あらすじ
財、貨、賭、買……。義、美、善、養……。貝のつく漢字と羊のつく漢字から、中国人の深層が垣間見える。多神教的で有形の財貨を好んだ殷人の貝の文化。一神教的で無形の主義を重んじた周人の羊の文化。「ホンネ」と「タテマエ」を巧みに使い分ける中国人の祖型は、三千年前の殷周革命にあった。漢字、語法、流民、人口、英雄、領土、国名など、あらゆる角度から、斬新かつ大胆な切り口で、中国と中国人の本質に迫る。
...続きを読む感情タグBEST3
このページにはネタバレを含むレビューが表示されています
Posted by ブクログ
-2006.09.12記
京劇が専門だという著者、加藤徹の「貝と羊の中国人」新潮新書。
任期満了でやっと退陣する小泉首相の靖国参拝への頑なな執着で、この数年、中国からの批判がずいぶん過熱したものだったが、その中国の開放経済による経済成長至上主義と、一党独裁の官僚的支配に過ぎない共産主義が矛盾しないで同居できる不思議を、中国史に詳しい著者が、古代より連綿とある貝と羊の文化の対比で読み解いてみせるが、その手際はなるほど判りやすく、時宜にも適った書で、ひろく読者に受け容れらるだろう。
中国の有史は殷・周にはじまる。ほぼ3000年の昔、中国東方系の民族であった殷と大陸西方系の民族の周がぶつかりあって、現在中国・漢民族の祖型を形成してきた。殷最後の紂王を周の武王が倒し、周王朝が樹立されるのが、殷周革命(殷周易姓革命)だ。
殷は農耕民族系であり、早くから流通経済が発達、子安貝を貨幣に用いていたという。王朝を「商」とも呼び、人々は「商人」とも自称していたというほどだから、商業的気質に富み、商人文化を発達させる。宗教も多神教で、神々はいかにも人間的な存在となる。この殷人的気質や文化の傾向を、著者は「貝の文化」と呼んで類型化する訳だ。
他方、周は遊牧民族系に属し、厳しい自然とたえず対決しながら暮らす生活習慣は、「天」は至上となり、唯一至高の絶対神となる。人々もまた理念的・観念的傾向を帯び、主義を重んじ、善行や儀礼に無形の価値をおく。著者はこの周の文化を「羊の文化」と名づけ、対比的・対照的な二つの系譜が、3000年の歴史を陰陽に脈々と受け継がれ、現代中国の国民性をも規定しているという著者はいい、中国の分かり難さは、この構図をもって読み解けというのである。
余談ながら、後の春秋時代に登場した孔子は、この周の文化伝統を重んじ、その復興を提唱し、「儒教」を創り上げたのだが、その孔子自身は遠く殷人の末裔だったというから、中国文化の深層を読み解くうえで象徴的なエピソードだと、紹介されているあたり面白い。
私にとって印象にのこる知の発見は、中国問題からは逸れるが、江戸時代の佐藤信淵がすでに説いていたという近代国家日本の帝国主義的戦略のシナリオだ。以下はほぼ著者記述のまま書き置く。
文政6(1823)年、農政学者の佐藤信淵(1769-1850)は、「混同秘策」という本を書いた。別名「宇内混同秘策」とも呼ばれる。この本の中で、佐藤は、日本が世界を征服する青写真を示した。まず江戸を東京と改称して「皇国(日本のこと)」の首都とし、幕藩体制を廃止して全国に道州制を敷き、天皇中心の中央集権国家を作る。そして、まず「満州」を征服し、それをかわきりに「支那」全土を征服して、世界征服の足がかりとする。そのいっぽう、フィリピンやマリアナ諸島にも進出し、日本本土の防備を固める。そして、彼が「産業の法教」と称する神国日本の精神によって、世界各国の人民を教化し、全世界(宇内)の大統一(混同)という大事業を達成する‥‥、と。
明治維新から1945(S20)年の敗戦までの日本の国家戦略は、佐藤信淵の「混同秘策」の構想を、ほぼそのまま実行したものだったということになるが、著者によれば、この「混同秘策」の書は、戦前は各種の版本が出版され、国民のあいだでも広く読まれていた、とされ、石原莞爾が昭和初期に提唱した「世界最終戦論」も「大東亜共栄圏」の構想も、江戸時代のこの「混同秘策」の思想の延長線上にある、という訳である。
Posted by ブクログ
中国人と接する機会があったとき、もう一度読み返すべき本。
中国人の考え方・文化・歴史からなぜ日本に敵対心を向けるのか?ということが文化的に理解でき、また、日本人として腹を立てる必要も無いことが納得できる。
中国人の実利の追求には凄まじいものがあるが、その反面、儒教に代表されるイデオロギーに殉じるのも同じ中国人である。現在中国の政治は共産主義、経済は資本主義の淵源はここにあるという。
この貝の文化と羊の文化から出発して、著者は流浪のノウハウ、中国人の頭の中、人口から見た中国史、ヒーローと社会階級、地政学から見た中国、黄帝と神武天皇、中国社会の多面性と説き進める。どの項目も非常に深い洞察と示唆に富んでいる。
「支那」がタブーされている理由は、中国が「中華人民共和国」だと自国を言っているのに、中国が「中華」という言葉を使うことに気に入らず日本が中国のことを「シナ」と読んだから、中国の人が怒ったという事から発生しているとのこと。なるほど納得。そりゃ自国を「こう呼んでくれ」って言っているのに勝手に違う言葉で表そうとしたら怒るし、猜疑心が産まれるな・・と理解できた。