あらすじ
第146回芥川賞受賞後初の小説集にして著者初の掌篇集。1600字の読み切りで展開される37篇は、〈生老病死〉〈結婚・離婚〉〈殺人・自死〉など日常に潜む狂気をも描く、怖ろしく、あり得なく、しかも美しい田中ワールド。あとがきには著者自身の告白もあり、フィクションの醍醐味に満ちた一冊!
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Posted by ブクログ
ゼミの課題図書でした。
手に取ったときの印象は「随分と短いな」ということ、それとカバーのするりとしたちょっと変わった感触。指紋がつきやすそうだなぁ、と。
読んでみての感想というか、読みながらの感想になるのですが。
タイトル通り「掌編小説」が「陳列」されている、全体としてそんな雰囲気の本でした。
好きな話とかを一つ一つ書き連ねるのも大変そうなので、大まかに思ったことを。
まず登場人物にほぼ名前がついていないことが気になりました。
もちろん「男たち(一幕)」は別ね。
なぜだろうか。
この掌編が毎日新聞に連載されていたものだと知って、あぁと思いました。
新聞に載っている記事ってノンフィクションじゃないですか。
それでも、自分の日常とは少しかけ離れた事件が記事になっているわけで。
そんな記事を見ながら、考える。
「なるほどそんなことがあったのか」
この時、新聞を読む人は別に事件現場に心を馳せているわけじゃなくて、心は自分の中に置いたままで目の前の文字を追いながら事件に向き合う。
そんな新聞記事を読む姿勢と同じように、読めるように名前がついてないのかな、と。名前がつくと、いっきにフィクションくさくなるので。
小説を読むときって、主人公の生きがいをなぞる内に、感情がシンクロしたり、一緒に憤ったりすると思うんだけど、この作品にはそれがない。なんせ短いから、その暇がない。
じゃあ作者は読者に対して登場人物をどう表現しているのかというと、シンクロさせるのではなく、真正面に対座させている。『鏡の向こう』みたいなそんな雰囲気。
読者は話の外側にいられるから、取り立てて何か冒険があるわけではない話でも「おお、これは面白い」と読み切った瞬間に思う。読み切った瞬間っていうのは、つまり話のテーマを把握した瞬間と同じことである。
それぞれの話の本当に簡素、質素?な描写が個人的には大好きです。
文章自体に捻りが効いているわけじゃない。
だからこそ、トスッと一文が突き刺さる瞬間がある。
夾竹桃の「人々の無言を蝉の声が埋めた。」っていう表現とか、特に好き。
課題で呼んだ本ですけど、これは買って良かったな~~と思いました。