あらすじ
ツイッターを止めるか,裁判官を辞めるか──SNS上での投稿が原因で,異例の「分限裁判」の当事者となった現職判事は,何を考え,何と闘っていたのか? 続出する不可思議な判決,ずさんな手続,自信のない判事の増加……自らの体験を機に,時代に逆行する裁判所に警鐘を鳴らし,司法の未来を問いかける.渾身の書き下ろし.
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Posted by ブクログ
内容はとても意味のある事ではありますし、応援したい気持ちもありますが、約200ページにおいて批判が書かれていますので読んでいると疲れてきます。
Posted by ブクログ
当該分限裁判の問題点については,説得的で興味深いですが,当事者の一方からの主張であり,色々な考え方があると思います。
本書は,当該分限裁判の問題点のみならず,現在の最高裁の問題点も分かりやすく指摘されています。
最近のNHK受信料に関する最高裁判決にも触れられていますが,この最高裁判決は結論はもちろん,法理論的にも納得のできるものではなく,政治的配慮が働いたのだろうと思わざるを得ません。
最高裁の結論に疑問を抱いている人は多いのではないでしょうか。
最高裁のあり方は,人々の利害に関わることでもあります。
一裁判官の問題を取り上げた本と決めつけずに,多くの人が手に取って,最高裁について考える契機になればと思います。
Posted by ブクログ
「国民が「秘密のベール作戦」による裁判所の「情報操作」に対抗するためには、裁判官や裁判所の情報を収集して、司法の知識をもつことも重要である」P192
知らないままでいることはこわい…。
Posted by ブクログ
一般書としてこれが出ていることに拍手。司法に対する信頼を揺るがしているのは、発信している著者たちではなく、なりふり構わず抑え込もうとする、権威主義の「偉い」(と自認している)人たちだ。
Posted by ブクログ
本書は東京高裁判事の職にあった著者が、最高裁の分限裁判で戒告処分を受けるまでの事情を第1・2部で、最高裁の変貌や組織防衛に走る現状に対する危機感を第3・4部で記述されている。
裁判官の独立ないし表現の自由が尊重されるべきことは論を待たないが、元来民主的コントロールの及びにくい裁判官に対する信頼を白ブリーフ判事と呼ばれることで庶民目線と同じだなどと錯覚する幼稚さは気持ち悪い。
芸人が裸になることで笑いを取ろうとするのは職業であって(好きな芸風ではないが)裁判官が同様な芸風をアピールするのはフォロワー数を増やすためかもしれないが、どうも勘違いしているとしか思えない。
またツイッターでの裁判に関する記事も正直単なる思い付き(所詮ツイッターとはそう言うものだと思うが)を載せたにすぎないが、正直言って取り上げるほどの事件かと思うし、戒告処分にするのもやりすぎとも思う。
数少ない分限裁判の一方当事者の言い分をよく岩波書店が出版したものだなと感心した。
これ以降の分限裁判や弾劾裁判も決着したことから本作の続編を期待したい。
Posted by ブクログ
SNS(Twitter)にて、裁判についての情報を積極的に発信していた東京高等裁判所の裁判官である筆者が、分限裁判(裁判官の懲戒などに関する裁判)にかけられ、裁判官としての「品位を辱める行状があった」と判断されて戒告処分を受けた。
筆者からすれば、「ありえない」判断と手続きの連続であり、その説明にも納得できることが無いわけではありません。
筆者の主張する通り、最高裁が”王様”と化して自らの組織防衛を優先した決定を下した側面もあることは推察できますし(争点を明確化するために必要な手続きを怠ったという筆者の主張を否定できない)、憲法で保障されている表現の自由にかかる判断があったことを鑑みればそれについて言及することなく筆者に戒告処分の決定を下したことは拙速であったようにも感じます。
一方で、このような事態がおこっていることそのもの(裁判官の表現の自由をめぐる問題提起や、最高裁判所の多忙による手続きの著しい簡略化とそれに伴う弊害)についての国民の関心,意識の低さについても問題だと感じました。単に最高裁のあり方を批判するのではなく(選挙に際して最高裁裁判官の信任投票がありますが、ほとんど機能していない実情を鑑みると)国民に対してこういった「危機意識」を喚起する書籍として、価値があると感じます。
この事例に関しては、国会に置かれている裁判官訴追委員会が筆者に出頭を求めるといった進展がみられており、その後の動きに関しても注目したいと感じます。
全体を通して、筆者の抱く問題意識などは理解できましたが、事件そのものの「インパクト」が強くないこと、大規模な報道がなされたとは言えず事前の情報が多くないこと、筆者の主張そのものは論理的であるとしても語り口がポップすぎて感情的な主張に聞こえる部分があることなど、「残念」な部分も見受けられました。