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日本はどこで間違えたのか?
掲げた理想はすべて誤りだったのか?
「大東亜」は日本をどう見ていたか?
戦後80年、今こそ問い直す「私たちにとっての戦争」とは。
『「戦前」の正体』の著者が、右でも左でもない「われわれの物語」を編みなおす
現代人のための新・日本近現代史!
「日本の過ちばかりを糾弾することでも、日本の過去を無条件に称賛することでもない。過ちを素直に認めながら、そこに潜んでいた“正しさの可能性”を掘り起こす、言い換えれば「小さく否定し、大きく肯定する」語りを試みることである。それこそが、われわれの未来につながる歴史叙述ではないだろうか。
本書は、そのようにしてあの戦争を現在につながる大きな流れへと接続し、「われわれ」の物語を創出するための試みである。」 ――「はじめに」より
【本書の構成】
はじめに
第一章 あの戦争はいつはじまったのか――幕末までさかのぼるべき?
第二章 日本はどこで間違ったのか――原因は「米英」か「護憲」か
第三章 日本に正義はなかったのか――八紘一宇を読み替える
第四章 現在の「大東亜」は日本をどう見るのか――忘れられた「東条外交」をたどる
第五章 あの戦争はいつ「終わる」のか――小さく否定し大きく肯定する
おわりに
【本書の内容】
●日中戦争を「支那事変」と呼んだ背景
●「ペリーこそ戦犯」と主張した石原莞爾
●「アジア・太平洋戦争」か、それとも「大東亜戦争」か
●米英との「協調外交」は可能だったのか
●近衛文麿の「知られざる慧眼」
●東条英機による「史上初の外遊」
●「パレンバン奇襲作戦」の真実
●南京大虐殺記念館の「意外な実態」 ……ほか
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Posted by ブクログ
『「あの戦争」は何だったのか』
本書は、太平洋戦争を時系列に沿って説明する通史ではない。日中戦争から太平洋戦争の終結に至るまでの「あの戦争」を、私たちはどのように見て、どのように解釈すればよいのか。その視点を考えるきっかけを与えてくれる本である。
「あの戦争」の始まりをどこに置くのか。
太平洋戦争の開戦だけを見れば1941年12月8日となる。しかし、その原因を辿っていけば日中戦争、さらに満州事変へと遡ることができる。そして視野をさらに広げれば、幕末のペリー来航まで遡って考えることさえ可能である。
ここで私が考えたのは、日本という一つの国家だけに戦争の原因を求めるのではなく、その背景に存在した「帝国主義的な国際秩序」そのものについて考える必要があるのではないか、ということである。
もちろん、これは日本の戦争責任を否定するという意味ではない。
日本はペリー来航以降、欧米列強による帝国主義的な圧力を受けた。その意味では、当初はその国際秩序に翻弄される側でもあった。しかし日本は、その秩序そのものから離脱するのではなく、自らも列強となり、欧米諸国と同じフィールドで生き残る道を選択した。
そして、その結果として日本自身も朝鮮、中国、東南アジアなどに対して帝国主義的に振る舞う加害者となっていった。
したがって、「どの国が悪かったのか」という一国単位の責任論だけではなく、なぜ帝国主義的な列強間競争が植民地支配や侵略戦争を生み出し、各国をそこへ向かわせたのかという、より大きな構造について考えることも重要なのではないかと思う。
一方、よりミクロな視点から「あの戦争」を説明するとき、よく語られるのが「軍部の暴走」である。
確かに軍部の行動に重大な問題があったことは間違いない。しかし、それだけで戦争への道筋を説明してしまうのも単純すぎるように思う。
昭和恐慌をはじめとする経済状況、関東大震災以降の社会不安、メディア、官僚、政党政治、軍部、世論、そして当時の憲法と統治機構。
こうした無数の要素と利害関係が複雑に絡み合い、しかも国家全体を強力に統御する明確な司令塔が存在しない状況のなかで、日本は少しずつ後戻りすることが難しくなっていった。
だからこそ、「軍部が暴走した」「軍国主義に染まった人々が戦争を始めた」という説明だけで終わらせてはいけない。
重要なのは、なぜ軍部の暴走を止めることができなかったのか。なぜ政治家や官僚、メディア、そして国民までもが、結果として戦争へ向かう巨大な流れの一部となっていったのかを考えることである。
また、「日本によるアジア解放」という問題についても、単純に肯定か否定かで結論づけることはできない。
欧米列強による植民地支配を揺るがしたという「功」の側面がある一方、日本自身による侵略や占領、植民地支配という「罪」の側面も存在する。
そのどちらか一方だけを取り出して、「日本はアジアを解放した」とするのも、「すべてが侵略のための虚構だった」としてしまうのも、歴史の複雑さを失わせてしまう。
侵略、植民地支配、戦争指導の失敗については、一つひとつ具体的に否定しなければならない。
しかし同時に、近代日本がなぜその道を選択したのか、当時の人々が何を恐れ、何を守ろうとし、何を実現しようとしていたのかまで、すべて「狂気」や「軍国主義」という言葉だけで処理してしまってはいけない。
歴史を理解することと、歴史を正当化することは違う。
「あの戦争」を単純な善悪の物語として終わらせるのではなく、日本が犯した具体的な過ちは否定しながら、その背景にあった時代、制度、国際秩序、そして人々の思想まで含めて理解しようとする。
本書の言葉を借りれば、「小さく否定し、大きく肯定する」。
戦争を二度と繰り返さないためにも、誰か一人、あるいは一つの国家だけを悪者にして終わるのではなく、普通の国家や普通の人々が、なぜ戦争という破局へ進んでしまったのかを考え続ける。
それこそが「あの戦争」を学ぶ意味なのではないかと思う。
Posted by ブクログ
あの戦争はなんだったのか
歴史は現代からの回想でしかない。
では、どこから回想を始めるのか。
あの戦争を語るには、一国だけでは語れない。
その関係性が生まれた時まで遡れば、開国の時にまで行き着く。
そこまで遡らなければ、本当は語れないのかもしれない。
小林秀雄はこう言ったという。
大事変が終わると必ず「もし○○だったら起こらなかった」という議論が起こる。
「必然という名の人間の儚い復讐だ」と。
一部の人間の無知と野心さえなければ起こらなかったのか――そんなおめでたい歴史観は持てない、と。
歴史とは無数の要因が絡み合って展開するものであり、ここを変えればああはならなかったと簡単に語れるほど単純なものではない。
あの戦争へ至る道を振り返り、さまざまな可能性について考える。
そのための思考を深めてくれる、良い本だった。
Posted by ブクログ
2025年話題の新書の一つ。
歴史とは過去の定点的な出来事であるだけではなく、現代の社会情勢などに影響を受けた解釈でもある。絶対的な正解があるのではなく、複合的で時代的なものである。
つまりは、「あの戦争」に対して単純な善悪の区別や固有の視点からのみ語ることは難しいということだ。
この歴史のとらえ方は首肯できる。人が語るものである限り、語る人の個人的な見解や感情が歴史に多少なりとも反映されるのは仕方がない。そのことを理解したうえで、「あの戦争」に対する著者なりの解釈の指針が本書では提示される。
この主張は、東浩紀『平和と愚かさ』でも触れられている。東は戦争の加害者・被害者意識はどの視点で語るかによって異なるもので、さらには個人では収まらないナショナリズムの影響も多分に受けるのだと述べる。
本書では著者が東条英機が大東亜共栄を目指し東南アジア外遊した軌跡を辿ることで、「あの戦争」に対する各国の多種多様な立場を確認することができる。奇しくも両者は同様のアプローチを異なる戦争に対して行い、戦争に対する解釈のままならなさを読者へ現前させる。
本書は教科書的に「あの戦争」を頭に詰め込むのではなく、読者個人個人がどのように記憶し語るかを考えるきっかけを与えてくれる。戦後80年を過ぎた今だからこそ、本書は多くの読者に届いてほしい。
Posted by ブクログ
「あの戦争」ってどの戦争のこと??と言うところから始まります。「賢者は歴史に学ぶ」といいますが、そのためには先の大戦についてキチンと把握しておく必要があると。わたしなりに詳しくはないもののそれなりに理解できていると思っていただけに、この本を読んでショックなことが多かったです。
特に印象に残ったのは以下の2つ。
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◆独裁者不在でも戦争に突っ走ってしまった。
→ヒトラーやムッソリーニのような独裁者がいた訳でもないのに勝てる見込みの少ない戦争に突き進み原爆を落とされるまで敗戦を選択できなかった。何でだろうと思いますが、この本を読んで目から鱗でした。
◆日本には歴史博物館がない(少ない?)
→それが普通だと思ってましたが他の国は結構あるものなんですね。当時作ろうとしたら周りの国からの風当たりがキツくてまともなものが作れなかっただろうから致し方なかったかもしれませんが。お隣の某国を見てると国内の世論操作するのに反日を活用してるよなーと常々思ってましたが程度の差こそあれ、どこもその気はあるようですね。
日本の歴史教育は明治以降の近代に入ると急に駆け足でウニャウニャ…とごまかし気味のとりあえず年号と事象だけ詰め込んでおけ的なやっつけ感が強いですが、もとを辿るとこの2点目の話に帰結しそうです。
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