮り続けた日々。「つながり方」を発見していった過程は、他者との関係性に悩む人を後押ししてくれる。言葉が伝わらないことを身にしみて知っているからこそ見出した、「言葉の共有地」「言葉の解像度」「消感動と宿感動」「存在を聴く」などの視点から、安易なノウハウではない、コミュニケーションの「そもそも」論を学ぶ。
【内容】
はじめに 言葉とことば
1 ことばの共有地
2 心から離れた言葉
3 手話との出会い
4 「見る」と「見えている」
5 まなざしで伝わったもの
6 あなたと私の「共通言語」
7 相手の存在を聴く
8 ことばは深化する
9 言葉の解像度
10 息づく言葉
11 当たり前を見つめ直す
12 一人ひとりが持つ「カタリナ語」
13 「消感動」と「宿感動」
おわりに そして、はじまりに。
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Posted by ブクログ
ことば、は意味をやりとりするためのものではないのかもしれないと思った。もっと、形のないもの、を伝えあうことのようなきがした。
自分自身のことばをもつ、ということは、苦しさを生き抜くうえで、救いにもなるし、唯一息がしやすくなる、よりどころにもなる。
助けられてばかりの弱い自分じゃない、自分の足で立って、やっていくんだという表明にもなる。
うちのなかにあるものを表現するとき、それはことばでも、手話でも、写真でも、絵でも。意味を伝えたいのではなく、わからなさのままでも、「何かが相手に伝えることができた」の一瞬そのことがコミュニケーションなのかもしれない。
めにはみえない、きこえない、それでも本能でかんじる、「何かが伝わった」「何かが伝わってくる」、それが、そのぽかぽかするところがだいじだと思った。
相手がなにを伝えようとしているか、耳を澄ます、全身の毛穴かっぴろげて、かんじとろうとする、その姿勢だけでも、
「このひとはきいてくれているんだ」
というメッセージになったりする。
うちの猫のいうことに、「そうなのか〜」「そうなんだね」「うんうん」と相づちをずっとうってたら、めちゃくちゃおしゃべりな猫になったことを思い出した。
「言っていることがうけとってもらえた感覚」が、猫もうれしかったのだろうとおもう。
Posted by ブクログ
意味を伴う「言葉」と、それになる前の判然としないものを含めた「ことば」。
自分自身で感じた「ことば」を、すでにあるものではない「言葉」で丁寧に紡いでいこうとすることの大切さ。
言葉で人をラベリングしてわかった気になってはいけない。「ことば」を捉えて想像力を働かせることで世界の見え方は変わる。
概念的なことがひたすら綴られるが、ろうであり手話を使って世界を捉え続けようとしてきた著者の丁寧な言葉が沁み入る。
Posted by ブクログ
ことばって、一つじゃない
誰しもがわかる共通で使えることばなんてありはしない
強いて言えば表情?かもしれないけれど、作られた表情もあるしなぁ
どれが優れていて、どれが優れていないかではなくて、ことばに関しても優劣をつけることはしてはならないことだと思う
言語、というもので縛られることなく、この世界を生きていけたらどんなに素晴らしいことだろう
簡単に言葉を話すことができるからこそ、本当は大事にしなくちゃならない言葉