あらすじ
生態系の頂点に立ち,近づきがたい野生動物ヒグマ.ヒトはいつどのような進化をたどってユーラシア大陸でヒグマと出会い,なぜ文化的に共存することになったのか? ヒグマの動物学的・生態学的な特徴から説き起こし,時代と地域を超えた進化上の展開を追い,クマ送り儀礼に見る人間と自然との豊饒な文化の意味にまで迫る.
...続きを読む感情タグBEST3
Posted by ブクログ
ヒグマはヨーロッパ、ユーラシア、北米に分布しています。
その中、北海道に分布しているヒグマが単位面積あたりの棲息数が一番多いということです。
ヒグマは大型の哺乳類で人間のように立って歩くこともできて、肉も植物も食べる雑食性ということで、人間に似ています。
このような特徴がヒトとヒグマは精神的な結びつきは近く、物理的な距離は遠いという独特な関係性になったということです。
クマ送りという儀式は狩猟でとったヒグマを神様に捧げるというような儀式ですが、日本以外にもにたような儀式があるそうです。
ただ、子熊を飼育して、それを神様に捧げるという飼育型のクマ送りはアイヌの人たちだけがするそうです。
ヒグマは冬眠をするのですが、これが死と再生を連想させて、ヒトにとってヒグマが独特な生き物であるようになった一因とのことです。
ヒグマとヒトが精神的に距離が近い、という本書を読んで、昔観たディズニーのブラザーベアというアニメ映画を思い出しました。うろ覚えですが、アメリカ原住民の子どもがクマになった、というお話だったと思います。
この本は文化的な話も理学的な話もあって面白かったです。
Posted by ブクログ
今一度、ヒトとヒグマの関係史を知っておかなきゃなと思って手に取ってみた。
生物学、動物地理学、文化人類学、神経生理学、ありとあらゆる観点から、人とヒグマの関係を考察して面白かった。
特にユングの心理学を用いた、ヒグマの生態と人間の心理構造の相同論は新鮮に感じたし、説得力があった。
自分はヒグマに信仰的な思いを持っているわけじゃないけど、確かになんとなく神聖な感じはする。だって生態系で一番強いから。なので自分は序列的な問題でひよっているだけかもしれないが、一方、本書ではもっと筋の通った説明がなされている。冬眠をするヒグマは、覚醒=生、冬眠=死とおのずと結びつけられた。やがて生と死のシンボルと見立てられて、神聖なイメージが生まれていったという。
いずれにせよ、「なんとなく凄い感」が、ヒグマへのユング的無意識を刺激し、信仰につながったのだろう。そして信仰は人々の結束を強めて、やがて文化を形成していく。なので、集団的な無意識にある「なんとなく凄い感」は、文化の礎の一つになっているかもしれない。
また本書では、ハードパワー(=軍事力)とソフトパワー(=文化交流)について繰り返し述べられている。現代は目に見えてわかるハードパワーの時代で、先行きの閉塞感がただならない状況にある。
しかし、これも一つの文化とも言えちゃうかもしれない。だって「なんとなく凄い感」があるもの。でも「なんか嫌だ」「なんか怖い」というネガティブな無意識反応の方がずっと自然だ。軍事力は人間の結束を強め、一つのれっきとした文化だ、なんて口が裂けても言いたくない。不倫は文化と言ってるようなもんだ。どっちも気持ち悪い。
どうして気味の悪さが働くのか。その示唆となる考えも本書の中に書いてあって、噛み砕くなら、自然と人間の対称性が崩れるから、と言えよう。ヒグマが文化として成立したのは、人間がでしゃばらなかったから。ヒグマは狩るけど、その分自然を尊敬して、あくまでも対等であろうとしたから。
軍事力の気持ち悪さは、きっと対等な関係を見いだせないからなんだろう。強さだけを追い求め、弱者を圧倒する。不平等も甚だしい態度だ。対等を重んじるソフトパワーこそ、これからの時代に求められる素養なんじゃないかな。
Posted by ブクログ
ヒグマを通じて社会を作り、知っていく。翻って現代では自分を相対化して見つめることができなくなり、手当たり次第に破壊が繰り返されているのかもしれない。
Posted by ブクログ
人とヒグマの関係は長い。山に暮らす人々は畏れと敬意をもって共に生きてきた。だが都市化と人口減少で里山は荒れ、境界が曖昧になり衝突が増えている。その背景に人間社会の変化を映す。ヒグマは脅威であると同時に豊かな自然の象徴でもある。命を奪う事件は痛ましいが排除だけでは解決しない。共存の道を探ることが地域を守り未来を築く一歩となる。
Posted by ブクログ
羅臼岳で東京の会社員が下山途中にランニングしていてクマに襲われた事件の直後である。クマに襲われるということはあまり書いてはなかった。クマと文化について、特にツキノワグマよりもヒグマの神祭りの関係が丁寧。
北大での授業の記録である。