あらすじ
愛を持続させることはいかに大切であるか――。新婚生活から新聞懸賞小説に入選するまでを綴った自伝的小説。
37歳で結婚し、綾子の実家に近い一間だけの小さな新居で始まった結婚生活。新聞社の1,000万円懸賞小説に『氷点』を投稿し、入選するまでの愛と信仰の日々を描く。「大きな愛」に包まれた「小さな家」には、さまざまな人が立ちあらわれる。また日常生活の中で、人を信じる、愛することの重要性を説く。
「道ありき 青春編」の続編。
「三浦綾子電子全集」付録として、週刊新潮1999年10月28日号の記事「墓碑銘・作家、三浦綾子さんの苦難を支えた信仰と夫の愛」を引用収録!
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Posted by ブクログ
道ありき第1部青春編に続く第2部結婚編。13年間にわたる長い闘病生活に耐えた著者が37歳で結婚し、一間だけの家で生活を始めてから「氷点」が入選するまでの日々を綴った自伝。三浦綾子「この土の器をも」、1981.8発行。夫、三浦光世氏の人間離れした寛容さ、素晴らしさがまず記憶に残ります。三浦綾子さんの、これまた人間離れした正直さに感銘しました。
Posted by ブクログ
三浦綾子先生の自伝、「道ありき」に次ぐ第二弾。
結婚後の生活が書かれています。
この方の作品はどれも背筋が伸びる思いがします。
先生はもちろん、旦那様もとてつもなく素晴らしい方のようで……
その信仰の部分で全ての選択に賛同できたわけではありませんが、ご夫婦の真摯に生きようとする様からは多くを学べると思います。
また、小説「氷点」執筆時のエピソードなどもあり、興味深く読むことができました。
Posted by ブクログ
三浦綾子氏の自伝の第2部である。
結婚後、雑貨店を開き、小説「氷点」が入選するまでの話。
充実した結婚生活を送りながら、小説を書き、雑貨店をきりもりする彼女は、夫に色々と話をしながら、時には反対されながらも自分の意志を通しながら、生活を送る。そんな中でも夫はキリスト教の信徒としてどう生活・行動すべきかの軸はぶらさない。ただ、キリストのみを信じ、信じたら疑わないのである。
ある時、彼女が夫のお気に入りの背広をクリーニング屋に出し、それを店員が盗んで逃げたといわれる。彼女でも誰でもそう思うと思うが、弁償してもらおうと彼女は夫に言う。その時、夫は彼女をたしなめるのである。「綾子は聖書を読んでいるか。聖書にはなんと書いてある。許してやれと書いてあるだろう。いいかい、綾子、許すと言うことは、相手が過失を犯したときでなければ出来ないことなんだ。何の過ちも犯さないのに、許してやることは出来ないだろう。だから許してやりなさいよ。弁償せよ、などとは決して言ってはいけない。」人を許し、人を受け入れることは、人間誰しも容易に出来ることではない。結婚と言うものも、二人の人間が、お互いに全面的に相手を受け入れなければ成り立たないものではないか。すべてを許しあうのが結婚生活でなければならないと彼女はその時思ったのである。
姦淫の場で捉えられた女を人々がキリストの元に連れてきたときのキリストの言葉で「あなた方の中で罪の無いものが、まずこの女に石を投げつけるがいい」と言った。当時、ユダヤでは、姦通した者は石で殺せという律法があったのだ。ここで、このキリストの言葉を聴いて、人々は一人去り、二人去りして、ついには全部去ってしまったという。本当に自分を罪ある者と思うなら、人を裁くことは出来ない。責める事は出来ない。
彼女が物を書くについて、重要なきっかけを作ってくれた牧師に、中嶋正昭牧師と言う方がいる。その方は結婚式で司式をしたが、「結婚式をしたからといって、直ちに夫婦になったとはいえない。夫婦とは一生かかって努力しあってなるものである」と言われた。また、人間は一人では生き得ないこと、夫婦だけでいくら愛し合っていても、人の助け無しには生きてゆけないこと。上のクリーニングの話もそうであるが、「聖書の言葉は、自分の問題をひっさげて読まねばならぬ」と言う。
また、五十嵐健治先生というクリーニング白洋舎の創立者も信徒であったが、彼女はその方とも繋がりもあり、貴重な手紙を頂いている。「人間は恵まれるときはいちばん警戒を要するときです。」と。徒然草に木登り名人の話が出ている。弟子が高いところに登っているときは、名人は黙って見ていた。だが、低い所に降りてきて、地上に近くなったときに、危ない、危ないと声をかけた。見ていた人が不思議がって尋ねると、危険なところでは、注意されなくても、自分で気をつける。けがは容易なところでする。というような返事であった。病人でも、悪いときは自分で大事にするが、治りかけはつい油断して、死んだり悪化したりする人がいるものだ。車も危険な山道より、直線で事故を多く出したりする。