あらすじ
【新書大賞2013第4位】 日本経団連の調査によると、日本企業の人事担当者が新卒採用にあたってもっとも重視している能力は、「語学力」ではなく、「コミュニケーション能力」です。ところが、その「コミュニケーション能力」とは何を指すのか、満足に答えられる人はきわめて稀であるというのが、実態ではないでしょうか。わかりあう、察しあう社会が中途半端に崩れていきつつある今、「コミュニケーション能力」とは何なのか、その答えを探し求めます。(講談社現代新書)
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Posted by ブクログ
おすすめ北海道に行くなら富良野に行ってみたい。
現在の自分が内面の問題ばかり見ていることに気付かされた。社会的問題やこれからの日本社会は成長しない成熟期へと向かっている。長く変化しない時代はきっと苦しい。その過渡期にいるのだと感じた。
しかし、辛い苦しいとばかり言ってられない。分かり合えないことからはじめよう。これからは、これまで多様性を受け入れられないことから、生きづらさを感じていた人々の多様性が力になる時代に変化している。そして、これまで以上に個人がわかりあうための能力が必要になるだろう。
本の厚みに騙された。演劇というワードから、ここまで話が壮大になるとは考えもしなかった。
Posted by ブクログ
高校の時に読んでなんで読めたのか理解できない、何もわからず読んだか諦めたんだだろう、、笑
当時より今読んだ方が、社会情勢を踏まえて面白いかもしれない。
国際化がより普通となった現代、一方で奥ゆかしさなどの文化が犠牲になっていく。
対話部分が一番おもしろかった。日本に根づいていないし、根付けばいいなと思う。対話の難しい部分は、こちらが対話をする気満々でも相手に対話の体力や経験がないと受け入れてもらえない(対話自体が一切成り立たない)ことである。とにかく否定ではなく、私はこう思っていて、あなたはどう思っているの?このラリーが「あなたを否定しているわけではなく、私はあなたと話して結論を探したいのです」とわかってもらえるようになるにはどうしたらいいのだろうか。
~~抜粋~
関係がなければ言葉は生まれない
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工業立国においては「ネジを90度曲げなさい」と言われたら、90度曲げる正確性とその能力が求められてきた。
しかし、付加価値(人との違い)が利潤を産むサービス業中心の社会においては、略 60 度曲げてみようという発想や勇気、あるいは「120度曲げてみました、なぜなら」と説明できる表現力やコミュニケーション能力が重要視される
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教室で習う星座の名前より、キャンプ場でお父さんから習った星座の名前を、子どもたちはよく覚えているでしょう
キャンプ場では、たき火の残り香や、川のせせらぎ音、そして何よりお父さんの優しい笑顔と共に、子どもたちは星座の名前を記憶していく。(略)ここにおそらく、教室での教育よりも、体験教育や科目横断的な総合学習がすぐれている根拠がある。
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日本社会には、この「対話」という概念が希薄である。(略)一般に、日本社会は、ほぼ等質の価値観や生活習慣を持った者同士の集合体=ムラ社会を基本として構成され、その中で独自の文化を培ってきたと言われてきた。(略)私はこのような日本社会独特のコミュニケーション文化を、「わかりあう文化」「察し合う文化」と呼んできた。
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「温室のようなコミュニケーション」
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一方、ヨーロッパでは、異なる宗教や価値観が、陸続きに隣り合わせているために、自分が何を愛し、何を痛み、どんな能力を持って社会に貢献できるかを、きちんと他者に説明できなければ無能の烙印を押されるような社会を形成してきた。これを私は「説明し合う文化」と呼んでいる。
(略)「察し合う」「口には出さない」というコミュニケーションは、世界においては少数派だ。
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「対話的な精神」とは、異なる価値観を持った人と出会うことで、自分の意見が変わっていくことを潔しとする態度のことである。あるいは、できることなら、異なる価値観を持った人と出会って議論を重ねたことで、自分の考えが変わっていくことに喜びさえ見出す態度
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(AとCの意見、結論A’のような意見になったとして)とことん話し合い、二人で結論を出すことが、何よりも重要なプロセスなのだ。(略)
★異なる価値観と出くわしたときに、物怖じせず、卑屈にも尊大にもならず、粘り強く共有できる部分を見つけ出していくこと。
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日本人はシマ国・ムラ社会で、比較的のんびり暮らしてきたので、そういうことを声や形にして表すのは野暮だという文化の中で育ってきた。
Posted by ブクログ
わかりあえないことから。
このタイトルのとおりのコミュニケーション論。
この本を読んだのは2度目だが、初めて読んだときに衝撃を受けたのを覚えている。
コミュニケーションは“わかりあえないこと”から始める必要がある。
自分としてはずっと“わかりあえるもの”としてコミュニケーションをとっていたわけだけれど、この本を読んで、なるほど!と思った。
たしかに生きてきた環境も違えば、当然価値観も考え方も違う。趣味趣向も違えば、好きなもの嫌いなものも違う。そんな人たちと関わり合うのが社会だ。
そりゃあ、わかりあえないだろうよ。
そう思ったら至極気が楽になった。
まずは“わかりあえない”から始める。
“わかりあえない”というズレを少しでも擦り合わせるために、コミュニケーションが存在する。
本当にたくさんの人たちに読んでもらいたい作品。
Posted by ブクログ
わかりあえないことを前提にして多様な人と生きる。
そのために演劇という手法が効果的である。
コミュニケーション力とか言われると相手を説得するとか、納得させるといった流暢性に行き着くことが多いように思う。
そうではなくて、どうでもよいようなフィラーや表現にこそコミニュケーションの本質があるんだということ。
あとはわからないことをわからないということ。それが自分には難しいなかなか言えない。
見栄ばかり気にして。
演じるとは何か。分人主義。適当な場で適当な役割を。適当なってなんだ?
自分を騙すのは演じるとは違う?じゃあ自分は自分を騙してばかり…楽しむことが大切なのかな?
コミニュケーションについてわかった気になってまたわからなくなる。そんな一冊でした。
Posted by ブクログ
・ダブルバインド(二重拘束)
二つの矛盾したコマンドが強制されている状態
・教育の役割
社会の要請に応じて、最低限度の生きるためのスキルを子どもたちに身につけさせて世間に送り出すこと
・喋らない、いないも表現の一つ
・日本語の特性
強調したいものは語頭にもってくる
強弱アクセントによって感情を表現する×
・対話の基礎体力をつける
2人でとことん話し合い結論を出すことが重要なプロセス、意見が変わることは恥ずかしいことではない
・子供と接する時の優れたコミュニケーション
子供のコンテクストを受け止めて、さらに受け止めているよということをシグナルとしてら返してあげることが重要
・エンパシーとは
わかりあえないことを前提にわかりあえる部分を探っていく営み