あらすじ
やさしいほうの自分でありつづける
画期的論考。
「やさしいは性格ではありません。
自分と他人の間のコントロールの問題です」
現象学を専門とする哲学者が
やさしいの内実にせまります。
◎なぜ「やさしい」はつづかないのに、
「嫌い」はつづく?
◎咄嗟ならやさしくできるのに、
関係が深い人ほどやさしいが困難な理由
「やさしい」の明確な定義が手に入り、
思考と言動が変わります。
読んだらやさしいがつづく確率が高まる本です。
★本書で提示する「やさしい」の定義
①コントロール権を手放し、相手にゆだねること(ソフトな意味でのやさしさ)
②その結果、起こることの責任は引き受けること(ハードな意味でのやさしさ)
感情タグBEST3
Posted by ブクログ
とても分かりやすく"やさしい"について説明してくれていた。やさしくなれないとき、やさしくしたいとに、今一度自分の内心や状況を冷静に確認したいと思った。
コントロール権を手放し、相手に委ね、その結果起きたことの責任を取る。私がしたい子育ては全部これかもしれない。
Posted by ブクログ
「やさしい」という抽象的なことを哲学でかみ砕いてくれる本。冒頭を読んだときは難しそうで読むのをやめようかと思ってしまったけど、意外としっくりくる表現が多く、あっという間に読み切ってしまった。
以下、印象に残ったこと。
・やさしいとは、自分がコントロールするという権利を手放し、相手に委ねること
・やさしくするには「余裕」が必要。
①経済面
②時間面
③健康面
・だからやさしくするということは難しい。そんなときはまず自分自身にやさしくしてあげてほしい。
Posted by ブクログ
タイトルに惹かれ購読。
やさしくなろうと思っているのに、どうしてそれが 続けられないのか、自分の性格に難があるのだろうか、と悩むこともあったが「やさしさは続かないものだ」という主張に救われた。
やさしいとは自分のコントロール権を手放し相手に委ねること、またその結果についても責任を負うこと。
そう考えると、確かにやさしいを続けることは難しいことと思えてくる。
人にやさしくなれないとき、自分の性格を責めるのではなく、
自分が相手をコントロールしようとしていないか、自分の置かれている環境はどうか、俯瞰して見つめ直すようにしたい。
Posted by ブクログ
そもそも「やさしい」は続かないもの、と分かっただけで何かほっとできた気がする。
やさしいとは
①コントロール権を手放し、相手に委ねること。
②その結果、起こることの責任は引き受けること。
振り返ると、この「コントロール権」をとにかく手放せていないのが自分だと思った。
コントロール権を手放せる「共同的分かち合い」の人間関係を築けていないのかも。
コントロールについて、もっと深く知りたいと思ったり。
以下メモ
・やさしいがつづかないと悩むような場面にあなたが出くわしたとき、ぜひ次のように考えるクセをつけてみてください。
「ああ、私は今この相手に自分のコントロール権を手渡せないのだな」
「私はこの人のことをコントロールしようとしてしまっているが、本当にそれは今、必要なことなのだろうか」
・善意が2回3回とつづいていくと、私たちはその奇跡的な感覚を忘れてしまいます。そして一方で、やさしい行為を行った人は、そもそも相手に貸しを作ろうと思っていたわけではないのに、何度も繰り返すうちに相手に「貸し」ができたと考え、いつかその善意が報われることや見返りを期待することになります。
他方で、やさしい行為の恩恵を受けた人は、1回目はそのことに恩義を感じて感謝をしていても、それ以降は「借り」でも何でもなく、当然のことで、むしろ「相手の義務のようなもの」として受け入れるようになります。
ここで両者ともに共通しているのが、マイクロ・カインドネスのすごさを忘れてしまうことです。
マイクロ・カインドネス:些細なことで困っている人に手を差し伸べる行為(小さなやさしさ)
やさしいの定義のうち、①(コントロール権を手放し相手に委ねること)を満たすもの。
・もしかすると現代社会では、共同的分かち合いが許されるはずのゾーンにさえ「貸し借り」というやさしいがつづかなくなる規範が入り込んでいる可能性があります。
「貸し借りはいずれ返す/返されるべきだ」という規範が現れると、共同的分かち合い関係は一挙に変化していきます。あるいは、その「貸し」「借り」を利用して相手をコントロールしようとする欲望が動き始めるでしょう。
・あなたのやさしいが発揮されるはずの共同的分かち合いの中に「自分は立場的に下にみられているのではないか(権威ランク付け)」「自分だけがいつも物をあげて対等ではないのではないか(平等マッチング)」「価値あるものをタダで渡すのに値する人物なのか(市場価値づけ)」といった思考が入り込んでくると、その関係が維持できず、コントロール権を手放すことが難しくなってくるのが分かってきます。
・たとえあなた自身は誰かをコントロールしたいとは思っていなくても、疲れていたり、忙しかったり、イラだっていたり、不安だったりと心に余裕がないと、他人をコントロールしたくなってしまうものです。
心身の疲労や感情の昂ぶりは、視野を狭くさせ、その瞬間の自分のことだけを第一に考えるようにさせるからです。
・やさしいの土壌(余裕の力)
経済面/時間面/健康面
・むしゃくしゃした気持ちやイラつきなどを、その強さに比例した身体運動として表出すること、例えばものを激しく投げつけたり、してもその怒りは収まらず、むしろ増大することさえあります。
むしろ重要なのは、その怒りを誰かに話して共有したり、瞑想したりすることで、とにかく心を落ち着かせることです。
・私たちは「やさしいがつづかないこと」と「暗い感情がつづいてしまうこと」という2つのとても困難な課題の間に立っています。
最後に、気に入った言葉
マルクス・アウレーリウス「自省録」
自分は何も損害は受けていない、そう考えるようにしなさい。そうすればあなたは損害を受けなかったことになる。
Posted by ブクログ
・「優しいね」と言われる全ての人へ
〇〇くんって、優しいよね。といつも周りの人に形容される。自分は優しくしているつもりなんてないのに。
他者からの評価と自己認知のズレにモヤモヤしてしまう私のような人、他にもいるんじゃないだろうか?
そんな人にぜひ読んでほしい。
少なくとも自分は、本書の「優しさ」定義からすると優しくないのがわかって、スッキリした。
>>>
やさしいというのは、あなたがもつコントロールの権利を手放し、委ねたことの責任を引き受けることである
>>>本書p61
優しさ、ベリーハードすぎる。
私は優柔不断なので、決定権を相手に委ねることが多々あるし、相手が言うことに反論せず受け入れることが多々ある。
それを周りの人は「コントロール権を手放しているよね」と言う意味で「やさしい」と評価していたんだなと。
でも委ねるのは自分が責任を負いたくないからで、実際のところは全く優しくないんだよなあ。
優しさの語源は「痩せる」ことらしいけど、自分を好きにコントロールさせてその責任を受け入れるなんて、痩せるどころか死ぬ危険性すらある。
優しくあることはとんでもない勇気がいる行為だし、そもそも相手にそれが求められてないことが多いのが今の世の中じゃなかろうか。
キリスト教的な愛の概念が、この優しさに近しいだろうと思う。右の頬を打たれたら左の頬も差し出せって言うね。ここら辺は岩波ジュニア新書の『西洋思想入門』に詳しい。
そりゃあ続かなくて当然の行為だ。
でも本書には優しさを続けるために、金銭的健康的人間関係的な余裕を持とうって現実的な提言もあって、本当に最近余裕がなくて人間関係をぶっ壊したのでクリティカルヒットした。
優しいねと言われるモヤモヤから解放してくれただけでもすごく役立つ、優しさの哲学書だ
Posted by ブクログ
分かりやすくやさしい文章で、やさしいが続かないということを記載してくれています。
人に対して沸き起こってしまう悪意や苛立ち、それが心の中に起こってしまうこと、やさしい気持ちで許せないことについて悩んでいましたが、そういう自分の状態は決して自分の本来の性質のせいではなく、周りの環境や心の余裕などの影響があると言われて、振り返ってみると確かに納得できる部分がありました。やさしくあるために、自分を責めるのではなく、客観的に見つめ直して心にもっと余裕を持てるよう、自分自身に優しくしていきたいとそう思われてくれた本でした。
Posted by ブクログ
その場限りの優しさは簡単。
その行動の結果、どんな事態になろうとも責任を引き受けるのは難しい。
私はそこで躊躇してしまうんだなぁと、言語化されたことではっきり自覚できた。
Posted by ブクログ
ことの軽重問わず、人生で一度でも「やさしいがつづかない」と思ったことがあるなら、ぜひ読んで欲しい。ゆっくり読んでも2〜3時間で読み終わるので、気軽に手に取って欲しい本。
哲学研究者である著者が、やさしいとは何か、なぜ続かないのかを、哲学者たちの言葉を借りつつ、易しい文章で語っている。
理論立てて丁寧に解説しているのに、冷たい印象はなく、そっと寄り添って語りかけてくれる印象があった。明白な特効薬やパンチの効いたワードはなくても、ゆっくり、わたしの中で絡まっていた行動や気持ちに名前をつけて解いてくれた。本当に出会えて良かったと思う。
小難しいことはなく、伝わるように言葉を尽くしてくれているような文章に救われた。やさしさは性格ではない。やさしくできないから性格が悪いわけではない。自分を否定せずに、自己嫌悪の刃の代わりに、この本を手に取って欲しい。
Posted by ブクログ
やさしい=痩せるが語源、とは恥ずかしながら初めて知った。自分を痩せさせて、すり減らして与えるのがやさしいの語源であるということ。
やさしいがいかに続けることが困難であるか、困難である理由について詳しく書かれている本書であるが、読んだこと自体は後悔は全く無いものの、
個人的にはほう……!!!それは知らなかった!!!はひとつも無かったかな。
自分で自然と気づいてしまってた、
睡眠/食欲(性欲)/お金 が満足とはいかないまでも、不満が無ければ大抵のことは経験値で優しくなれるということ。
本当にこれなんだよな~とは改めて思った。
Posted by ブクログ
やさしさをつづけることがなぜ困難なのかを、「やさしさ」を定義しそれがつづかないとはどういうことなのかを論理的に紐解いた本。自身が人にやさしくできないとき、「今私はこの人のコントロール権が自分にあるべきだと考えている、コントロールをしようとしている」と客観的に認知するだけでも、少し己の行動を変えることができそうな気がする。
Posted by ブクログ
「優しい」は元々「痩さしい」であり、アンパンマンのように身体や心を犠牲にしていくもの。
つまり、一定程度のキャパ以上は優しくできないのが普通
また、それはちゃんと食べれてるか、寝てるか、健康か、悩みはないか、など自身の状態によって大きく左右される。
見知らぬ人へ優しくできるのは責任がないから。優しくした結果伴う責任のことを考えると、なかなかやさしくできない(親身に相談に乗って助言した結果、選んだ道がよくなかった等)
やさしさとは自分のコントロール権を委ねることであり、逆に怒りとはコントロール権を奪うこと
どんな事象でも、コントロールという視点を持つと、客観的に見れて、怒りが収まったりする
Posted by ブクログ
やさしいの「や」はやせるの「や」だそうです。人に優しくするには痩せちゃうぐらい大変だということみたいです。他にも人に優しくするには経済的であったり 時間的であったり 健康面(身体的)に余裕がないとできないということですが その通りだなと思います。最後に 悪意についても書いてあったので なるほどと思いました。
Posted by ブクログ
読みやすい哲学書だ。
何をもって哲学というかは、正直わからない。ただ、やさしさというものを解像度高く見つめ、それを万人に共通して理解できる形にしたことに価値がある。
まず、コントロールを手放し、その責任を取る、という定義に同感した。教育者がもつ愛情は、まさにこれだと思う。学校は失敗をする場である、と言われることもある。
この失敗は、教師が子どもにコントロール権を委ねているから起こるのだ。そして、その失敗に対して適切な指導を行う。これもまた教育である。
この後者を忘れているのが現代社会ではなかろうか。親、教師、上司、いずれも教育を担う存在だ。この人たちがどれだけの覚悟を持って責任を取っているだろうか。
私は「筋を通す」という言葉が好きだ。やっちまったもんはしょうがないが、その責任は取る。
コントロールを委ね、ミスが起きたなら、その責任はコントロールを委ねた自分にあるのだ。
だが、責任を取れない事情も分かる。本書では「余裕」と示されていた。詳細は本書を読んでほしいが、やさしさを実現するには余裕がなければならない。
それが今の日本には少ない。物価上昇や分断、思い当たる理由はいくらでもある。
これを期に、自分はよりやさしくなれるだろうか。少なくとも、自分にはやさしくありたいものだ。
Posted by ブクログ
優しさを言語化する画期的な本だと思いました。
優しいとは①コントロール権を手放し相手に委ねること、②その結果、起こることの責任は引き受けることこの①と②を満たすこと。
また、優しいには余裕が必要。経済面、時間面、健康面の余裕が必要。
Posted by ブクログ
やさしいは継続できないものと解き、やさしく接するとは相手にコントロール権を渡すこと。
優しいの語源が痩せるから来ていることや、やさしいの裏に妬みや恨みもコントロールする必要があること。
やさしいがつつがないより、続けることが難しい上で、自分がどうあることが大切か、わかりやすく教えてもらった。
Posted by ブクログ
やさしさが続かないことについて、定義や文化的背景を用いて丁寧に説明した本です。
人に優しくできないことを解決はしませんが、理由は何となくわかるようになると思います。
以下は個人的なキーワードです。
やさしさは続かないもの。
やさしさや悪意はコントロールの問題。やさしさはコントロールを相手に委ねる、悪意はコントロールを相手から奪うこと。
やさしさは、コントロールを相手に委ねるだけでなく、その責任を自分が引き受けること。苦しい。
身近な人にやさしくするのが難しいのは、その後の相手との関係に責任を持つのが苦しいから。
やさしさはアンパンマンの顔そのもの。余裕があれば顔をあげることができるが、余裕がなければ顔はあげられない。
余裕が大切。ゆっくりした方がいい。
Posted by ブクログ
ずっとやさしくしたいのに、結局できなくて自己嫌悪に陥ることがある。
だから、この本に書いてある「やさしいの仕組み」を知って少し気持ちがラクになった。
なるほど、“優しい”は“痩さす”からきているのね。
何かしら削られるものがあるならば、続けられないのも納得。
やさしいを解剖すると『コントロール』の話に行き着くのも面白い。
筆者曰く、やさしいの定義とは『自分のコントロール権を手放し、相手に委ねる行為』をいう。
これを読んだ瞬間、理解した。
だからか!と。
自分はコントロールしたい側の人間だという自覚があるので、妙に納得してしまった。
あと、余裕がないと人にやさしくできない。
これも分かる!と大きく頷いてしまいました。
Posted by ブクログ
本書でやさしいはコントロール権を渡して、その結果の責任を負うこととと定義されている。また、やさしくなれないことは当然だが、責任を切り離したマイクロカインドネスは奇跡ではあるけれどもだれしも経験して持っているはずだと説いている。
一部共感できる点もあるが、一読ではすっきり自分の中に落とし込めるまではいかなかった。ただ、やさしさは性格ではなく行為である、やさしくできないときはコントロール権を軸に言語化して客観視するという方法は試そうと思った。また、やはりやさしさを搾取されない環境、やさしくする余裕を持つことが重要なのはよく言われるているし実感もある。
Posted by ブクログ
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「長い対話としての結婚。――結婚にふみ切るさいには人は自問すべきである。お前はその相手と老年になってまで愉快に語り合えると信じるか?結婚におけるあらゆる他のことは一時的である、しかし交わりの大部分の時間は対話に属する」と。
パートナー関係とは、すなわち、その相手との長い対話を継続することだ、というニーチェの言葉には重みがあります。118
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どうして私たちは怒りをいずれは宥め、収めなければならないのでしょうか。私が被った傷は完全に癒えることはないにもかかわらずです。216
「一度怒る理由が生じると永遠に怒る理由をもち続けることになる」
カラードは、怒りがどこまでも「血の味」を求めてしまう「道徳の暗黒面」であることをしっかりと理解しています。217
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Posted by ブクログ
最近、優しい人と自分を比べて、じわじわ削られてしまうことが多々あった。
タイトルで「まさに…!」と手に取った本。
まず、自分だけじゃないんだという思いで救われた感がある。悪意の言語化も興味深かった。
そしてケアの視点。以前聞いた話で、自分に厳しい言葉をぶつけてしまう時は「これがもし自分の大切な人だったらなんて言葉をかける?」と考えてみるといい、というのに納得した記憶があるけど、それと同じ感覚を覚えた。
タイトルと矛盾するかもしれないけど、なんで人にはやさしくできるのに、自分には厳しく当たっちゃうんだろうね。まずは自分をケアすること。おもしろかった。
Posted by ブクログ
少し冗長に感じる部分もあったが、「時間面での余裕」には納得
・部屋でひとりでぼーっとする何も考えないでいる時間
・やさしくなれない可能性が高い時期は人とのコンタクトを避けておく
・10分でも20分でも、ひとりになって、スマホをおいて、テレビを消して、何にもコントロールされない時間を体験
・何もしない時間=贅沢な時間
・どう過ごしていいかわからず、不安や焦り→それもOK。自分自身に注意や思考が向けられている時間(瞑想の簡易版)
Posted by ブクログ
自分が対人援助職としていろいろと取り組んでいくうえでの、中核的な概念に近いようなことがやさしくまとめられているような、そんな印象を受けた。著者の本を何冊か読んでみようと思った。