あらすじ
ポツダム宣言を受諾した日本は、1945(昭和20)年8月15日、終戦を迎えた。そして新たな支配者となったGHQによる民主化と非軍事化、天皇の人間宣言、新憲法の公布、東京裁判と戦争責任の追及がはじまった。80年前の占領下日本で、私たちはどんな地獄を見て、何を糧に生き抜いたのか。焼け跡に生まれた自由市場ヤミ市、街を闊歩する進駐軍とパンパンガール、東西冷戦下で目まぐるしく進む復興。本書は1951(昭和26)年のサンフランシスコ平和条約締結によって国際社会に復帰するまで、焦土から復活へと向かう混沌と激動の日本の姿を、250点の貴重写真でたどる。
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Posted by ブクログ
マッカーサーと昭和天皇が並んで写っている写真。誰もが一度は目にしたことがあるとおもうが、あの写真に映る二人を見て長年勘違いしていたことがある。それは二人の年齢についてである。昭和天皇は当時四十代、対するマッカーサーは六十代。本来なら(左に映る)マッカーサーの方が歳上なはずであるが、右にいる天皇の方が疲れた表情なのか、敗戦国の主人だからか、年老いた様に見えてしまう。この写真自体がマッカーサーのラフなスタイル、天皇との身長差を意識して、よりマッカーサー自身を強く威厳のある様に写したという、戦略的な面もあったと言われる。私はその戦略に思いっきり乗せられてしまったようである。
こんな風に、写真は撮り方や部分的な切り取り方、その瞬間の捉え方によって見るものに違ったイメージを持たせる効果が期待できる。場合によっては勘違いさせたりイメージを操作するために使われる事などザラにある。だが、少なくとも瞬間に存在した事実を捉えた事には変わりなく、間違いなくそうした風景、人々がそこにはあった。写真は(現在では技術も進歩し、容易にフェイク画像は作れてしまうものの)一瞬の真実を伝える道具である。それを踏まえて、戦後80年を迎える今、敗戦に喘ぐ国民の姿やどん底から復興を目指した政治家たちの姿、戦争の責任をとりながら刑場の露と消えた戦犯たちの裁かれる姿、様々な姿を一枚一枚の写真で見ていくことができる。そこには平和を謳歌する現代人からは想像もつかない別世界が広がっている。
単なる文章として読む戦後の姿には何度も触れてきたが、当然過去には写真を見たこともあったが、改めて当時の時代背景を読みながら写真を見ていくと、今の豊かな暮らしからは想像し難い世界を目の当たりにする。敗戦直後の荒廃した街並みは、当時の空襲の凄さや威力以上に、これが同じ人間の仕業であるのかという怒りも感じる。写真には写りきらないフレームの外には、沢山の死を感じる。そして食料もなく荒廃した土地は銀座の一等地さえ畑に変える。バラックが豪華な住まいに見える様な世界だ。そしてアメリカ進駐軍に群がる人々。アメリカの洗脳は成功し、日本人の憧れとなるアメリカ。そこに前述した昭和天皇とマッカーサーの写真。それがたとえ戦略的な構図であったとしても、敗戦の責任を感じ、国の未来を憂いた天皇と、戦場国の主として占領地日本を文字通り支配下に置いたマッカーサーでは、表情にも態度にも差があって当然だ。
そして戦後復興に向けた日本の政治はアメリカの誘導の影響を受けながらも、確実に一歩ずつ前に進み始める。そこには朝鮮戦争特需という外的要因もあったが、確実に前を向いて力強く生きようとする日本国民の眼差しを写真から感じ取ることができる。本書はそうした敗戦から戦後復興を遂げる日本の姿を、瞬間瞬間の真実を並べながら、今に生きる私たちに伝える。それは教訓なのか反省なのか奮起なのか、読み方によって、感じ方も違うだろう。だが過去は変えられないし、これを未来に向かうための燃料にする事は可能だ。戦後80年、90年、100年経っても、誰かがいつもこうして、今を生きる私たちに語りかけることが重要だと感じる一冊。