【感想・ネタバレ】虹いくたび(新潮文庫)のレビュー

あらすじ

建築家水原のそれぞれ母の違う三人の娘、自殺した母の悲劇と戦争に恋人を奪われた心の傷(いた)みのために次々と年下の美少年を愛する姉百子、京都の芸者の子である妹若子、全く性格の違う姉や妹をはらはらと見守る優しい麻子。大徳寺、都踊、四条から桂離宮――雅(みやび)やかな京風俗を背景に、琵琶の湖面に浮かんだ虹のはかなさ美しさにも似た三姉妹の愛と生命(いのち)の哀しみを詩情豊かに描く名作。(解説・北条誠、田中慎弥)

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Posted by ブクログ

ネタバレ

(以下コピペ)
建築家水原のそれぞれ母の違う三人の娘、自殺した母の悲劇と戦争に恋人を奪われた心の傷(いた)みのために次々と年下の美少年を愛する姉百子、京都の芸者の子である妹若子、全く性格の違う姉や妹をはらはらと見守る優しい麻子。大徳寺、都踊、四条から桂離宮――雅(みやび)やかな京風俗を背景に、琵琶の湖面に浮かんだ虹のはかなさ美しさにも似た三姉妹の愛と生命(いのち)の哀しみを詩情豊かに描く名作。
(コピペ以上)

とあらすじにあるので三姉妹に平等にスポットが当たるかと思いきや、
三女・若子はちょっと絡んでくる程度。
前半のメインはイイコチャンの次女・麻子。
後半は魔的な長女・百子がメインになる。
思い付きでつらつら書く川端の「構成力不足」に居心地が悪い「あらすじ作成者」がつい三姉妹ものと見做してしまったんだろう。

彼女らの歪みの元凶は、まあ、父・水原常男なわけだが、この人、自分のヤリチン具合を、誇りもしなければ(まあそれはいいんだけど)悪びれもしない。
ただフラットに自殺した女や、死んだ妻や、生きているメカケや、同居している娘ふたり、と接する。
それをメカケも娘らも罵ったりせず、女たちは自らに刻まれた歪みで言動もおかしくなっていくわけだ。

次女・麻子は対して面白みがある人物ではない。
川端がよく描いた、理想的な娘タイプ。
面白いのは、長女・百子だ。
この人、竹宮少年という大学生を篭絡しているのだが、その手つきや眼つきがどうにも、川端の「少年」の清野少年を思い出させるのだ。
百子は自分を男性化し、竹宮少年を女性化して扱っている、という記述があったと思うが、これってひょっとしたら、川端が百子に自分を仮託して、かつての自分の願望をねちねち書き込んでいるだけなんじゃ?
「少年」の連載は1948年開始、本作の連載は1950年開始。
やっぱり。
「少年」で堂々と少年愛傾向(「私」ー清野少年)をカミングアウトした後だからこそ、本作で願望充足的変奏曲(百子ー竹宮少年)を奏でようとしているのだろう。
wikipediaでは独立記事として立項されていないし、自伝作品としてカウントされてはいないけれど、部分的に自分埋め込みをしてほくそ笑んでいる、川端の顔が見える。
また百子、戦死した恋人に、おっぱいで銀のお椀(「乳椀」!)をとられた、という仰天挿話があるのだが、ここに何かしら象徴的意味を見出そうとするのも愚かだろう。
ただ50代のオッサンが面白そうだなと思ったアイデアかもしれないし、酒の席で聞いたことを盛り込んだだけかもしれない。
その恋人・敬太による心無い言葉「がっかりした。君は女でない」も、川端のサディズム的・願望充足的・記述かもしれない、が、彼が鹿児島から特攻して死んだという挿話は、川端が1945年、鹿屋航空基地で一か月取材をしたという経験に拠るものだろう。
この人、とことん自分の経験を作品に埋め込まなければ、書けなかった人なのではないか。

で、以上すべてのあれやこれやを、まるで鳥籠に入れたかのように、あるいは箱庭を作っているかのように、書いている作者の眼。
太宰治が、犬や鳥を飼うのがそんなに偉いことなのかと罵倒しているが、その記述が想定しているであろう例の写真の、ちょっと尋常ではない「冷たい眼」で、本作も書かれていると思った。
たとえ百子がどれだけ魔的に活躍しようと、籠の外から神たる作者がサディスティックに登場人物の動き(の小ささ)を愉しんでいる、とでもいうような。

などと考えるきっかけになってくれた作品。
決して代表作ではないし、構成にもやや難があるし、深みや鋭さに欠けるかもしれないが、
そういう気づきを促してくれた点、後の魔的の萌芽が芽吹き始めていることや、関東ー関西の行き来、「古都」への発展前、などなど、読んで得るものが多かった。

解説は北条誠、田中慎弥。

映画版では大筋は同じだが、後半は「いい話」に改変されているみたい。
さもありなん。

0
2023年01月31日

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