あらすじ
日本はどこで間違えたのか?
掲げた理想はすべて誤りだったのか?
「大東亜」は日本をどう見ていたか?
戦後80年、今こそ問い直す「私たちにとっての戦争」とは。
『「戦前」の正体』の著者が、右でも左でもない「われわれの物語」を編みなおす
現代人のための新・日本近現代史!
「日本の過ちばかりを糾弾することでも、日本の過去を無条件に称賛することでもない。過ちを素直に認めながら、そこに潜んでいた“正しさの可能性”を掘り起こす、言い換えれば「小さく否定し、大きく肯定する」語りを試みることである。それこそが、われわれの未来につながる歴史叙述ではないだろうか。
本書は、そのようにしてあの戦争を現在につながる大きな流れへと接続し、「われわれ」の物語を創出するための試みである。」 ――「はじめに」より
【本書の構成】
はじめに
第一章 あの戦争はいつはじまったのか――幕末までさかのぼるべき?
第二章 日本はどこで間違ったのか――原因は「米英」か「護憲」か
第三章 日本に正義はなかったのか――八紘一宇を読み替える
第四章 現在の「大東亜」は日本をどう見るのか――忘れられた「東条外交」をたどる
第五章 あの戦争はいつ「終わる」のか――小さく否定し大きく肯定する
おわりに
【本書の内容】
●日中戦争を「支那事変」と呼んだ背景
●「ペリーこそ戦犯」と主張した石原莞爾
●「アジア・太平洋戦争」か、それとも「大東亜戦争」か
●米英との「協調外交」は可能だったのか
●近衛文麿の「知られざる慧眼」
●東条英機による「史上初の外遊」
●「パレンバン奇襲作戦」の真実
●南京大虐殺記念館の「意外な実態」 ……ほか
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Posted by ブクログ
“あの戦争を語る際に、あの戦争”だけ”に焦点を当てるべきではないということだ。真珠湾攻撃や特攻隊といった個々の現象について理解を深めることも重要だが、なにより大切なのは、それらにいたるまでの歴史の過程や構造を見つめることだろう。あの戦争は、日本の近代史、あるいは近現代史という長い時間の流れのなかに位置づけて、はじめてその全体像が立ち上がってくる。そうした視点に立つことで、ようやくあの戦争は、過剰な肯定にも否定にもならず、落ち着くべきところに落ち着くのではないか”
Posted by ブクログ
戦後80年ということもあって総括としての話題性は今なお健在のアジア・太平洋戦争に関して、いくらか焦点が絞られていた筆者のこれまでの著作と比べても概観的に論を繋いでいる。
日本が突入した戦争の時期的な定義とそれに絡まるイデオロギー。歴史というifの存在しない事象へのそれでもという反実仮想。戦時下に直接・間接的に交わった国々における感覚と、そもそも現代日本において確立されずじまいの総合的な評価。一連の流れを追うと、今なおこの込み入った歴史哲学的な問題の解消は残された国家の課題であると見えてくる。
Posted by ブクログ
近代史・戦争に対する考え方の初歩としてとても参考になったし、歴史に興味が持てた良い内容だった。
著者が中立的な立場を貫いていたこと、各国の価値観を現地の情報を加えて語ってくれたことでより興味を持てた。
Posted by ブクログ
辻田真佐憲「「あの戦争」は何だったのか(講談社現代新書)
「あの戦争」とはむろん太平洋戦争、日本にとっての第二次世界大戦のこと。日中戦争(日華事変)と直結しているのはもちろんだが、日独伊三国同盟、満州事変、張作霖爆殺、ワシントン体制、第一次世界大戦と因果の連鎖はどこまででもさかのぼれる。じゃあどこでなら止められたのか。後知恵で言うのは簡単だが、当時の政治・軍事指導者の視点に立ち戻って考えると実は簡単じゃない。当時の指導者の思考を追体験して歴史を考えるのは興味深い。
本書の後半では、著者がアジアに残ろ日本の戦跡を訪問し、現地でどう記憶されているかを聞き取る。前半と後半を同じ著書に収める必要があったのか、少し疑問も残る。
Posted by ブクログ
どうしても現在の価値観というフィルターがかかるので、過去を評価することは難しい。そもそも、評価それ自体がおこがましいことのようにも思うが、当時は仕方がなかったとしてもそれを今に生かしていくため、歴史を学ぶ必要があると思った。
また、日本の近代化の出発点をペリーの黒船来航に求め、国際社会における帝国主義的な生存競争を日本が欧米列強から学ばざるを得なかった、というのは私にとって新しい視点だった。それでも侵略されたアジア諸国にはそれぞれにとっての歴史・物語であり、それに思いをいたしつつ、日本は日本としての歴史・物語があるべきという筆者の思いに非常に共感した。
Posted by ブクログ
アジア・太平洋戦争(大東亜戦争)を巡る解釈の多様性とその独特な位置づけは、日本の歴史観を複雑にしている。
満州事変を起点とする15年戦争としての側面、
日中戦争を起点とした視点、
欧米列強の植民地支配に対する反撃戦争という大東亜百年戦争論、
そして真珠湾攻撃を出発点とする一般的な見解。
どれもが独自の物語を紡いでいる。
「あの」戦争の代名詞が即座に何を示すのかが分かる背景には、この戦争が日本にとって象徴的な意味を持つからだ。
それは日本の「黄金期」昭和の絶頂における象徴であり、特異性の源泉でもある。
こうした解釈の難解さがゆえに、他国では当たり前に存在する公的な機関での展示が日本にはほとんど存在しない。(現在それに代わる存在であるのが、民間の歴史博物館である靖国神社に併設される遊就館である)
しかし自国の歴史を見つめる際、日本はその歩みを「小さく否定しつつも、大きく肯定する」という柔軟さを持ち続けることが重要だろう。
自身の歴史を「因果の鎖」と「愛惜の念」を持って学び続ける姿勢、それが未来に向けた日本の道を切り開く鍵となるに違いない。
Posted by ブクログ
難しい題材についてバランスの取れた記述でコンパクトにまとめた良書。
「あの戦争」は名称すら大東亜戦争、太平洋戦争、十五年戦争、アジア・太平洋戦争、第二次世界大戦と様々な呼び方があり、使う名称によって見方が変わってしまう。
第一章では「いつ始まったのか」という問いから始まる。
一般的には1941年12月8日の真珠湾攻撃を起点とする見方が広く受け入れられているが、実態を捉えるには日中戦争との連続性を見る必要がある。1941年12月12日に政府が
この戦争の名称を「大東亜戦争」と発表した際には支那事変(1937年7月7日盧溝橋事件)も含めていた。さらに満州事変(1931年9月18日)を起点とする「十五年戦争」史観、植民地主義に対する日本の反撃戦争と捉え、幕末を起点とする「東亜百年戦争」論と様々な見解がある。
著者は「総力戦」の時代を切り開いた第一次世界大戦が日本に与えた衝撃や民族自決の潮流の高まり、満州の権益確保、植民地となっていた東南アジアの資源への注目などを概観し、①日本を加害者として見る左派的な十五年戦争史観②日本を被害者として見る右派的な東亜百年戦争史観③実証主義(歴史観なき歴史観)と敢えて簡単に整理したうえで、歴史は科学ではなく、事実への意味付けは解釈によって変わるとして、最後に著者の考えを述べている。
著者は、「あの戦争」の実質的な始まりは日本が大陸で長期的な戦争状態に突入した1937年7月7日であり、この戦争は支那事変ではなく「日中戦争」であり、対米英開戦後は日中戦争を含めて「大東亜戦争」と呼称するという見方を採っている。
「大東亜戦争」の名称自体に右派的イメージがあるため使いにくい面がある点は著者も触れている。
第二章では「どこで間違ったのか」つまり開戦は回避できなかったのか、という問いである。
日本の指導層は長期戦になれば勝ち目がないことは十分認識していたにもかかわらず、関係各所の同意を取り付けて消極的な選択を行うことは不可能に近かったことなど、歴史的な選択肢から論じ、さらにその背後にある大日本国憲法の構造的欠陥について触れている。「そのような選択肢を、だれがどのようにして実行するのか」という「司令塔の不在」である。国務各大臣を個別に天皇を輔弼、陸海軍は天皇に直属、軍内部も軍政と軍令の二重構造があった。東条英機、石原莞爾、永野修身、米内光政などを論じ、最後に昭和天皇が取り得た選択肢の狭さに触れ、「護憲」が国を滅ぼしたとも言えると述べている。
第三章では、「あの戦争」において日本が掲げた理想を「プロパガンダにすぎない」と一括りに否定する見方と過剰に称賛する動きに対し、単純に割り切る見方ではなく、その中間に答えを見出そうとしている。脱亜入欧とアジア主義の相克、「人種差別撤廃」提案、「大東亜会議」などを論じ、自らが掲げた理想と、その裏にあった現実とを直視する必要があるとしている。
第四章では、視点を「大東亜」地域に向け、そこでどう受け止められているかを、各地域を実際に訪れの歴史博物館や記念碑の説明などを通じてどのように「あの戦争」を捉えているのかを読み解いている。
第五章では、「あの戦争」がいつ「終わった」と言えるのか=歴史上の数ある出来事のひとつとして扱えるようになるのか、を探っている。そして、「あの戦争」が特別な地位を占めていることは、国立近現代史博物館が存在しないという形で象徴的に表れていると指摘している。多くの国では、そこにそれぞれの国の「国民の物語」が明確に提示されている。あまりに不十分な国立歴史民俗博物館、「戦争が天災のような」昭和館、「受け身史観」の遊就館、それに対し、展示に工夫がみられる東京大空襲・戦災資料センター、負の歴史も明記するアメリカの国立アメリカ歴史博物館を紹介し、あるべき姿を探っている。
最後に、本書の結論として、あの戦争を語る際に、あの戦争「だけ」に焦点を当てるべきではなく、日本の近現代史という長い時間の流れの中に位置づけて初めて全体像が立ち上がってくる。そうした視点に立つことで、過剰な肯定にも否定にもならず、落ち着くべきところに落ち着くとしている。
【目次】
はじめに
第一章 あの戦争はいつはじまったのか――幕末までさかのぼるべき?
第二章 日本はどこで間違ったのか――原因は「米英」か「護憲」か
第三章 日本に正義はなかったのか――八紘一宇を読み替える
第四章 現在の「大東亜」は日本をどう見るのか――忘れられた「東条外交」をたどる
第五章 あの戦争はいつ「終わる」のか――小さく否定し大きく肯定する
おわりに
Posted by ブクログ
政治的になることを恐れて、歴史を忘れ去るのではいけない。批判されても65点の歴史を目指すという姿勢には共感した。
最後の第四、五章が博物館における歴史の取扱い方の話なのも面白い。アジアでは大東亜共栄圏も東條英機も扱いがないか、小さい。国家の歴史にとって必要がないからである。対して、日本の博物館は、自国の歴史を取扱うのに慎重になりすぎて、ほぼ近現代の戦争について展示していないという(靖国神社の就遊館ですら愛国的というよりは受動的と指摘されている。)。
各章、左右、実証主義を踏まえつつ、簡潔に自分の立場を説明している点もよいと思った。ほぼ同世代の著者だが、これくらいの距離感でもっと歴史を知りたくなる。
Posted by ブクログ
ずーっと気になっていた本。
よーやく読むことができました。
改めて、歴史は点ではない。その当時の世界情勢、日本の立場、様々な因果関係が交錯して積み重ねの結果である事を気づかせてくれた内容だった。
その始まりは黒船来航、日本の近代化からはじまっている述べられている。
他の国々が当時の日本をどうみるか、ではシンガポールなどが厳しい目で見ているのは新たな発見だった。個人的には中国、韓国は厳し目に見ているが東南アジアは比較的、良好なのかと勝手に奢った考えを持っていた。
日本は加害者か被害者かは100点か0点ではなく65点くらいというのは共感できる。
当時の日本が行なった事で全てが悪い事をした訳ではないがそれを正当化して開き直る事もないとも考える。いかにこの歴史を未来に活かすかが大事だと考えさせられる一冊だった。
Posted by ブクログ
「あの戦争」という代名詞を使った言葉でわざとぼかし、あえて「太平洋戦争」「大東亜戦争」「十五年戦争」などと言わずに、「あの戦争」がいつ始まったのか、なぜ始まったのか、読者に考えてみろと迫ってくるような本。
今を生きる僕は、「あの戦争」のことを正確に知らないと思う。なぜならば、この本を読んで知ったことも数多くあり、当時の人々がその時、どう考えたのか想像する。
当時の世の中の雰囲気は、今では体感できない。今の感覚で当時を振り返っても正確に体現することもできない。「このまま座して死を待つより、死中に活を求めよう」という選択をなぜしたのか。
列強がこぞって地球上の資源を力によって確保していた時代。陣取り合戦が終了したとき、必然として発生する列強の武力衝突。今もその構図は変わらない。だからこそ「あの戦争」を学ぶ必要がある。
Posted by ブクログ
昨今の政治状況。
世界で続く戦争状況下で
平和を願う思い。
そのために今こそ
「あの戦争」について
改めて知るべきだ。
トランプ大統領2.0のありよう。
高市総理の誕生。
ウクライナ、パレスチナなど
世界各地で続く戦争。
そうした状況下で
切に平和を願い、
日本のこれからを
考えようとすると、
どうしても「あの戦争」に
立ち返らざるを得なくなる。
なぜなら、
反戦を訴えるなら、
その反証として
あの戦争への反省なり、
各自の思いが問われることになる。
なぜなら、
日本の現在のありようは、
短期的な視点で言えば、
あの戦後から始まったからだ。
もっと長期的視点に立てば、
明治維新から考える
必要があるのかもしれないが。
現代から過去へと
歴史を遡行し、
日本のありようを見つめ、
平和を、これからを、
自分の視点で
考えるためには、
やはり、あの戦争について
自分なりの考え方の確立を
今こそする必要がある。
そこで、改めて
どう知るかと思ったときに
出合ったのが、この本だ。
本書は
左派、右派の方からは
異論があるかもしれないが、
割合とフラットだ。
この異論が出そうな状況こそが、
日本という国で
今現在、あの戦争への
国民的、統一的な
認識ができていない
証左であると思うのだが。
本書は、あの戦争について
さまざまな論や考え方を挙げながら、
事実関係を積み上げて記していて、
考える足場としては
好適だと思う。
本書は以下の構成だ。
はじめに
本書の立ち位置が述べられる。
「あの戦争」は何だったのか。
あの戦争はなぜ起きたのか。
といった問いに答えるために
本書は書き始められた。
「端的にいえば、
『日本が米国から石油を止められて、
追いつめられたから』」と著者は語る。
しかし、石油が禁輸された原因は?
それは南部仏印(フランス領インドシナ)に
進駐したから。
ではなぜそこに進駐したのか?
と問いが続くと書いている。
さらにあの戦争についての
呼称問題も戦争の捉え方に関わる。
大東亜戦争、
太平洋戦争、
十五年戦争、
アジア・太平洋戦争、
第二次世界大戦、
そのそれぞれに込められた
思いを知ることが必要だ。
そして、あの戦争は
回避可能だったのか?
という切実な問いが
投げかけられる。
こうしたいくつかの問いに答えるべく、
一冊の教養書にまとめてみよう。
と、著者は本書の成り立ちを述べている。
第一章 あの戦争はいつ始まったのか
「十五年戦争史観」や「東亜百年戦争」など
戦争論をいくつも取り上げながら、
あの戦争の始まりを考えることで、戦争を見ていく。
各論が寄って立つところを考えることで、
あの戦争の細部に分け入っていく。
第二章 日本はどこで間違ったのか
過去のわれわれとして、
日本は戦争を避けられなかったのか
について問うていく。
第三章 日本に正義はなかったのか
脱亜入欧とアジア主義、
人種差別問題、
八絋一宇、
大東亜秩序から大東亜共栄圏へ
などの往時の課題やスローガンを分析しながら、
日本はどこを目指したのか、
目指さなかったのかを考える。
第四章 現在の「大東亜」は日本をどう見るのか
アジアを実際に訪問し、
日本が関わった各国において、
あの戦争がどう語られているのかを
つぶさに調べている。
第五章 あの戦争はいつ「終わる」のか
日本国内の
あの戦争に関する
展示館を訪問しながら、
改めて日本における
あの戦争の位置付けと
これからを考える。
こうして
あの戦争の詳細を知っていったとき、
改めて、自らのうちに
あの戦争を考える契機が生まれている。
さらに言うならば。
「あの戦争」を考えることの次に、
「あの戦後」は何だったのか、
が問われなければならないと感じた。
日本があの戦争から
大きく変わったのは事実だが、
現在の日本人の国民性や
日本人が一般的に抱く思い、思想、
さらに立ち位置は、
戦後の数年で決定づけられたと思う。
そのターニングポイントは
GHQによる占領下における
統治政策にあった。
そういった意味では、
日本はまだ戦後なのかもしれない。
Posted by ブクログ
自分の歴史・戦争に関する認識が、いかに曖昧かを痛感しました。戦争関連本への堅苦しいイメージもありましたが、読んでよかったと思えました。とても読みやすく、幅広い観点から論じられていて勉強になりました。
そもそもの「あの戦争」とは何を指すのか、その起点の多様な解釈、呼称の背景、因果の過程で防げたのでは?というタラレバは、今だから言えるのですね。歴史の事実を詳細に辿り直すことで、見えてくる実情がありました。
一部分を切り取って、善・悪や加害・被害の二項立ての議論は不毛ですね。人の歴史観・価値観で受け止めが大分違います。著者が直接アジア諸国を訪ね、あの戦争の捉え方がまちまちである説明は、とても説得力がありました。
歴史の事実は変えようがありません。反省しても過去は変わりません。けれども、私たち次第で未来は変えられるのですね。
少なくとも、偏った思考での断定的な主張は避けるべきですね。戦争の本質が余りにも深いので…。自分事として想像し見つめ直す、それが今や未来に生きていくのだと思えました。
なんか難しそう…という心配を、エイヤッ!と一歩踏み出し読み始めてみると、きっと新発見があるでしょう。
Posted by ブクログ
「あの戦争」はなぜ起き、なぜ止められなかったのか――。本書はその問いを、歴史の「解説」ではなく「思考のプロセス」として読者に追体験させてくれる一冊だった。
章ごとに、歴史の“別の可能性”(タラレバ)、イデオロギー、現地の声、そして終戦へという角度から多層的に戦争を捉え直していく構成が非常に読みやすい。特に印象に残ったのは、日本にはヒトラーやムッソリーニのように“物語の主語”となる指導者像が不在だったという指摘だ。誰が司令塔だったのか曖昧なまま突き進み、止められるはずの段階で止められなかった――その構造は、現代にも通じる話だと感じた。
Posted by ブクログ
あの戦争から80年経過して、なお、あの戦争の意味は揺蕩っていることを知り、驚いた。今の我々が遡ってやり直しても、当時の世界情勢の中では同じ様になってしまうかもしれないことのシュミレーションがとても興味深いものだった。歴史は大団円で閉じることはなく、いまも状況は継続中だからこそ、あの戦争を考え続けることが重要だと強く思う。
Posted by ブクログ
YouTubeで豊島晋作氏との対談を観たので。戦後80年を迎え、また次の戦前が近付く足音を感じる昨今だが、「あの戦争」の総括なくしては、憲法改正含めて次の時代に繋げる本質的な議論は進まないように感じた。奇しくも先日の石破首相の談話でもふれられたように、歴史を直視する勇気とそこから学ぶ姿勢が必要なのだと思う
Posted by ブクログ
石破首相が戦後80年談話を発表し、改めて「あの戦争」を振り返る。日本人にとって、終戦は1945年8月で明確であるが、戦争がいつ始まったのかについては解釈が別れる。明確な宣戦布告については1941年の対アメリカ太平洋戦争のみであるが、それ以前に日中戦争が実質的に始まっており、さらに1931年満州事変にまで遡って15年戦争と呼ぶ人もいる。
そして戦争責任への反省謝罪一辺倒だった戦後談話についても変化がみられる。とくに中国に対しては、好戦的だったのはむしろ蒋介石側だったという見解が近年明らかになってきており、また日本内部でも陸軍や海軍、軍政や軍令など複雑に入り混じった軍部が一枚岩になっていたわけではなく、その意思も責任の所在も曖昧なまま採れる選択肢が限られていって戦争に突入していったというのが本当のところだろう。
翻って現代の我々がこの歴史の教訓から学ぶことは何か。決して軍部の暴走による狂気の時代だったと、自分たちとは別のものとして概観するのではなく、むしろポピュリズムやナショナリズム、あるいは格差やPTSDなど現代において明確化された価値観に基づいてあの時代を再定義し、再現可能性のある暴走を止めるシステムを幾重にも張り巡らすリアリズムなのではないだろうか。
Posted by ブクログ
歴史とは現在からの解釈である
人が正しい道を進んでいるのであれば、過去の人類よりも現在の人類の方が正しい選択をしているはずだと思う。ロシアとウクライナは戦争をするし、中国の台湾侵攻もきな臭い。人を傷つけるという行為は、人の正当な行為なのかとも勘繰ってしまう。
戦時中の東條英機の外遊も知ることができたことは劣勢の日本という印象があったので意外な感じがしました。また彼への印象がヒトラーと比べると独裁者の主体性とは違和感があると感じましたが、それが日本では、主体が存在しないという言葉で納得できる部分もありました。
世界各国の歴史問題への認識の違い、とりわけ中国の歴史を展示する資料館なとが過度に反日ではないというのも、国民の視線がそれだけ肥えてきたということか。
日本の歴史資料館が民間主導なものが多いという点も初めて知る事実。
視点が変われば解釈も変わってくる。反省はする。それでも戦争がなくならないのは人類が成熟していないからなのか。人は忘れる生き物だからなのかは、永遠の課題な気がします。
Posted by ブクログ
戦後80年、今こそ問い直す「私たちにとっての戦争」とは。
「日本の過ちばかりを糾弾することでも、日本の過去を無条件に称賛することでもない。過ちを素直に認めながら、そこに潜んでいた“正しさの可能性”を掘り起こす、言い換えれば「小さく否定し、大きく肯定する」語りを試みることである。それこそが、われわれの未来につながる歴史叙述ではないだろうか。
本書は、そのようにしてあの戦争を現在につながる大きな流れへと接続し、「われわれ」の物語を創出するための試みである。」 ――「はじめに」より
まさに、読みたいと思ったきっかけは、この帯に集約されている。
戦後80年の節目の年に、多くのYouTube番組に出て語られる内容に膝を打ち考え方が私の求めていたものかもと思い、書店へGO。
極端な←や→でない65点の歴史観がしっくりくる。
それにしても、思想が絡むこともあるからか学校教育では薄くしか触れない近現代史について「あの戦争」を中心に学べたのは良い読書体験となった。
アジア主義の台頭と八紘一宇
近衞文麿戦時に八紘一宇の精神に基づき大東亜の新秩序の建設を国是とした。
「八紘一宇」そもそも日本書紀に記された神武天皇のことばに由来する。
大東亜共栄圏は後付けだった
この3章は全体的に日本の過ちを示され、心苦しさを覚えたが、章のまとめで日本だからこそ世界をリードできる解を提案してくれる。
一 まず近代日本がとった誤った行動をきちんと否定しながらも、日本の理念が内包していた「より大きな可能性」を肯定する姿勢が必要だ。そうすることで、はじめて八紘一宇は普遍的な用語として再構築され、「大東亜共同宣言」も部分的に普遍性を含んだテキストとして読み直されうるだろう。
前のめりではなく、かと言って自虐史観でもない、前向きな歴史物語に賛同する。
著者がYouTubeで話していた左派系書籍から次の戦争を考える本を早速手元においた。今年中に読みたい。
加藤陽子著
『それでも、日本人は「戦争」を選んだ』
80年の節目の令和7年11月に「国やすらかなれ」の願いがこめられている靖國神社を参拝。
国家存亡の危急に際して、愛する祖国や故郷、家族のために尊い命を捧げられたのが靖國神社に鎮まる英霊。
行きは鳥居を前に右にならえで一礼していたが、帰り道での一礼は平和に対する感謝の意が自然とわいてきた。
Posted by ブクログ
中盤は中国・アジアの戦争博物館・近現代博物館を探訪記なのだが、これはその国々の捉え方を知ることができることを気付かされということが紹介されていてよい。
第五章の、あの戦争はいつ「終わる」のか、に著者の思いが業種されていて、じっくり読みたい章である。
歴史記憶の「風化」と「上書き」は、時代が変われば起きるのであろうが、その前に、いまもってしっかりと研究されていない、日本のアジア・太平洋戦争の捉え方についてさらに明らかにしていってほしい。そして、われわれ一般人にも「あの戦争」は何だったのか、を考えるきっかけを提供してほしいと、切に思いました。この本はそれを自分自身が考えていく材料となりました。
Posted by ブクログ
どのような経緯で戦争が始まったのか、戦中にどのようなことがあって、戦後各国でどのように捉えられているか、流れを辿っていけるため、「あの戦争」について理解が深まった。かなり分かりやすく、そして意見の偏りなく説明されている印象だが、前知識が乏しく、消化不良感は否めない。
これをきっかけに、戦争に関する博物館、記念碑や、書籍に触れ、自分なりの捉え方ができるようになりたい。
Posted by ブクログ
いわゆる「太平洋戦争」とか「大東亜戦争」などと呼ばれている「あの戦争」について、右でも左でもない中道の立場から語っている(語ろうとしている)1冊。
興味深い内容だったが、特に印象的だったのは以下の3点。
東條英機はよくヒトラー、ムッソリーニと並列に語られるため独裁者に近いイメージが強いが、実際にはいくつもの組織の調整に奔走する必要があり、独断専行ではほとんど何も決められなかったこと。
アメリカの国立の戦争博物館は、アメリカの正しさだけでなく過ちについても展示をしていること。
あとがきの内容になるが、エンタメ的な歴史観を完全に否定するのは誤りであること。
毎年8月には読み直したくなる1冊かも。
Posted by ブクログ
戦争の始まりを第一次大戦に置くと言う説があるとは知らなかった。確かに総力戦のリアリティーがわかったのは、第一次大戦だなと思う。
第二章の「もしも」の話が、とても面白かった。当時の日本では、戦争が悪いことではなかったと言う時代、背景においては、民主主義でも戦争を止めることができなかったと言うのはもっともだと思う。
ただ、第3章の大東亜主義については、さすがに理想としても、あまりにも現実と乖離していたため、評価しようがないかなと言う気がした。
遊就館はもう一度見てみたいと思った。中国の歴史博物館も行ってみたい。
Posted by ブクログ
太平洋戦争(戦争の名称をどう呼ぶかの議論は本書の冒頭に十分行われている。私観では太平洋戦争が長年使われていて中立的な気がしている)についての最近のベストセラー。近年の太平洋戦争の書きぶりがどんな感じか知りたかったので読んでみた。
この中でも実証的な書き方が主流となっていることが述べられていたが、この本も中立的で実証的な書き方である。
当時の日本の状況や考えを辿りつつ、諸外国の立場も踏まえようとしている。
歴史が現在の思考を反映していることも留意している書きぶりは慎重で非を指摘しにくい。
うまくまとまっていて、現時点では太平洋戦争の振り返りとして上出来だと思った。
ただし、すでに太平洋戦争について色々な本を読んできた人間としては、綺麗にまとまりすぎて、掴みどころが少なく、印象に薄いようにも思われた。
しかし、東条首相の各国への外遊は初めて知ったことであり、勉強となったところは多い。
また、この本の最後に書かれていた、日本としてのあの戦争の位置づけをどうするかについて、本書に書かれていたわが国の立場の延長線上にあるのではないか。
この本の視点を更に深化させることにより、あの戦争について国民全体の合意ができる可能性を感じた。
Posted by ブクログ
論理的文章で「あの戦争」について考察した新書です。
話題の本であり、「あの戦争」について多くの知識を持たないため、この本を読んでみたくなりました。
私が受けた高校の歴史教育では明治維新以降の歴史は飛ばされ、全く学ぶ機会が有りませんでした。
この本を読み、歴史の見方が多様であることを知り、奥が深いことも分かりました。
なぜ「あの戦争」が始まったのか、事実を踏まえ、学んでみたいと思いました。
Posted by ブクログ
「歴史とは現代からの解釈であり、そこには解釈者の意や価値観が加わるため、歴史は表情が変わる。」ことを前提にしている。
戦争の始まり(太平洋戦争、日中戦争、満州事変、、、、遡るとペリー黒船まで?)を、偉人たちの解釈をふまえて、多様な角度で示されている(もちろんご自身の解釈も)。
主に太平洋戦争に突入するまでの日本の状況(憲法や組織の脆弱性など)を多くのポイントをまとめられている。
→どことなく現代の強くなれない企業と似た点があるように思え、当時の組織体をもうすこし深く学びたいと好奇心が湧いた。
後半には、当時の日本の政治・軍事活動(大東亜新秩序、八紘一宇、人種差別撤廃)や、それらを他国からどのように解釈されていたか。未来にどうつなげていくのかと結ばれている。
→自国も他国も時代や状況など、その時、遡った時、すべては解釈で正しい解がないが、考え続けることが大事なのかな。
Posted by ブクログ
所謂「太平洋戦争」(米国側の呼称らしい)に関して、なるべく客観的にという趣旨で解説した本。
視点が右か左かはさておき、冷静に書かれているのでわかりやすい内容だと思う。
Posted by ブクログ
「あの戦争」について、その「呼称」や「始まり」について「一定の方向性」を示唆してくれます。ただし決して「結論」は出さない。というより、出せないのでしょう。「曖昧さ」がこの国の特徴なのかもしれません。様々な解釈を可とする、それは何も「あの戦争」に限ったことではありません。白黒ではなく灰を良しとする、「ハッキリ」ではなく「ボヤっと」したものの中にさえ「美」を見つける文化・思想がこの国を支えているのかもしれません。だから、「善悪」という考え方だけでは「あの戦争」は結論付けられないのだと思います。
よって、「あの戦争」は終わらない。
Posted by ブクログ
微妙な仕上がりだと思った。
歴史とは現在の視点から解釈するものにならざるを得ず、価値観の介入は否めない。
先の大戦についても、被害者視点でなく、加害者視点でなく、0−100ではなく65点くらいでいいんじゃないか。
どっちから見て?
前半の軽い史実の確認は良かったのだけど、大東亜共栄圏、東条元首相が巡った国々の「国の物語」を辿るあたりからなんかわからなくなった。
長いねん、その部分。
で、じゃあ日本がその物語を持つ必要があるのか。
その辺がようわからん。どう考えてるのか。
考え方の提案ではあるが、考えの提案ではないのか。
なんとはなしにええように誤魔化された感じで、結局何を読んだのかあんま残ってない。