【感想・ネタバレ】村上春樹 翻訳ライブラリー ある作家の夕刻 フィッツジェラルド後期作品集のレビュー

あらすじ

作家としての窮状さえも、フィッツジェラルドは
見事に小説に結実させていった――

華やかな喧噪の日々から一転、三十代にして迎えた不遇の時代にも、
フィッツジェラルドは多彩なスタイルの短篇小説と、
「壊れる」三部作ほか秀逸なエッセイを残した。

人生の暮れ方に描かれた、美しくゆるぎない物語。
早すぎる晩年となった一九三〇年代のベスト集。


〈短篇小説〉
異国の旅人
ひとの犯す過ち
クレイジー・サンデー
風の中の家族
ある作家の午後
アルコールに溺れて
フィネガンの借金
失われた十年

〈エッセイ〉
私の失われた都市(『マイ・ロスト・シティー』改訳)
壊れる
貼り合わせる
取り扱い注意
若き日の成功

...続きを読む
\ レビュー投稿でポイントプレゼント / ※購入済みの作品が対象となります
レビューを書く

感情タグBEST3

Posted by ブクログ

中高生のときに「華麗なるギャツビー」を読んで、それから「雨の朝パリに死す」を読んで、なんとなくフィッツジェラルドという作家の醸し出す雰囲気みたいなのを背伸びしていいなぁと思おうとしているようなところがあった。
なんか人間の切なさみたいなのを絶妙に掬い上げるような感じの印象があって、それ自体がなんかすごくわかるような感じでいることがカッコいいことのように思っていた。太宰の「人間失格」を読んで、自分はこの感じわかる、と言いたいようなああいう感覚。若い時特有の。
それで今大人になって、だいぶ久しぶりにフィッツジェラルドを読んだら、わかる気がするというより、分かってしまう、という感覚だった。でも本当は人生、この感じはわからないほうが幸せなんだろうということも含めて。大人になって分かってしまうそれは、人間のカッコ悪いところだったのだ。そしてそのカッコ悪さがあるところが、どうしようもない人間くささで、フィッツジェラルドという人は、自分が多分にそのカッコ悪さを抱えていることを分かりながら、そんな自分をどこがで愛おしいと思ってること(=自分のことを愛おしいと思うというより、人間のその性質を愛おしいと思っている)を隠さず示している人なのだと感じた。それはなんというか壮大な励ましで、この人がそういうならそうなんだろうっていう、生き様も合わせた迫力のある存在の人なんだ、な。

0
2025年10月30日

「小説」ランキング