あらすじ
本を愛し知識を欲する村人たちを描く!
文政5(1822)年。月に1回、城下の店から在へ行商に出て、
20余りの村の寺や手習所、名主の家を回る本屋の「私」。
上得意先のひとり、小曾根村の名主・惣兵衛は
近頃、孫ほどの年の少女を後添えにもらったというが、
彼女に何か良い本を見繕って欲しいと言われ――
用意した貴重な画譜(絵本)が、目を離した隙に2冊なくなっていた。(本売る日々)
村の名主たちは、本居宣長の『古事記伝』、塙保己一が編纂した『群書類従』など
高価な本を購い、書店主と語り合う。
村人が決して実用的でない知識を求めるのはなぜなのか。
徐々に彼らが知識を、特に古代や朝廷を研究する「国学」を求める
理由が分かってくる。
江戸時代の豊かさは村にこそ在り、と
考える著者が、本を行商する本屋を語り部にして
本を愛し知識を欲し人生を謳歌する
人びとの生き生きとした暮らしぶりを描いた中編集。
解説 平松洋子
単行本 2023年3月 文藝春秋刊
文庫版 2025年6月 文春文庫刊
この電子書籍は文春文庫版を底本としています。
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Posted by ブクログ
目次
・本売る日々
・鬼に喰われた女(ひと)
・淇一(きいつ)先生
主人公の松月平助(しょうげつへいすけ)は、本屋である。
江戸時代、本屋というのは二種類あって、一つは読本や浮世絵を売る地本屋、つまり今年の大河ドラマの主人公である蔦谷重三郎がやっているようなものと、もうひとつはこの主人公のような物之本屋である。
物之本の本とは、「根本」の本であり、「本来」の本であり、物事の本質を意味する。
だから扱うのは、仏書、漢籍、歌学書、儒学書、国学書、医書などである。
現代で言うと本屋というより古本屋の方が、その在り方に近いかもしれない。
自分の目で売る本を選び、店に置く。
店主が目利きであれば、それなりに安定した暮らしはできる。
しかし平助は焦っていた。
自分の店からも、本を出版したいと思っていた。
もっとじっくり準備するはずだったのに、隣村のぽっと出の本屋が、粗雑な作りとは言え自分の名前で本を出版したのだ。
なら、自分だって、と焦った結果が騙されて、借金を背負うことになった。
なので、月に一度、近在の村の寺や家を回り、注文を取ったり、気に入りそうな本を紹介したりしていた。
それは借金返済のための苦肉の策ではあったが、一人の本好きとして本好きたちの家を回るのは楽しいことでもあった。
で、短編が3作。
江戸時代の出版文化や、本という貴重品についてとともに語られる平助の話は、不可解な出来事であり、ちょっとしたミステリになっている。
江戸時代の医学について知ることができるのが『淇一先生』だ。
村医者でありながら、数多くの医学書をもち、よく読み、実践している名医である淇一先生は、医師を志すものを弟子として育てることも多い。
先生のところには医書のほかに口訣(くけつ)集という、実際の治療についての細かな記録や考察を書いた本があった。
普通ならそれは門外不出にすべき大切な記録であるのに、淇一先生はそれを誰もが読んで広めることを許している。
平助は「苦心を重ねて辿り着いた成果でしょう。真似されないように、盗まれないように、堅固な壁を張り巡らせるのが常道ではないでしょうか」と淇一先生に問うが、先生は「それをしたら医は進歩しません。患者は救われません」と答える。
「医は一人では前へ進めません。みんなが技を高めて、全体の水準が上がって、初めて、その先へ踏み出す者が出るのです」と。
なぜ先生は平助に口訣集の話をしたのか。
「それはもちろん、あなたが本屋だからですよ。(中略)朝鮮や越南(ベトナム)のように、直に唐の名医の指導を受けられない日本では、医書こそが教師でした。(中略)私たちとあなた方は、一体なのですよ」
物乃本屋としての目利きであるためには、ものすごく本の、本の内容の、勉強をしなければならない。
時短などという概念のない時代、ただひたすら勉強して努力して、江戸時代の人たちは自分の仕事を自分のものにして行ったのだ。
もちろんただ何となく仕事をしている人も多くいただろうけれど。
読んでいるうちに、自分の心の中で何かがきれいに洗われていく気がした。
そして、物語の最後に書かれたことは、平助の本屋としての大きな一歩であったと言える。
続編出ないのかなあ。
Posted by ブクログ
医は一人では前へ進みません。みんなが技を高めて、全体の水準が上がって、初めて、その先へ踏み出すものが出るのです。そのためには、みんなが最新の成果を明らかにして、みんなで試して、互いに認め合い、互いに叩き合わなければなりません。
Posted by ブクログ
江戸時代の後半、主人公・平助は本屋「松月堂」を営み、城下から在郷の名主らに本の行商に出ます。舞台が華やかさと無縁の村なのが特徴的です。
平助は、人気の読み物などは扱わず、学術書にこだわる矜持をもっているのでした。異問や謎を、本を介して解き明かしていく3編の連作物語です。
単なるエンタメやミステリーではなく、本が生活に根差し暮らしを支えていた情景が浮かびます。本を愛し知識を求める人々の個性が豊かで、当時の本を作る・売るという様子を知り、さらに本の世間への浸透や寄与を想像するよい機会となりました。
作中に出てくる多くの言葉へも共感が多かったです。特に、「本は出会いだ。蔵書は出会いの喜びの記憶でもある」「本や人を信頼し切れるのは贅沢で豊かなこと」には唸りました。
書店の激減、読書離れが叫ばれる中、これまでの本の歴史に想いを馳せながら、読書の喜びを多くの人に実感してほしいと願うばかりです。やっぱり、それは教えられるものではなく、自分で気付くものですよね!
Posted by ブクログ
本屋で見かけて一度は手に取ったものの、(いやいや積読半端ないし)と諦めた。
しかし、やっぱり気になる。
えーい、今買わねば後では出会えぬやもしれぬ!と購入。
買って良かった。
惣兵衛さんの御新造さんの森と里の際の話、これは自分の場合はまさに子供と社会との関わりについても言えるし、名主がなぜ国学をやるのか、についても考えさせられた。他にもあるを信じられることで楽になる、というのは実感してるからなあ。諦めるわけでも見放すわけでもない。
だけど、他があると思えることでちょっと楽になることはある。
今の自分にとって、何か種を植えてもらったような、そんな本だった。
気になったのも、このタイミングで読んだのも、
本に呼ばれたのかもしれない。
ホントに本は出会いだ。