【感想・ネタバレ】帝国陸軍―デモクラシーとの相剋のレビュー

あらすじ

陰湿、粗暴、狂信的……と語られてきた大日本帝国陸軍。
しかし実際には、建軍当初から、国際的視野を持つ開明的な将校などは多く存在していた。一九四五年の解体までの七十余年で、何が変化したのか――。
本書は、日露戦争勝利の栄光、大正デモクラシーと軍縮、激しい派閥抗争、急速な政治化の果ての破滅まで、軍と社会が影響を与え合った軌跡を描く。
陸軍という組織を通し、日本の政軍関係を照らす、もう一つの近現代史。


目次
はしがき
第1章 栄光からの転落
第2章 第一次世界大戦の衝撃
第3章 ポスト大戦型陸軍への挑戦
第4章 「大正陸軍」の隘路
第5章 「昭和陸軍」への変貌
第6章 陸軍派閥抗争
第7章 政治干渉の時代
第8章 日中戦争から対米開戦へ
終 章 歴史と誤り
あとがき
主要参考文献
関連年表

...続きを読む
\ レビュー投稿でポイントプレゼント / ※購入済みの作品が対象となります
レビューを書く

感情タグBEST3

Posted by ブクログ

本書では、建軍から日米開戦までの日本史を扱っています。
①陸軍内部における将校個人の動向と、②陸軍と内閣・議会(政党)・世論といった国内政治との関係の2点が主に描かれます。
海軍や外国の描写は少なめです。
頻繁に典拠を挙げて史学的な基礎づけを行う一方、個々のアクターの思惑をかなり明快に描写することで読み物的な面白さがあります。
(私は史学についてはでよく分かりませんが、p.268で書いているように、もちろん著者は歴史描写に伴う単純化の陥穽について自覚的です。)

寡兵で装備も貧弱な戦前の日本は、縦深のありすぎる日中戦争を行ったり、国力に差のありすぎるアメリカと開戦したりと、純軍事的に見ても訳の分からない行動だらけです。
(軍学校の戦史研究でナポレオンが広大なロシアを征服しきれなかったことを学んでいるはずだし、外国への留学等でアメリカの国力は承知していたはず。)
こうした行動について、本書では、その時その場の状況に限って言えば、少なくとも陸軍将校である当人たちにとっては合理的理由があったことを説明してくれます。

満州事変以降は「どうしてこうなった!」という皮肉な展開の連続です。
日中戦争の泥沼化、大東亜共栄圏という目的の後付け、ドイツの快進撃への便乗。この過程で行われる手段と目的の顛倒と自己正当化が、その後の日本の選択肢を縛っていきます。
自分が日本人であるということを忘れられれば、かなり面白い本だと思います。
でも、やっぱりこうした展開は読んでいて切なくなります。
読者である私たちも、何百万人の将兵の命こそ背負っていないものの、組織の一員として働く以上、こうした手段と目的の顛倒や自己正当化の愚を犯す危険は常にあるからです。
いわゆる戦場の霧はどんな仕事にもある以上、選択を誤ったり、何か重大な要素を軽視したりといったことを避け切れるとは限らないわけで、こうしたことに対する不安や憂鬱を抱きしめて働くしかないのですが…何ともはやです。

0
2025年08月25日

Posted by ブクログ

戦前史に関心のある人なら必読の書。
これまで言われてきた大正デモクラシーで出てきた民主主義の萌芽を帝国陸軍が軍国主義で押し潰し、国民はその圧政に苦しんでいたという通説をひっくり返す。
歴史がいかに皮肉と逆説に満ちたものかを感じさせる。

一次大戦後の平和主義と民主主義が軍人軽視につながり、一方で陸軍は総力戦と軍の近代化に焦りを募らせる。
社会に適合しようとした陸軍は、次に中国の反日運動と不況の中、世の中の影響を受け、社会改造に乗り出す機運が高まる。
軍縮の動きの中、融和的な宇垣軍政は政党に軍改革の矛を鈍らせ、軍の特権的地位を保持することを許す。

大正デモクラシーにおける陸軍を抑圧した動きが昭和恐慌の中、歯車は逆に動き出し、陸軍は国防への危機感と国政改革への使命感、軍人蔑視へのルサンチマン、それらが相混じり、国際情勢への読み間違いもあって最悪の道を辿った。

本来、山縣有朋が目指した統帥権独立とはこういう社会の動きから隔離された軍を目指したものではないか。
問題であったのは統帥権ではなく、政治家や国民が権力を持ったにも関わらず、軍を適切に扱えなかったことにあるように思われる。

そしてそれは戦後にそのまま裏返しとなって、自衛隊への迫害、蔑視になっている。
(個人的には小学校の日教組の教師が露骨に自衛隊員を差別していたことにいまだに憤りを覚える)

アメリカの世界支配の中であればそれも問題なかったが、これからの厳しい国際情勢の中で、日本人はこんどこそ軍を適切に扱えるだろうか。

0
2025年08月20日

Posted by ブクログ

帝国陸軍を大正デモクラシー期から昭和にかけて見ていく書籍。日露戦争で勝者となったものの、その後国民からの冷たい視線に晒されて徐々に自壊していく。派閥争いや過度な政治介入を経て自らの組織だけでなく国そのものまでを滅ぼす戦争へと突入する。その過程においてさまざまな選択肢が存在するものの、どれを選んでもあまり明るい未来が見えないのが昭和陸軍の性格を表していると感じる。数々の選択が後々自らの首を絞めることになろうとは、全く皮肉としか言いようがない。

0
2025年08月03日

Posted by ブクログ

太平洋戦争へ突き進む帝国陸軍。国力で遥かに日本より勝るアメリカとの戦争へ突入し、広島長崎への原子爆弾投下で降伏、GHQによる占領も経験した。後世の我々から見たら重化学工業力も資源の量(日本は石油をアメリカから輸入)も全く及ばない10倍以上の国力を有するアメリカに挑むなど、愚かな行為にしか感じられない。だが、日本がその道に進まざるを得ない歴史の下り階段は、明治、大正時代を経て確実に日本の国内に階段を数段飛ばしで駆け降りていく要因が形成されていく。
明治維新を経て日本は海外の先進的な国々から武器を手に入れ戦術を学び、後進国ながらも確実に軍事力を身につけ始めた。まだまだ追いつかない技術力も、他国から武器を輸入し、研究を重ねていく事で自分たちのものとする。それは軍部だけでは困難であるから、政治と軍部が深く繋がっていく事で国策として推進されていく。軍部の意見が如何に政治に反映されるか、その度合いにより日本の軍事力は大きく左右される。国内には人口増加や食糧増産などの様々な課題を抱えていたから、やがては先進国同様に、海外に活路を見出すのは自然な流れである。その様な中で第一次世界大戦による国家総力戦の考え方が一般化され、いよいよ日本も国を挙げて戦争に備える時代がやってくる。自分たちの国を自分たちで守れなければ、やがてはヨーロッパ先進諸国の食い物にされてしまう。国を守る為には、国民が一致団結して備えなければならないという考え方も極自然な事だ。だからこそ、政治への介入は軍部にとって非常に重要であり、政治も外交として軍事力を必要としていく。
だが必ずしも民意がそれに同意していたわけではなく、軍人が経済のお荷物として、見下されるような社会的背景も併せ持つ。大正時代長く続いた軍人の地位の低下は当時の軍部にとって良質な人材確保や軍事力強化の壁にもなる。買って勇ましいのが軍隊であり、戦争もせずに国にぶら下がっているだけの存在では、単なる経済発展の阻害要因にしかならない。だが、その様な時代にも名を残す軍人たちが多くいた。彼らは日本の軍事力の近代化や軍部の地位向上に向け着々と準備を進めていく。
本書はその様な時代と軍部の関係を一つずつ丁寧に紐解いていき、やがて突き進むことになる太平洋戦争に至る経緯を辿っていく。歴史は大河の流れの如く、天から降り注ぐ雨がやがて地下水系から地上に湧水として姿を表し、小川からやがては大きな流れにと繋がっていく様なものである。その過程に於いて何人もの流れる方向性を変える様な重要人物たちが現れる。本書で言えば、軍縮を進めた宇垣一成や、陸軍の理想を貫こうとした石原莞爾、政治と連動する軍部の力を確立させた永田鉄山、石原さえも原論で屈服させる武藤章など、本書が取り上げる人物は様々ある。彼らを中心に明治、大正、昭和の帝国陸軍が歩んだ道のりを知り、太平洋戦争に至った経緯を学ぶ事ができる本書は、実に流れを把握する上でわかりやすい内容となっている。
日中戦争等で多くの犠牲を払いながらも大陸に出る足がかりを作った日本。戦線拡大を正当化する為に用いた大東亜共栄圏の理想は、アメリカの利害と衝突する。アメリカによる対日本への資源の輸出禁止は、日本の危機感を高めつつ、アメリカとの戦争を決断させるまでに至る。そうして日本は太平洋および大陸中国との全方面への(二正面というよりも全方角)戦いに突き進んでいく。個別の事象を切り取っていくら研究しても、太平洋戦争の原因を明確にこれだ、と言い切ることはできない。だが本書の様に、それまでの流れを源流(帝国陸軍の発足)から辿る事ができれば、より理解もしやすく正確性も増す。きっと多くの読者はそれでも何となく太平洋戦争が始まっていく、という印象をもたれ流のでは無いだろうか。今目の前の川を流れる一滴の水が、どこの山に降り注いだ雨かはわからなくて当然。それは多くの地点に降り注いだ雨の雫の集まりであるのだから。読者にできるのは、少なくとも降り注いだ山をできる限り特定して、一つずつ丁寧に辿っていくしか無いのである。そして、私は今日もそうやって雨の降る山で地面を見ながら歴史の源泉を探す1人に過ぎないのである。

0
2025年09月26日

Posted by ブクログ

例えば保阪正康の『昭和陸軍の研究』が昭和の戦争と陸軍の行動原理を外側から客観的に分析したものだとすると、本書は陸軍の内側からその行動に至る主観的動機を探るものと言えるかもしれない。
動機の源を大正デモクラシー期から蔓延する大衆的「アンチ・ミリタリズム」おく著者は、従来の「陸軍の専横が戦争を招いた」とする歴史観に対し、政党と大衆というデモクラシーの要素と陸軍との距離感、そして陸軍内部の派閥をはじめとする人間関係の時局に応じた変遷をたどることで、「専横に至る必然」を説明しようとする。
するとどうしても通底する反軍感情と満州事変以降の好戦的ナショナリズムという相反する大衆意識に直面せざるを得なくなり、個人的にはどうもそこがスッキリしなかった。
日中戦争時の近衛声明に統帥部が最後まで反対した事実は、太平洋戦争開戦時の内閣・統帥部関係とちょうど真逆であり、双方でキーパーソンとなった武藤章の陳述には、事実を踏まえているからこそ余りにやるせないものを感じてしまう。本書のハイライトだろう。

0
2025年09月05日

Posted by ブクログ

太平洋戦争は、明治維新以降、すさまじい国家的努力の投入により構築されてきた日本の軍システムが、日露戦争での成功体験を経て、手の付けようがないほどに増長したために起こった・・というのが、わが国の通俗的な理解。おそらく小学校教師が社会科で現代史パートを教えるときも、そういう考えをベースにコトバを紡いでいるだろう。
だが、本書では、20世紀初頭の世界史的な流れを明快に分析し、太平洋戦争への道程への理由付けを、日本の軍システムの内在的なものだけに帰責することはできないことを示している。19世紀から20世紀にかけてのすさまじい技術進歩と、他国よりも相対的に後発であった大日本帝国の焦り。にもかかわらず、第一次世界大戦の後の世界的な軍縮の動きにより、新構想は遅々として進まず、むしろ軍組織のスリム化によってポストは枯渇し軍人のモチベーションを損なう。一方で、こちらも世界史的には後発であった、日本におけるデモクラシー化の流れにより、軍人へのバッシングもあった。こうして軍がある程度持っていた闊達さは失われていく。
デモクラシー的な政策プロセスと、国家安全保障のために軍が必要とするリソースの確保をどのように両立するかという難問に直面し、明治以降の我が国システムの特異性である、統帥権独立という概念を、いわば恣意的に運用するという手しかなかった。政党政治側もそれを理解の上で妥協解に落とせているうちは良かったが、当事者が入れ替わるうちに、双極とも自分側の主張を枉げることはできなくなり、溝は深くなり、政治は機能不全を起こす。混沌状態を嫌い、単純な結論を好む大衆的(でもくらしー?)な裁定においては、ある意味で明快な、国防的必要性ばかりが煮詰まっていくことは必然であった。
こうやってみると、20世紀になっても日本は19世紀的システムを引きずらざるを得ず、結果として20世紀に適応していた連合国側に敗れたのだという見方もできる。

0
2025年08月16日

「学術・語学」ランキング