あらすじ
高崎で気ままな大学生活を送るヒデは、勝気な年上女性・額子に夢中だ。だが突然、結婚を決意した彼女に捨てられてしまう。何とか大学を卒業し就職するが、ヒデはいつしかアルコール依存症になり、周囲から孤立。一方、額子も不慮の事故で大怪我を負い、離婚を経験する。全てを喪失し絶望の果て、男女は再会する。長い歳月を経て、ようやく二人にも静謐な時間が流れはじめる。傑作恋愛長編。
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とりたてて衝撃的な筋ではない。
が、読みながら感じていたのは、文体の不思議さ。これが「来た」。
序盤は、一人称に極めて近い三人称。
終盤は、三人称を乗り越えてくる一人称。
なぜというに、読み進めるに連れて「俺」が私の胸中の一部に巣食ったからだ。
少し特異な文体は、内容への共感と並行して、文を読み進めることによる共感を、誘う。
だからこそ、「ばかもの」と言い合える関係性に、ぐっときてしまうのだ。
小説はある程度の分量を経て、つまりは文脈を経ることで得られる感慨だ、と改めて認識した。
酒への耽溺は他人事ではない。
寄る辺なさ、思いの行き場のなさ、俺自身が俺を扱いかねているのだから周囲にとってはなおさらだろう。そういう感覚は年を経るごとに高まっていく。
それが男性にとっての、不可逆的な成長=頽落なのだろう。
「想像上の人物」については、一考の余地あり。
ただの妄想かと思いきや、たった一度だけ、現実?に介入してくるからだ。
そしてその後、来ない。来てほしい場面で徹底的に来ない。
周囲のどんな人の助けもちょっと足りない、という赤染氏の鑑賞は、まことまこと。
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とっても良かったです。この作家さんは前から読みたいと思っていて、今回、はじめて読みましたがとてもいいなぁ、と思いました。作中でてくる
『容易じゃねぇなあ』というのがとても私には渋く、ある意味この作品に収斂していく表現かなぁと思ったりしました。この作家の作品を他を読んでみようとおもつています。
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高崎の大学生、大須秀成(ヒデ)は吉竹額子27歳に夢中。でも2年後、額子(ガクコ)は結婚。その後、ヒデは、山根ゆきや翔子と付き合うが、28歳の時はアルコール依存症に。酒を断つか命を断つか。3ヶ月入院。額子の母に会い、額子が事故で左腕を切断、離婚して片品で一人で住んでることを聞く。電車とバスで2時間、バス停に総白髪の女性が。額子の家で食事をした後、額子はヒデにお願いを。右腕をゴシゴシ洗ってほしい。そして、右の腋毛を剃って欲しいと。秀成と額子の長い年月をかけて辿り着いた愛の物語。絲山秋子「ばかもの」。
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えらい強烈なのと付き合ってるなっていう、オープニングからして求心力絶大。読み心地の良い文章と相俟って、どんどん世界の中に引き込まれる。で、最初はちょっと哀れな主人公に同情しちゃいそうになるんだけど、だんだんアルコールに溺れて、いよいよ中毒になっていく過程は、ホントくず。読んでてイライラさせられっぱなし。でも入院を契機にそこから離脱して、最後元サヤに収まるまでを描いた物語。くず男の一代記なんだけど、コンパクトに200頁くらいに纏められていて、でも読み応えは抜群でっていう、理想的な小説に仕上がってます。”イッツ・オンリー~”は、正直そこまで大好きな作品ではなかったけど、これは素晴らしかったです。
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アル中ヒデの恋愛物語。これで終わってしまう人も中にはいるのだろうけど、どうしてだか、私の中ではこの本はそう簡単に終わらせることはできず、むしろずっと心に確かな余韻を残していった、好きな本になってしまった。
額子に振られたのを境にヒデは徐々にアル中への道へと逸れていく。ヤマネも宗教の道へ。額子は額子でまた辛さを抱え、一番まともで一番幸せをつかんで良いはずの翔子は、一番厄介なヒデが重荷となる。
ヒデの中には常に理想となるある女性が目の前に現れていて、ことごとくその女性が顔を出す。ある時を境にそれは消えてしまうのだけど、それはその人を必要としなくなったから…現実にその人に代わる安心を得たから。そう、私は思っている。
その人自体は変わってないけど、その人がいることで得る特別な安心感や、安らぎというものは確かに存在する。たぶんヒデにとっては彼女がそうだったんだなって思えた。
ばかものって、意外に愛のある言葉なんだと思う。
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結局、他人の心の内は分からないが、誰かに想われている、信じられていると感じることだけが人を救うのだと思う。そして、それを知るには長く迂回をする必要がある。ネユキが理解し得ない宗教という壁の向こうから、ヒデを祈るように。額子が、別れ際にヒデに残酷な仕打ちをしながら、後にはアル中になったヒデを髪が白くなるほど心配したように。
みんな生きながら何かを失っていく。そして失ってしまったことに耐えられず、幻を作り出す。時には安定を求めた現実自体に裏切られて。だが、誰もが、行き場はないことに耐えなければいけない。街の子宮はえぐり取られている。ヒデは酒に手を出し、ネユキは宗教にすがった。ヒデは友人を、額子は腕を失った。だが、額子は片腕でなんでもできるようになった。ヒデは、おばやんや額子に支えられてなんとか生きている。
ヒデを酒へと駆り立てた「行き場のない想い」とは、失うことへの不安だろうか。現在を生きることが、他の可能性の放棄であり、それ自体小さな死の経験である。それとも、もう失ってしまって取り返しがつかないという絶望だろうか。アルコール依存症は、誰でも陥り得る現代の凡庸な不幸の一類型だ。そして、無音の、無臭の街の姿は、酔いから醒めても現実は行き場としてないことを表している。制度や伝統はあてにならない。一番強いのは人が人を想う気持ちである。
最後の場面が特にいい。川端康成の「雪国」のラストの翻案だと思う。
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群馬(高崎・前橋)の話で、また方言がとてもリアルで驚き。これもよかったなあ。
アル中の焦燥感ってこんな感じなんだろうな、というのがよくわかる。
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ばかもの 本人?の一人称で書かれた物語は、荒削りで生々しい…。読んでて こちらがギュッと苦しくなる描写を くどくどと書き連ねている波に いつのまにか巻き込まれている様だった。
ばかもの 後は なんとか ええ感じで生きってって欲しい。
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平凡な生活を過ごす大学生のヒデはバイト先の年上女性の額子に誘われ初めて女性の身体を経験し付き合い始めるが何事も経験豊富な額子に始終リードされっぱなしのヒデだが、どんどん額子のクールで不思議な性格に引き込まれて行くが付き合って2年目に夜中の公園の立木に下半身を曝されて縛られたままで結婚が決まったから別れると一方的に宣言され額子は去って行く。
額子が居なくなった後、ヒデは就職や新たな恋人と付き合いながらも充足されない心をアルコールで満たす様になって行き親友の加藤や恋人翔子の忠告も無視しアルコールに依存する生活が続いて行く。
家族・友人・恋人・職場・身体の全てをアルコール依存症のヒデは失ってしまいどん底の中で飲酒運転で事故を起こしてしまい断酒する事を決意しささやかで素朴な人生を取り戻して行き額子と再開するが変わり果てた彼女との結末は。。。
この小説は短いですが可笑しさ・せつなさ・絶望・愛がぎゅっと凝縮されとても深く心に浸みます。冒頭では額子とヒデの過激な性描写に驚き、額子に別れを宣言される公園でのシーンには変態的なプレーとその状況は思わず笑ってしまいます。大学時代の友人ネユキが宗教団体に入信、親友加藤は大人としての基盤を築いている、依存症のヒデが自分を取り戻し本当の気持ちを大切にして、お互いに素直になれるのだろうか、
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これ嫌な人は嫌かもしれない。いきなりエロエロで始まるし、主人公の男は超絶馬鹿で同情の余地もないし。
10代の頃に出会った年上の女性にドロドロにはまった挙句捨てられて、それ以降の彼の人生を追ってそのどうしようもなさを追体験出来る本です。
転落っぷりが妙にリアルでエロから始まった本のはずなのに、段々苦しい気持ちになって来て、中盤まで読んだときにはこの馬鹿男の友達になったような気分になっていました。
男女の情愛を書いた本ですが、これをどういう風に読むのかは人それぞれという気がします。でも私にとっては非常に刺さる本でありました。私はこの男のような要素はどちらというと無く、無難な生き方をする人間なのですが、それでもこういう本を読むと人生って一度きりなんだなあとしみじみ思いました。
酒、博打、女、薬物に嵌って人生台無しにする人は心が弱い、と思ってしまいます。実際そうなのではないかと思っていますが、その人間の弱さが極めて文学的です。強くて自分の道をまっすぐ歩いていく人の話はどちらかというとエンターテイメントですもんね。
絲山さんの本はやはり純文学なので、人の弱さにスポットを当てた作品が多いのでしょう。
これ、絲山さんの本の中で現時点最も好きです。
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(以下、ネタバレ気をつけていますが、核心に触れるセリフを引用してしまっています)
「沖で待つ」もそうだったんだが、わたしにとって絲山秋子の小説は、ある程度歳を重ねてきたからこそ共感できる、という部分がある。主人公は若者なのに・・・
年上の女性にドはまりしたあげくに振られ、大学で落ちこぼれていつしかアルコールに溺れる。
自信満々(単に世間知らず)なだけの若いときの自分なら、こんな「ダメ人間」には感情移入できかなったと思う。
「たぶん俺はずっと誰かに甘えたい男なのだ。でもそれはこういう形じゃない。もっと、誰も不幸にならないような甘え―――そんなことは可能なのか」
「俺は、かつて自分をアルコールに駆り立てたものが、『行き場のない思い』だったことを理解している。アルコールだけではないだろう、今までやってきたことの殆どすべてが、『行き場のない思い』から発している」
今だって、こいつ甘ったれたやつだな、と思って読んでいる。が、「ま、わからなくはないけどさ」とも思っている。
だからだろうか、ラストシーンの川の水の冷たさが、得も言われぬさわやかな後味を伴って胸の中に広がるのだ。
Posted by ブクログ
絲山秋子さんの文章が好きです。
リズム感があるし、簡潔で、なんだか面白くて。
書き方は淡々としているのに、内容や描写が切なくてどんどん読み進めてサラリと読めてしまいました。
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アルコールに依存して完全に駄目になり孤立した男が、それからまた誰かとともに生きようと再生するお話。主人公は普通より数倍どうしようもない人間だけど、そのどうしようもなさは等身大でありとても共感できる。なぜ等身大であるかというと、主人公の生まれや環境に特別な不幸や不自由がないからだと思う。学生時代の彼女とセックスの後に缶ビールを飲む習慣が別れた後もなんとなく残り、次第に飲む量が増え、いつのまにか依存症になっていた。それだけなのである。私もこの主人公となんら変わらない。多くの一般的な人の生活と近い延長線上にある。だからこの小説は広く共感を呼ぶ力があるのではないかと思う。
読んだ方はわかる通り、主人公が断酒する決定的なきっかけになったのは結局交通事故なんだよね。これを読んで人が自力で変わるのは本当に難しいということを改めて考えていた。意志の力がすべて虚しいというのではなく、それほどの強い意志を持つというのは現実的にはとても困難だということだ。人は外部に頼らないと生きていけない。だからこそ限りある出会いを大切にしなきゃいけないんだなと気づいた。酒や交通事故に頼ってしまうことにならないように。
最後に、この作品から受けた感銘をこれ以上ない的確な言葉で綴った一文が解説にあったので引用します。
ーーたがいに自己でありながら他者でもあるという経験をし、けっして完全な自己などありえないということを知って結ばれるふたりの関係は、思いやりと気遣いに満ちていて美しいーー。
お勧めできる作品です。
(ついでに言うと、この解説がなかなか興味深くて、歴史を背景にした文学史におけるこの作品の位置づけと新しさが簡潔にまとめられている。山田詠美『ぼくは勉強ができない』との比較も面白い。)
Posted by ブクログ
主人公ヒデの言葉通り、人の人生は「容易じゃねえなあ」というのが一番の感想。儘ならないことばっかりで、人を傷つけ人に傷つき、それでも存在し続けなければならない過酷さ。だけど、そんな日々の中で何かを失った経験をした後のヒデと額子は、きっとお互いを思いやって大事にし合えるのだと思えるラストはとても温かかった。
Posted by ブクログ
長らく積んだ。想ったより数倍ロマンチックな恋愛小説。文章にリズムがあるからかするすると読めるのだけど、今回は少しずつ。読み終わるのが惜しくて、とかではないけれど。
ヒデが駄目な奴かどうかはともかく、こういう男(便宜上ダメ男)を書かせたら作者は人後に落ちない。
最初から既に、道を踏み外し転落しそうなオーラに満ちた男と、いかにもな危うさを持った女。何かしらの意味で「壊れてしまった」人たち。
酒におぼれたり友人が宗教にはまったり。嘘やん、と思うくらい坂道を転がるような展開は、いかにも社会の不条理を表しているようで一種の寂寥感を覚えはするけれど、語り口がユーモラスだから服無きまま木に括り付けられた主人公が自ら拵えた妄想に妄想を重ねてゆく姿は可笑しくもある。というかおかしい。でも実はすごくナイーブなところに迫ろうとしているのかも、かもしれない。と後半読みながら考えた。あたたかくて強いのは作者の視点。
Posted by ブクログ
流されるばかり、ついには酒に溺れるダメ男のヒデと、強いのか弱いのか何とも捉え切れない性格の額子の物語。
二人ともある種の破綻者なので、感情移入し辛い筈なのに、なぜか物語に引き込まれて行きます。そこらは絲山さんの上手さのようです。でも、入り込めない人も居るでしょうね。ですから人によって評価が大きく割れる作品だと思います。
つらい経験をした後の二人の再会。燃え上がる訳でもなく、どこか淡々と寄り添って行く静謐感が良い感じです。
映画化されるそうですが、どうかなぁ。
Posted by ブクログ
眼前に無限に伸びているように感じる時間の意味のなさと途方もなさに行き場のない感情が肥大してアルコールで目隠しをして今日と明日を繰り返すだけの生活が生々しい。酒をやめるか、生きるのをやめるか
アル中目線の語り以外のところは、まあ普通だった
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3.5 アルコール依存をめぐる物語。主人公はアルコールで全てを失う。今でこそ飲むことはある程度コントロールできるが、昔はこの主人公に近い状態や心情もあったことを思い出した。人に優しく、傷つけずに生きていきたいなと思った。
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等身大の人が落ちていく様を生々しく書いていてとても怖かった。
内容しては大学生の主人公と年上のパートの女性の恋愛物語。初めは歪ながらも付き合っていたが、女性の方が結婚して主人公は別れる。その後主人公別の彼女や就職といった普通の人生を進んでいくがふとした瞬間に躓いてしまう。躓いて周りに助けを出すが助からず最後にはパートの女性の親戚に頼りそこからまた彼女との関係が結びついていく物語。
正直、主人公の方はかなり共感をさせられてしまい読んでいてかなりきつかった。
Posted by ブクログ
かつて愛した女・額子に下半身丸出しで木に縛り付けられ「私結婚するから、じゃね」とあっさり捨てられた青年ヒデが、アル中社会人生活を経て、片腕を失ったかつての恋人額子と再会を果たす物語。
だいぶ端折りましたが、大筋はこんな感じ。ざっくり書くと本当カオスな物語だな……。
moratoriumを経て社会に出たものの、アルコール依存症になってしまい、恋人も友人も失う顛末が、「そりゃまああんた自業自得ですわね」と若干鼻白らむんですが、なんとか踏ん張って断酒するヒデの独白が、元カノ額子を思い出すでも感傷に浸るでもなくアッサリしてて、なんか無性に読み心地が良い。
額子との再会も、ドラマチックではなく淡々としていて、だけどどこかぎこちなさが伝わる2人の様子に、ちょっぴりじーんとしたのでありました。
ラウンドアバウト(迂回)してようやく邂逅を果たした二人。どうか不器用な彼等の前途が、少しでも困難が少ない道程でありますように。
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な。なんだこれ?という小説だなあ、って印象。読んでいて、ビックリするほどに「そう行くのか!?」という展開。いやあ、驚きでした。中編?というか、短編?というか、極めて短い、あっちゅう間に読んでしまえるのに、ここまで展開変わるかね?という驚き。
いきなり、主人公と、年上の恋人の女とのエロエロのシーンから始まり。その後。問答無用でフラれる。
学生時代からの女友達が、何故かいきなり。宗教にハマりまくっている。
主人公、気が付いたら、バンバンにアルコール中毒のダメ人間になる。
そっから一応回復?して、まあ、あの、ええなあ、って感じの終盤に、流れ込む。
という。いやもう。え?なんなんこの展開?という、全く予想していなかった流れにドンドンと話、進むんです。ビックリした。なにこれ?なにこれ?という物語。
だが、それが、なんだか、こう、妙に納得できるんですよ。ああ、、、こういうの、、、あるかもなあ、、、ってか、うん。なんじゃこら?この展開、意味わからんぞ?という感じでは、ないのです。なんとも、納得、できてしまうんです。不思議と凄い。
凄い不思議な味わいでした。コレってアリ?ナシ?なんなん?って思いつつ揺れ動きつつ読んで、いやでも、うん。アリですね。って思う。思うに至った気持ちの動き。自分としては。面白かったですね。
どうなんだろう?好きか嫌いか?って、結構分かれるんじゃないかなあ、、、って内容でしたが、自分としては、最初は意味わからん、って思いつつ、途中から愛おしくなり、終わり口は極めて納得。ああ、ええもん読ませてもらいました、という印象。なんじゃこの感想?って感じですが、うん。好きです。こういうの。決してアルコールに溺れないようにしたい、、、という気持ちを、できるだけ持ち続けたいです。うん。
それにしても「ばかもの」って。「馬鹿者」ではなくて、なんか、ひらがなで「ばかもの」って、愛があるなあ、って、思いますね。日本語って、いいなあ。
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どうしようもないアル中のヒデの物語。
というのは端折りすぎで、群馬の各地域を、登場人物を通して活き活きと描き出した気持ちのいい作品。ばかもの。
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ヒデが酒に溺れていく姿は笑えなかった。あんなふうに落ちていくのならオイラもアル中になる可能性があるし、もしかしたらすでになっているのかも。健気な翔子を大切にできなかったヒデはばかものだ。でも、大切な人だってわかっているのに傷つけるようなことをしてしまうのはなんかわかるなぁ。そんなことをしてもお互いになにもいいことなんかないのに。退院したヒデに額子が会ってくれたのは悲しい離婚を経験したからなのかな。額子は遊びで付き合っていたヒデを愛していたってことなんだよな。だったら、ヒデを木に縛り付けたまま捨てるなんてことをするなって話だけど、女の人の考えることはよくわからない。
そう言えば、ヒデの想像上の人物ってなんだったんだろ?
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この本に出てくる人間たちは、ひとりなのにひとりでない。何か自分を補完するものを必要としていて、寄りかかる”自分”というものが欠落している。そんな、自分という枠の中がスカスカで、何かをその“スキマ”に詰めないと固い”自分”が存在できないような脆い人々の話だ。私たちの心の中の弱い部分をそのまま抜き出したような人々だ。そんなどうしようもない弱さを「ばかもの」と一蹴されるような、物語にすると滑稽だろうと嘲笑うかのようなタイトルなのだこれは。
主人公ヒデは額子を失ったことで、次第にアルコールへと依存していく。寄る辺ないネユキは、失恋を機に宗教団体に依存していく。スキマを何かで埋めなければならないからだ。「行き場のない思い」というのは、このスキマがスースーしてしまう喪失感とそれを何かで埋めたいという個の完成への欲求だ。彼らは真の意味で自分自身と向き合うことができない。そのスキマに詰まったものに個が左右されてしまうからだ。そしてネユキは個を侵されて崩れていく。
額子は物理的に自分の一部を失ったことで、ヒデやネユキが抱えたのと同じ“スキマ”を身体的にも精神的にも抱えることになった。そのスキマを埋めたのはヒデだ。そしてヒデは、“想像上の人物”によって額子の両腕を感じることができるようになる。“想像上の人物”は額子の身体的スキマを埋めたのだ。「俺は今、想像上の人物を必要としていないのかもしれない」最後にヒデは思う。ヒデのスキマは額子の両腕によって満たされた。そして額子へ「ばかもの」と言えるようになるのだ。
絲山秋子の小説自体にも不可思議なスキマがある。一見奇想天外に見える急展開だったり、不自然な語感のセリフだったり。“想像上の人物”はそんな物語のスキマも埋める働きをしているように思う。スキマの補完として描かれる“想像上の人物”は、きっと私たちが抱えるスキマにも気付かないうちにそっと寄り添ってくれているのかもしれない。人生のありとあらゆる物事が、自分の想像に依っているのだから。
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気ままな大学生活を送るヒデは、年上の女性額子との性的な関係に溺れていたが、結婚を決意した彼女に手ひどく振られてしまう。
社会人になったヒデは、いつしかアルコール依存症になり立ち直るきっかけをつかめずにいた。
一方額子も不慮の事故で左腕を失ったうえ離婚し、一人山間の村で生活していた。
全てを失い、絶望した二人が長い年月を経て再会した・・・
絲山さんの文章は読みやすく、気持ちが良い。
ヒデがなぜアル中になったのかよくわからなかったが、実際に酒浸りになるときもそんなものかもしれない。
ずっとヒデが抱いていた「行き場のない思い」って何なのだろう・・・額子もまた行き場なく山奥の村に流れ着いた。
互いに大きな欠落を抱え行き場をなくした二人が、互いを思いあい、共に生きていくことを決めるシーンは自然で美しかった。
Posted by ブクログ
筆者特有のテンポのよい文体のおかげで、激しさや深刻さが、淀みなく、流れていく。
恋愛って別に美しいわけではなく。
人間って別に高尚な生き物というわけではなく。
等身大の自分と向き合ったような気分になり、恥ずかしくもほっとした。
Posted by ブクログ
ばかものな男の子と、ばかものな女の人のはなし。こんなおかしなものも書くんだ、と思いつつ。わたしが惚れ込んだ絲山秋子の圧倒的な憤りは見えないな、と思いつつ。