あらすじ
歴代中国王朝が鋳造した数千億枚に上る銅銭.世界史上極めてユニークなこの小額通貨は,やがて海を越え,日本を含む中世東アジアの政治・経済・社会に大きなインパクトをもたらした.銅銭はなぜ,各国政府の保証なしに商取引の回路を成り立たせてきたのか.貨幣システムの歴史を解明してきた著者が,東アジア貨幣史の謎に迫る.
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Posted by ブクログ
中国の貨幣政策、経済、東アジアの交易、商業、銅生産等からみた銅銭の歴史。
・中国では酸化銅鉱山が枯渇し唐代には銅銭の発行が難しくなり貨幣は絹などに。銅銭とは銅、錫、鉛の合金。銅のみでは鮮明な鋳造が不可。開元通宝(621)は後代の東アジアの規準通貨だが1文発行するのに3倍以上のコスト。
・11世紀末に硫化銅からの精錬が可能となり12世紀北宋は銅銭を大量に発行。17世紀ごろまで東アジアで流通する通貨に。
・日本は酸化銅に恵まれていたが平安中期には枯渇し青銅仏や梵鐘が製造されなくなる。鎌倉の大仏の組成は宋銭の組成と同じで鉛の同位体測定から鉛も中国産。13世紀以降宋銭を溶かしての梵鐘の鋳造が増加。
・北宋は兌換紙幣を発行し銅銭不足を補う。南宋は紙幣の使用期間を3年とし、通し番号を印刷し、新紙幣や銅銭などで旧紙幣を回収し紙幣の価値を維持しようとした。南宋末には元の侵略による戦費もあってインフレ。
・元は塩引(塩税)を紙幣によることとする不換紙幣制・税収の大半を占めた塩税で回収し安定化し、銅銭廃貨。しかし江南では銅銭が主な地域も。
・中国が銅銭を使用しなくなると、銅銭は東アジアへ。
・日本では13世紀前半に税の布納付が代銭納は後半には米納も銭納付、定期市での銅銭使用。
・明は当初洪武通宝・永楽通宝を大量発行したが、銅不足により不換紙幣・回収などの維持方策をとらなかったため事実上無価値に。
・日本では1400年頃までに硫化銅の精錬が始まり世界有数の銅生産地に。15世紀半ばまで銭建て米価は上昇したが、以降下落。銅価格が下落した。このため代銭納を米納に戻す動きが生じる。
・15世紀以降の日本銅の流入は私鋳銭を増加させ、銅銭の減価と撰銭(新銭≒私鋳銭の忌避)。洪武通宝なども撰銭の対象に、良貨は宋銭。
・日本では中国でほとんど流通しなくなった永楽通宝の流通が多いが、日本産私鋳銭(錫が含まれず銭銘が不鮮明)。
・ベトナムは銅銭を発行したが主に流通したのは宋銭。
・1568年の信長の撰銭令は悪銭も含め公定レートを設定しようとするもの。併せて米による取引を禁止。これは兵士が米を銅銭で買えるようにするため。
・倭寇の壊滅と解禁の日本以外の一部緩和により1570年ごろ以降精銭は流入されず空位化し、米に置き換わり。16市期末には銀建ても。北条領国では米納付のほか従来は悪銭だった永楽通宝納付を認める。市場ではビタ銭による取引。
・貫高から米高への移行は、精銭が流通せず銭による統一的な資産・税の評価が困難になったから。
・日本銀と中米銀の流入により銀が貨幣として流通、万暦年間には一条鞭法により諸税の地税への統一と銀建てが図られたが、必ずしも銀納ではなく、同時に良質な万暦通宝をコストをかけて大量に発行したが、銅素材として蓄財されてしまった。
・ベトナムでは古銭不足を補うため17世紀初め大量の日本私鋳銭を購入。
・1635年参勤交代が制度化されると、幕府は銅銭の輸出を禁止、古銭を高値で回収し寛永通宝を発行。しかし、錫の入手困難(中国の輸出禁止など)で良質な銅銭を発行できず。1655年鹿児島で錫鉱山錫山が発見され、ようやく良質な寛永通宝の大量発行。
・1670年古銭通用禁止令、17世紀末には古銭が流通しなくなった。
・東アジアでは北宋が大量発行した銅銭が基軸貨幣として広く流通、新銭や私鋳銭、高額額面貨幣は額面通りの流通が困難。人々が貨幣として信頼するものが通貨。
Posted by ブクログ
読み進めるにつれ、歴史的考証の要素が増えてくると歴史学自体にどうにもとっつきにくさを感じる身からは重たく感じる。あるいは、日本や東アジア以外の話が多ければ、ファンタジーの物語の祖型として楽しめるのかもしれない。
Posted by ブクログ
20250501-0520 日本を含めた東アジア一帯では、かつて歴代中国王朝が鋳造した銅銭が原子貨幣として日々の取引を担っていた。歴史上きわめてユニークな銅銭の歴史を紐解き、貨幣システムの在り方について考察している。