あらすじ
語れないと思っていたこと。
言葉にできなかったこと。
東日本大震災が起きたとき、伊智花は盛岡の高校生だった。
それからの10年の時間をたどり、人びとの経験や思いを語る声を紡いでいく、著者初めての小説。
第165回芥川賞候補作。
感情タグBEST3
Posted by ブクログ
私のモヤモヤがここに詰まっていると感じました
私も岩手県内陸在住なので、震災時は、幾つか壊れたものがあったり、4日停電した位で「被災地」と言われる程のことはなかったです
でも、何もできなくて申し訳ない思い、後ろめたい思いはいつも感じていました
この思いを文字にしてくれた
この本を買ってから、自分の離職もあったりして、読めずにいた時期もあったのですが、やっと読めました
この本を書いてくれてありがとうございました
私は私のしたいこと、できることをして生きていくしかないと覚悟できました
Posted by ブクログ
東日本大震災がテーマのひとつだけど、「他者の気持ちは絶対に理解することができない」という当たり前だけど忘れがちなことに気づかせてもらえた。
Posted by ブクログ
この本を読んで考えたこと。
あのとき、自分は何を思い、何を言ったのだろうか。
それは、今もずっとある。
伝わるだろうか、傷つけないか、怒られないか。
言った側には悪意はもちろんない。だけど、伊智花は絵を続けなかった。
この本は、勇気や覚悟が詰め込まれた本だった。どう受け止めて、どう感じたかにきちんと向き合いたい。
あとがきや解説まで読んで、これは凄いものを読んだなと思った。
間違いなく、自分の何かを動かしてくれた本。
Posted by ブクログ
良かった。凄く凄くパーソナルな部分にぶっ刺さる作品だった。
作者のくどうれいんさんとは1歳違いで、盛岡市で中学3年生だった時に震災に遭ったので境遇としては非常に似ている。3月11日は入試が終わり早めの帰宅ができたので自宅にいるときに地震が発生した。沿岸の様子は電波が悪い中ガサガサな画質の携帯のワンセグで観たのが初めてだった。ついこの間家族で釣りに行った場所がどんどん黒い波にのまれているのを見て衝撃だった。困ったことと言えば、電気、水道が止まったことと、ガソリンスタンドが長蛇の列になるので朝五時から父と並んだこと。あとは部屋がめちゃくちゃになったことくらいだろう。
それから高校生になって、被災地の学生がアメリカに行き、リーダーシップを学ぶ研修会の応募があった、すべて企業持ちということで応募したところ審査が通った。アメリカで東北3県の高校生と出会ったが彼らは本当に普通の高校生だった。アメリカに行っている間に友達になり、楽しくその期間を過ごした。年末になり、年賀状を送ろうと教えてもらった住所を調べると、友達の半数以上の家は津波で流されていた。そのうち一人は友達を津波で亡くしていた。それを億尾にも出さずに彼らは私と話していた。それに気づいたときに、「自分は行くべきではなかった」と本気で思った。その時感じた、震災という言葉への向き合い方や、自分から発せられる言葉がどうも宙に浮いているような感覚を持ちながら生きていた。この小説は、私がそこにいた。境遇は違えど、今の私がいたように思った。
この作品では、震災を乗り越えるものとも向き合うものとも書いていない。ただ震災を経験した人は「震災の後を生きていく人になるのだ」とある。
日常は日常でしかないし、私たちはただただ生きていくしかない。非日常に踊らされてはならない。日常は川上からやってきて、川下へ流れていくのだから。でもその下っていく日常を、今をどう見るかは私たち次第だ。
自分のこれまでのもやもやを言語化してくれたこの作品はきっとずっと忘れられないものになると思う。
Posted by ブクログ
くどうれいん『氷柱と声』講談社文庫。
第165回芥川賞候補作。
冒頭に主人公の加藤伊智花の通う盛岡の高校の名称が大鵬高校とあり、もしやと思い、ウィキペディアを検索すると、やはり自分の母校の卒業生だった。これまで母校出身の有名人といえば、ザ・グレート・サスケくらいしか居なかったのだが、作家まで輩出するとは時代は変わったものだ。
本作は、恐らく著者の実体験に基づくものではなかろうか。そして、この著者はかなりの正直者だと思う。東日本大震災で直接被害を受けたことよりも二次的な被害の方を重要視して、それを小説の世界に表現しているのだ。無論、直接被害を受けた方々も大変な思いをしたことだろう。しかし、直接的な被害は小さくとも二次的な被害で心を傷付けられる方がダメージは大きいのだ。
東日本大震災から2年後の2013年10月に自分は勤続30年の休暇を利用してハワイ旅行に行った。現地では観光の他に東日本大震災以来、ご無沙汰だった波乗りも楽しむ予定だった。現地の日系人ガイドと波乗りについて会話した時、「日本は放射能汚染で海に入れないんだろう?もうすぐハワイにも放射能が届くらしいし。」と何とも非現実的な流言流布的な言葉を掛けられ、愕然とした記憶がある。
物語は東日本大震災の発生した2011年3月11日から始まる。盛岡の大鵬高校で美術部に所属する加藤伊智花は八幡平市にある不動の滝を描いた自信作の絵に『怒濤』というタイトルを付けてコンクールに出展するが、無冠に終わってしまう。最優秀賞は沿岸部の高校生が描いた津波の被災地の絵だった。
多感な高校生が味わった不平等な順位付けに納得出来ないという気持ちがよく解る。大船渡高校の佐々木朗希が活躍した時も津波の被災者がよく頑張ったとその活躍や能力よりも津波の被災者の方が前面に出ていたように思う。案の定、佐々木朗希はロッテで満足な結果も出さずに、わがままを貫いてドジャースに移籍したが、全く通用しないうちに故障者リストに載る始末だ。
それから10年、様々な東日本大震災の経験者と彼らの心の底からの言葉と向き合いながら、伊智花は自身の進むべき道を模索する。
東日本大震災から10年が過ぎ、今度は中国の武漢から未知のウイルスが世界をパンデミックの渦に巻き込む。
本体価格600円
★★★★★
Posted by ブクログ
まだ感想を言語化できてない
咀嚼して消化するのに時間かかりそう…!!
でもこれだけは言える!
読んで良かった!!
教えてくれた人どうもありがとう!
Posted by ブクログ
言いたいけど(あるいは語りたいけど)自分は言える立場ではない、と思うことはよくある。
そして言えなかった事柄が心のどこかにずっと住み続けて自分に影響を与え続けているなと感じることもよくある。
何をつらく感じるかどのくらいつらく感じるかは人それぞれで、それを他者がはかることはできない。人が自分を癒すとき、それは自分の気持ちを誰かの言葉ではなく自分の言葉で言語化して認めてあげられたときであると思う。それを邪魔する他者はいてはいけないし、語ってはいけない人はいない。そのことを胸に刻む。
Posted by ブクログ
東日本大震災が起こった時、その場にいたものの「目に見える」大きな被害は、受けなかった人達に焦点を当てた小説。何も失っていなくてごめんなさい。本来であれば、「幸い」と捉えられる状況をそう思った人がどれだけいたのだろう。
震災で家族を失った、家が全壊したという方達とはまた違う苦悩や葛藤。簡単にこの気持ちに共感できるとは言えない。けれど、胸が痛くなった。
「他者の気持ちは絶対に理解できない」
Posted by ブクログ
この本を読むのも辛かった…。
読み難い、とかではありません。
やはり震災が舞台になっているので…。
同じ被災をしたはずなのに、「わたしは家族を無くしたわけではないから」とか、そう思ってしまって震災について語れなかったり…。
胸が苦しかった…。
あんな大規模な被災なんだから受けた災害の大小なんて関係ない!と、わたしは思いますが、それはわたしが被災してないから思うだけなんだろうなぁ、と思います。
一刻も早く、被災された方たちが笑って幸せに暮らせますように。
Posted by ブクログ
はじめてのくどうれいんさんの作品。
震災。そして、コロナ今はみんないろんな所でいろんなその災いにたいする思いが交錯する。
読みながら「おかえりモネ」にこんな感じあったなあと思っていたら、後書きにその朝ドラが重なっていることを知り、そうなんだと。
なにかがあった時、さまざまなシーンや、立場で思いは違う。本当に言語化してしまうとなぜかひとくくりになってしまう。思いを混めて描いた絵の捉え方も大多数の捉え方が主流になって、書き手の思いが置いてきぼりになることもある。
それがすごくスンとくる物語でした。「いまは人生がちゃんとマイボールになっているから大丈夫。やれることをやれるようにやるしかない。やることがないなら作るしかない。自分が一番納得するようにやるんだよ」トーミの言葉はぐっとくる
読んでよかった