あらすじ
スラムの惨状、もらい子殺し、娼妓に対する搾取、女工の凄惨な労働と虐待……。駆け足の近代化と富国強兵を国是とする日本の近代は、社会経済的な弱者―極貧階層を生み出した。張りぼての繁栄の陰で、「落伍者」「怠け者」として切り捨てられた都市の下層民の実態を探り、日本人の弱者への認識の未熟さと社会観の歪みを焙り出す。
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Posted by ブクログ
さすがに紀田順一郎さん
『日本の下層社会』(横山源之助)、『最暗黒の東京』(松原岩五郎)は何度も書棚から手にとっては戻し、戻しては手に取り、を繰り返していたのですが、ようやくそれらの一端に手を触れられた気がします。
今からほんの百数十年前の文字を持たなかった(持つことが困難であった)人々の「暮らしぶり」にはずっと興味関心を持っていので貪るように読み進めてしまいました。
ややもすれば「明治維新」とかなんとか、といった日の当たるところばかりが喧伝されてしまう世の風潮の中で、こういう「負」の側面にちゃんと光をあてて、歴史的史実を確認していくことは本当に大事だと思ってしまう。
権威者(権力者)にとって都合の良いところばかりを言い連ねて、書き連ねて、一方向の歴史(の一部)だけを知らしめようとする「仕組み」は昔も今も一緒だなぁと改めて思ってしまう。
それにしても、
松原岩五郎さんを始めとする当時の優れたジャーナリスト、ルポライターたちの熱意と想像を絶する困難さを乗り越えた、その仕事の成果に心から敬意を表します。
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福祉に携わる業務に就き、その参考になればと読み始めた。大きく3部構成になっており、最初は貧民街・スラムについて。次いで娼妓をはじめ身を売らねばならない女性たち。最後に明治から大正期にかけて過酷な労働・生活に晒された女工たちの真実が語られた。特に、女工たちの受けた仕打ちは、ナチスの強制収容所を彷彿とさせ、雇い主の非人道的な処遇に身も凍る思いだった。
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もともと、神保町の救世軍に関する新聞記事を目にして、この本を手にしたのですが、内容、慄然とすべきものでした。貧困がもたらす人間というもののありようが淡々とした筆致の中に余すところなく描き出されていると感じました。特に吉原の娼婦たちや女工の悲惨さは読むに耐えぬ。
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貧困にあえいでいるのは、努力しなかったからだ――
そんな言いように腹が立ってしかたがなかったのに、それにどう反論すればよいのか、わからなかった。
また、私自身も心のどこかで、もう少し一生懸命働けば苦労しなかったんじゃないの、と思っていた節があったのだとおもう。
そもそも、貧困とは何なのか。なぜその暗い穴に陥ってしまうのか。
本書を読んで、ようやくその答えが見えてきた。
まずもって貧困とは当人の如何なる性質に寄るものではなく、ひとえに外因性、それは景気とよばれたり、資本主義だったり、病気だったり、ほんの小さな不幸の積み重ねだったり、また、無知によるものだったりする。
誰だって貧乏暮らしはいやだ。人としての尊厳もなく、残飯を拾って日銭を得て、垢まみれの着物一枚で年中過ごし、やれ虱だ流行病だと身体が休まる暇もなければ場所もない。
真実はさらに悲劇で、人を人と思わぬ鬼畜が何も知らない女工たちを、娼妓たちを現在では考えられないほどの凄惨さでもって痛めつける。死に追いやる。
それがほんの百年のあいだに日本で起こっていたこと。
長らくのあいだ、「彼・彼女らのせい」として放置されてきたこと。
なぜ彼の人々が下層社会で喘いでいるのか、”想像力”に欠け、”人間性”が欠如しているあいだは到底わからない。
いま、新富裕層という言葉が生まれている。そう呼ばれる人々のなかには、汗水垂らして働くでもなく、バーチャルな数字でもって富を手にして、貧困に陥った人々をあざ笑っている人もいる。
でも、少し想像してみれば、いまの社会構造ではほんの僅かな食い違いで、誰しもが一挙に転落してしまうようになっている。
社会の仕組みの犠牲になっている人がいて、そのうえで自分のいまの生活が存在していることを、もっと疑問に思わなければいけない。
いつ如何なる時も、”人間性”を失ってはならない。
そう考えさせられた一冊だった。
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スラムの生活については、まぁそんなに驚くことはなかったけど、女工や花街の生活の悲惨さは、中々現代のイメージからは想像に難いだろうな。
教科書では、工場制手工業はポジティブな意味合いで表現されていたと思うが、そこに江戸時代までの家長制度が持ち込まれ、それこそ悲惨な状況に陥っていたとは知らなかった。
明治から昭和初期の下層民の生活について知るにはいい本。また読み返したい。
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明治前くらいから、昭和初期くらい?の時代について。当時の作家が小説に描かなかったような、貧困に苦しむ人々の生活についてなど。
東京の東のほう
売春婦と女工について。
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明治から戦前の昭和初期まで、スラム街などで暮らさざる得なかった人々の実態を伝える良書。つい「最近」まで、日本はこんな状態にあったのか、と驚き、また哀しく・せつなくなります。
この本、スラム街に住んだ人々や、公娼・私娼や女工となった女性らの暮らした世界を膨大な資料から描いています。描かれる暮らしぶりは、あまりにも悲惨で人々が、その環境下で生きていられたというのが信じられないほどです。
知らない日本がこの本の中にはあります。
ただ、この本にあることは単なる「昔話」ではないと思います。この貧富の差が激しかった時代は、「格差社会」などと言われる現代と共鳴しています。
読むことで「今」を知ることにもなるかと思います。
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当時の貧困層の様子が生々しく描かれており、如何に自分が生きるこの世が恵まれているかを再認識させられてしまった。貧困の根本にある他者に対する想像力の欠如は現代に通づる課題であり、大局観を持って世の中を見ていくことが必要だと思った。
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明治維新は我が国において「革命的」なできごととしてしばしば喧伝される。大局的には欧米列強に比肩する歴史的転換点であろう。この歴史的事実が放つ光が大きければ大きいほど、まばゆい光に隠されて見えなくなることも多いのではないだろうか。
『東京の下層社会』はタイトル通り、革命的なできごとが放つ光に隠されて、あまり語る者の多くない場所を手燭の光を灯すようにしてかき集めた当時の社会ルポである。この分野の記録はそう多くないだけに、記録的価値は高い。著者は先人の手になる記録を参照しながら検証を進めているが、その記録が貧民窟(スラム)に暮らす人々に紛れ、実体験をもとに描かれたものだけに今読んでも臨場感はいや増すのである。歴史は一般に勝者、権力者の視点で書かれ、いわば勝ち組にスポットが当てられる。そうした人たちは実際にはごく一握りの人々であり、しかし、歴史はその陰に数多存在する市井の人々が積み重ねてきたものであろう。
日陰に隠れ、闇に紛れ、ともすればそのまま葬り去られる運命にもある世界を描き出した価値は高い。貧民窟の剣呑な人びとのなかにわが身を投じて、そこで暮らした体験によって記録を残すという仕事がどれほど大変で生半可な者にはできないことであるかは、本書を読めばたちどころにわかる。権力者が、社会の底辺にうごめいているこれらの「貧民」を一顧だにしないのは、明治の世も令和の世もあまり変わり映えがしないが、一時の景気がしぼんで以降、日本も再び貧困層が増えたとしばしば聞こえてくるようになった。一方でその状況が改善したという話は全く聞こえない。すなわち明治の世の無策っぷりが、今もまた繰り返されていることの証左ではなかろうか。
後半で描かれるのは当時の女工や娼婦であり、当時の女性が生きていくことがどれほど大変なことであったかが偲ばれる。さすがに当時と比較すれば、現代は男女格差は大幅に縮小されたであろうが、それは縮小であり「平等」を意味しない。「女性活躍」をスローガンのように叫び、結果として女性閣僚などといいながら都合よく使い捨てていた者がつい先ごろまで権力者だったことを思えば、男女平等というユートピアは夢の彼方に霞んでしまう。「女性活躍」も今はたちの悪いプロパガンダにしか聞こえない。
このような今を生きる我々にとって、本書は権力者によって貧民層に蹴落とされたときの生きるバイブルとなるだろう。権力者を目指す一部の者はともかく、権力者になどなり得ない大多数の人たちにとって、『東京の下層社会』はまさに生きた教科書であり、サバイバル・マニュアルである。
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明治から終戦までのスラム街や娼婦達の生活についての解説書。
前半は松原岩五郎の『最暗黒の東京』などを引用し、木賃宿や長屋で暮らすスラムの貧民たちの生活が描かれている。
『最暗黒の東京』は、書かれている内容は興味深いのだが、いかんせん文語で書かれており、読解に手間がかかるのでこの本で解説されているのはありがたい。
しかし、後半からは娼婦と女工の生活に移ってしまうので、雑多な社会の状況が描かれているのは前半までなのが残念なところ。
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明治~昭和の大戦中までの、東京周辺の貧困層の生活と、娼婦や女工の経済的および社会的な立場というものを、過去の文献から解説する論文。
東京墨田区あたりの長屋もしくは木賃宿に住む労働者は、風呂にも入れない劣悪な生活をしていたことを、新聞社の記者が変装してレポートする。また、私娼や紡績工場の経営者はヤクザまがいの立ち回りをして、女性たちを逃げられない様がんじがらめにした挙句、ボロ雑巾のように利益を吸い上げていく。
新潮45という、悪趣味な雑誌に載せていたレポート記事だけあり、残飯をすするような嫌悪感を抱かざるをえない表現がたくさん出てくる。しかし、単なる一次的なインタビューや、過去の論文の丸写しだけでないのは、なかなか読み応えがある。
特に、後半の描き下ろしと思われる子売り子殺し、娼婦、女工の項については、引用が多すぎるきらいがあったが、一読の価値がある。
ネットが発達し、法律も整備された現在ではそんなことはなかろうと思いたい反面、いまだに風俗と名を変えた商売が成り立っているわけで、裏社会ではこういうものが残っているのではないかということは、想像に難くない。
一方で、近年NHKなどで繰返しドラマ化などされる、戦前の下町の、のどかで人情味と生活感のある明るい生活の嘘くささを感じざるを得ない。
Posted by ブクログ
東京の下層社会の様子を様々な資料を基に説明している。
胸の悪くなるような描写も多々ある。
驚かされるのは、この下層社会の様子は戦前まで日本中いたるところにあったということである。
そして、我々はそのことを忘れている。または知らない。ということである。
格差社会・社会保障費の増大が問題となっている現在一読の価値はある。
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過去の東京に存在した恐るべき貧困の実相を探るのが本書の目的である。帝国主義の時代を脱していなかった当時の国際社会にあって、日本政府が福祉政策に舵を切れなかった事情については、ほとんど考察と言える考察はないが、むしろそういった考察があっては、スラムの実態に対する切込みは甘くなる。本書は、その意味で、贅肉をそぎ落としたスマートなつくりになっている。
本書に描かれたスラムの実態は、現代人の感覚からすると、およそ想像もつかないほどひどい。「残飯」の流通一つとっても、考えただけで吐き気を催すほど。もらい子殺しや娼婦、女工の虐待など、現代社会のどんな凶悪事件と比べても、その残虐性、凶悪性は比類なきものがある。
このような社会が明治、大正、昭和初期の日本に存在したことを、我々は忘れてはならない。非常にショッキングな内容だが、おすすめできる一冊です。
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『ぼっけえ、きょうてえ』を読んだ後に読んだので、淡々と読めたけれど、凄まじいの一言。東京もこんなだったのか、と感じると同時に、現代社会でも一部「ネットカフェ難民」や派遣労働者問題があるように、この時代に戻りつつあるのかも?格差社会もどんどん進行したらいつかは戻る。ゾクッとしました。
残飯にもランクがあること、近親相姦や強姦にあうのが当たり前の生活。工場での人間扱いされない労働条件。人がここまで蔑まれていた状況。どれも本当の日本の姿だったのです。今の自分の生活がいかに恵まれているのか、考えさせられる本ですね。
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貧困層の生活について。後半は娼婦について書かれていて幅広いジャンルの貧困について書かれているかと思い込んでいたため割とざっくりしているんだなと思った。
昔はありとあらゆる概念がなく余裕もないので貧困層を切り捨てるのは当たり前のことなんだと思った。倫理観もなく人権もない。ようやく栄養学というものを知った程度。この状態から今の現代社会までよく進めたと感心するし少しづつ世の中は良くなっているんだなと思った。
他の国ではある残飯屋も昔日本にあったのは納得できる。ただ近親相姦や強姦が日常茶飯事で親子が夫婦になることもあったと書いてあるけど本来の夫婦は離婚するということなのか戸籍がめちゃくちゃなのかそもそもないのかよく分からなかった。深掘りして知りたいところだった。
Posted by ブクログ
職場の先輩からお借りしました。
資料として読んでいたのですが、ついこの間まで日本はこんな感じだったのだなぁ…と驚くことしきりです。
今も、労働力は使い捨てみたいなところもありますが、この頃はもっとひどく、寧ろ人間扱いされてないです。
前半はまだどうにか、でしたが、もらい子殺しくらいから辛く、娼婦・私娼・女工はしんどかったです。夢に見ました。
働いても働いても楽にならない。搾取される生。
福祉についてはまだまだ充分でない気がしました。
Posted by ブクログ
戦前の東京はスラムが其処彼処にある場所だとは知らなかった。
現代の日本の豊かさを実感した。
解説にある貧困とは差別の問題であり想像力の欠如であるという言葉は妙に納得するところがあった。
Posted by ブクログ
明治から昭和初期にかけての東京の貧民・貧困を概観する。横山源之助「日本の下層社会」や森光子「光明に芽ぐむ日」など、当時の実態を克明に記した一級の資料を参照し、貧民たちがどのような環境に置かれていたのか、行政や資本家、社会運動家は彼らにどのような対応をしてきたのかを明らかにする。
そうして見えてくるのは、当時の貧困の、現代のそれとは比較にならないほどの過酷さ。極めて過酷な労働、飢え、病。衣食住のすべてが満たされないことが常態化した生活。
こうした人々が、東京には少なくない数存在していた。有名な三大貧民窟だけでそれぞれ数千人の貧民が住み、それ以外大小合わせて100以上もの貧民窟があった。
さらに、行政や社会の貧民・貧困に対する意識もまた、貧民を貧民のまま置くことを選んだ。彼らにとって貧民とは、救うべき対象ではなく怠惰により身を持ち崩した自業自得の人々でしかなかった。そうした無関心・無理解が貧民に対する放置を持続させた。
こういう貧困者への無関心・無理解が現代日本にも繋がっているかと思うと興味深い。生活保護叩きは記憶に新しいし、貧困者への行政援助に対する許容度が先進国では有意に低いことも有名な話。実感値でも統計値でも、貧困者に厳しいのが日本人の実状なんだろう。そういう心性は、100年前から変わらないということだろうか。
Posted by ブクログ
東京オリンピックの頃までは「乞食」とか「偽傷痍軍人」とかを普通に見かけた。当該書では戦前まで存在していた「貧民窟」までを主に取り扱っていた。そこが今イチ食い足りない。
あのmarginalの存在が消えたとは思われない。