あらすじ
「成長し続けなきゃ」
「仕事と感情は切り離そう」
「自責であれ」
「時間を何か有意義なことに使わなきゃ」
「◯◯力をつけよう」
「ポジティブ思考で生きよう」……
「強いビジネスパーソンを」目指して鬱になり、考えた、「資本主義のしんどさ」から自分を守って生きる法。
がんばりたいのに、がんばれなくなってしまったのは、なぜだろう?
これは僕だけの話じゃない。
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Posted by ブクログ
強くなろうとせずにいることが難しい時代を生きている。しかし、「強い人間」になろうと頑張るが、どこななり切れず、かといって「弱いままで良い」と開き直ることもできず、苦しんでいる。
弱さとは「自己コントロール」や「自律」の問題で、規範を守り、「社会に求められる人間像」の幅に自分をコントロールできる人は強く、それができない人は「弱い」
「何もできない」時期を通して学んだことは、「理性は幸運の副産物」「買い解決思考の問題点と待つことの大切さ」「自分の中の上から目線」
未来からの逆算なんて不可能。だが、逆算を強く意識し、未来へと続く一本道を選びがち。その引き換えとして、目標達成に関係しないものはノイズになり、見えなくなる。すなわち、「未来からの逆算と「偶然への感受性」は両立しない。
企業が成長を求められる理由は「競争」と「負債(金利)」で、市場における競争がある以上、「負債」を避けた「のんびり」を許してくれない。よって、どの業界にいても変化が求められ、「いつまでも同じことをしていてはいけない」と圧をかけられる。
社会学者晴人ムート・ローザ(2022)『加速する社会』
「初期近代においての間世代的な変化の速度から、「古典的近代」においで世代交代とほぼ同期した段階を経由し、後期近代に至って世代内的な店舗へ上昇した。」
すなわち、終身雇用から、「いつかここではないどこかで働く自分」の想定をするようになり、「自分はいつでも、どこでも役に立てる人間なのか?」という問いに繋がっていく。
人間は少人数ではごく単純な道具しか作ることはできない。例えば、ワクチンなどの高度な製品は絶対に無理。ここから、複雑な分業と商品を交換する市場経済でこそこうした交換は可能になり、市場経済を否定した自給自足の世界とは「治る病気も治らない」貧しい世界になる。つまり、今の世界は「何をするにもお金がいる社会」だが、日本では貯蓄のない世帯は三割。彼らは働けなくなったら、親族・共同体・福祉に頼るしかない。
給料は売り上げから原価を引いた粗利から払われるが、粗利は「一人でいかに多くの人を相手にできるか」に大きく左右され、そのために、現場があり肉体という物理的制約がある
エッセンシャルワーカーの給料は低くなる。
「役にたつ」はいつも目的を必要とし、これにより「未来の目的」に向けて「現在という手段」が存在することに。その結果が、現在の手段化で、「これは(未来の)役に立つの?」という質問となる。
「努力は良いことだ」は「変化・成長は良いことだ」と同じく、社会的・経済的に形作られた規範であって、ヒトの動物的な本能ではない。しかし、産業化が始まり、「努力は良いことだ」と多くの人が思っていた方が社会は発展するため、試験・評価を通じて「時間を有意義に使おう」という考え方が内面化され、際限なく強化されていく。
鈴木宏昭(2022)『私たちはどう学んでいるのか』
「自分の内部リソース(経験・記憶)」と「外部リソース(状況・環境)」とが相互作用を起こした結果、「能力」と呼ばれるものが生成される」
=「コト」的能力観
≠内部にある「モノ」
優秀な人とは、自分の内部リソースの見極めと必要な外部リソースの調達・提供が上手い人
老いとは、「できること」が一つ一つ「できないこと」になっていく過程を示しているが、人は全ての能力が必ず消えゆくという事実にあまりに無頓着に、そして無邪気に能力を追い求めたはいないだろうか?
ビジネスの世界が前提とする個人像が強すぎるのでは?
・自己認識:いつでもどこでも誰とでも「変わらない私」
・重要要素:生産性
・世界観:能動的
→個人主義という規範へ
ジョセフ・ヘンリック(2023)『WEIRD「現代人」の奇妙な心理』
「Western「西洋の」/Educated「教育水準の高い」/Industrialized「工業化された」/Rich「裕福な」/Democratic「民主主義の」に表される現代人が持つ「WEIRD」な特徴は、西洋のごく一部の国々のものでしかないのに、あたかも「現代人の普遍的真理」のように扱われる」
「「現代的」な特徴は、周囲の状況に関わらず、「自分自身」であろうとすること」
「ほとんどの社会は親族関係をベースとして成り立っていて、個人ベースのWEIRDな国々の方がむしろ例外」
渡邉雅子(2023)『「論理的思考」の文化的基盤』
「日本は、社会秩序を成り立たせる道徳心を、他者との共感を通じて養う「社会性原理」によって、アメリカは、比較検討し最も早く確実な手段を選択し目的を達成することを重視する「経済性原理」によって教育が組み立てられている。」
「日本社会の中では、感想文や心情を読み解く共テなど、一貫して「他者の心情の読み解き」と「共感」が求められている。」
「アメリカの教育は、結論ファーストのライティングスタイルなど、ビジネスの原理そのもの」
「未来(結論)」からの逆算のアメリカと、現在からの成り行き(時系列)の日本では、時間の流れが逆」
人間は公正な世界を望み、因果応報であってほしいと願う公正世界仮説により、人々が事件に巻き込まれる結果を見ると「落ち度があったのでは?」と被害者のうちに原因を捏造してしまう。そうすることで世界から公正を保とうとするが、これは被害者バッシングにつながってしまう。
「仕事ができるかどうか」を含む、誰でもわかる普遍の基準で測る限り、必ず自分より上の人が現れ、満たされることは難しく、満たされ続けることは不可能に近い。
Posted by ブクログ
社会に求められる人間像にコントロール出来ない人=弱い人
→年々求められる人間像の難易度が上がり、弱い人が増えている。
著者はバリバリのビジネスマンだったが、鬱になり弱い人になった。
鬱になった中での気づき
①理性的でいられるのは幸運の副産物
②即解決よりも待たなければ解決できない問題もある
③人の価値は生産性では決まらない
④自分の人生は自分で選んできたつもりかもしれないけど、社会が個人に与える影響も大きい。
(自己責任だけじゃ解決できない問題もある)
今の社会は、自分は転職(違う会社)でも価値を発揮できる人間なのか?
→過度のコスパ、タイパ主義
能力は自分のものだけでなく、人と人の間で生まれる(活かす)という視点がある。
また能力は環境で決まる。
日本の教育とアメリカの教育
→日本は会話で結論からではなく順序的に話すことが多く学校教育でも流れが重視されていたが、社会では結論ファースト(アメリカ的)なことが求められる。
この今までの教育と社会で求められることのギャップが苦しい
弱っているなら逃げていい!
遠回りや寄り道をしてもいい!
今の時代メンタル回復系の本も多くあるが、こういった鬱になって弱い立場になった人が、今の社会は苦しい!と叫ぶそういった本こそ必要だったのかもしれない。
私自身も受け入れられない(実感がもてない)部分もあったが、きっとそれが自分が漠然と抱えている不安や恐怖なのだと思う。