【感想・ネタバレ】旧白洲邸 武相荘の四季のレビュー

あらすじ

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「旧白洲邸 武相荘」の初の写真集。

「旧白洲邸 武相荘」(東京都町田市)は、白洲次郎(1902~1985)・正子(1910~1998)夫妻が亡くなるまで暮らした家を公開したミュージアムやレストラン、ショップなどからなる施設です。戦後の日本の復興に尽力した白洲次郎は、太平洋戦争中の1943年、鶴川村(現・東京都町田市)に空き家となっていた幕末に建てられた茅葺き屋根の農家に移り住みます。この地がかつての武蔵国と相模国の境にあることから「無愛想」をもじって「武相荘」と名付けた次郎は、東京はやがて空襲で焼け野原になり、食糧難になると考え、妻の正子とともに好きなものに囲まれ、農作業に明け暮れる生活を始めました。ふたりは家屋をモダンに改装し、敷地に花や木を植え、次郎は日用品や家具を工作し、正子は好みの骨董を調度品や器に活かしました。そんな「旧白洲邸 武相荘」で感じることができる、ふたりが過ごした豊かな時間と愛した品々、四季折々の風景や場面を、写真家の浅井佳代子さんが美しい写真で捉えました。そして、長女の牧山桂子さんが両親の知られざる逸話や思い出を綴り、いまも色あせない上質な暮らしと生き方を垣間見ることができます。

※この作品はカラーが含まれます。

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Posted by ブクログ

白洲次郎、白洲正子の夫妻が住んだ、武蔵野の自然に囲まれた家、「武相荘」
「ぶあいそう」と読む。
太平洋戦争が激しくなるころ、現在の町田市、その頃の鶴川村に農家を買った。長らく放置されてひどく荒れていたのを三十年かけて手を入れて住んできた。住宅とはそういうもの。最初から綿密な計画を立てて設計しても、住んでみれば不満が出てくるだろう。
家とは、人の生活に合わせて変えていくものでもある。(白洲正子)
一冊のほとんどが、写真であり、その一々に説明はないが・・・
この写真が見事。長く滞在し、四季を撮ってきたのだろうと思う。こんなに美しい本があるだろうか。
正子愛用の品にだけは、来歴が書かれている。
まるで博物館の収蔵品のようだ。
白洲次郎も正子も、由緒正しい家柄の人である。それを土台に、更に教養を深めた。
ちょっと近寄りがたい人々・・・というイメージもあったが、白洲夫妻長女の牧山桂子さんの語る父・白洲次郎の像は、時に子供っぽく、ユーモラスで、もっとその人となりを知りたいなと思った。

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2025年07月28日

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