あらすじ
小説家であり、また医師でもある著者は、これまでにも『日本人の死に時』『人間の死に方』『人はどう死ぬのか』など、死をテーマに著述を発表してきた。
医師として、ひとりの人間として、数々の死を看取ってきた著者の集大成として、本書はある。
死が怖い人へ、かつて死が怖かった人へ、身近な人の最期に悲しむ人へ、迫る自分の死を考える人へ。
すべての人に贈る、死生観の教科書。
読めば死が怖くなくなる。
死とは何か、その恐怖とは何かを考え、その克服法を考える。
※カバー画像が異なる場合があります。
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Posted by ブクログ
普段考えることを避けてきた死について、改めて考えることができた。他の国や昔の死についての捉え方は、医療が発達した現代の日本とは違っていた。読み進めること医師などの死に慣れている人の考えは、死を避けている一般の人と異なっていることがわかった。人の死は避けることができず、その時になったら医療は無力である。死に慣れていないと、何とか医療でなると思って延命治療をお願いして下手な死に方をさせてしまうそうだ。
読み終えて、少しは死の恐怖が和らいだ感じがした。
死ぬ間際になってもがくのは良くないし後悔が残る。普段から
メメント モリ 死を忘れるな
とカーぺ ディエム 今を生きる
ということを大切にしたい。
Posted by ブクログ
結婚して新築マンションを買ったけど、手続きの関係でなかなか入居できず、「今死ぬのは本当に嫌。望んでいるものが手に届きそうで届かない時に人生終わるのだけは勘弁!」と思ってた時に、この本を見つけた。
お医者さんとしてたくさんの人の死に関わってきた視点から、死とどう向き合うべきか書かれたエッセイ。
結論の死との向き合い方は、難しい方法ではあるが、本当にその通りだな、そうしてみよう、と思える内容だった!
自分が、何となく死を怖がっていて、何となく今を生きていて、感謝や足るを知る心が充分じゃなかったんだと感じた。
また死が怖くなった時、生きるのが嫌になった時に読みたい。
Posted by ブクログ
生を諦められないのは、「まだやり残したことがある」との思いからである。したがって 充実した日々を送るとか欲望を小さくすれば、死を怖れることも少なくなるのではないか。本書を含むいわゆる「死の四部作」を通しての思いである。
Posted by ブクログ
久坂部先生の死生観は、すんなり腹落ちします。自然体が素晴らしい!「生」はテーマパーク、出生エントランス〜学校ジャングル〜人間関係の迷路を経て、老いの館。テーマパークはいつかは閉園するので、その1日を出来るだけ愉しむ、というのが刺さりました!感謝
Posted by ブクログ
作者は医者であり小説家であるので文章を綴るというところではとても上手にまとめていた。内容もなるほどという言葉しか見当たらない。このなるほどがなんであるかを知りたい方は本書を読んでみてほしい。
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助からない患者を見たときの医者の対応。
日本の安楽死の矛盾。
管や穴だらけにされて苦しみたくないのと、パプアニューギニアの人のようにポジティブに死を受け入れたい。
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メンタルを崩した時、もっとも怖かったのは人の死だった。回復した今でもフラッシュバックがある。おそらく自分に対しても、人に対しても何も出来ていない自責があるからだろう。今出来ることから逃げず、いつ死んでも良いように。
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タイトル通り、「死の恐怖」をどう乗り越えるかとの話が多かった。
自分は死の恐怖よりも老いの恐怖のほうが勝っているので、文章が心に響きにくかった。
一番興味深かったのは
最終章(第9章)幸福な死とは 。
幸福な死を阻むもののリストが興味深い。後悔、ないものねだり、他人との比較・・・
思い浮かんだのは、これらは「他人に嫉妬する要因」とも重複する部分があるのではないかと。
最後は考え方、心の持ちよう だとあらためて突きつけられた。
Posted by ブクログ
医者らしく、身も蓋も無い書きっぷりだけど、それがむしろ良かった。
死ぬときはそれなりに痛い・苦しいものと知っておくと良い、とか、メメント・モリとか、これからの老後生活に大いに参考になった。
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医師である著者が死ぬことについて色々と述べられている書籍。死が怖くないという人もいるけど、その状況に置かれないと自分がどういう心境になるかはわからないな。ただ、Memento mori, carpe diemは心に残った。
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“死ぬ時節には死ぬがよく候”
両親の死を見てきたが、父の最期には苦痛を与えたことから、母は延命治療はしない選択をした。当の本人はどうしたかったのか?は、今となってはわからないし、ただ私自身が納得したかっただけとも思う。
残された者の満足(都合?)で左右されてしまう死とはなんだろう?ふと考えさせられる内容でもあった。
Posted by ブクログ
身内の死を身近に何度か見てきてはいるが、先日、真夜中にふと目が覚めた時のこと。
「死んだら無になる」ということが、無性に怖くなった。
「無」ということがすごく怖くなったのだ。
幼い頃、「死んだらお父さん、お母さんと一緒にいられなくなる」と恐れたことごあるが、かなり久しぶりに「死」についての怖さを感じた。
翌日、たまたまこの本をネットで見かけて読みたいと思った。
読んでみて思うのは、「死」を考えることは「生」を考えることであって、決して「無」を考えることではないんだなと。
笑ってしまったのは、「リアルな死後の世界を空想すれば」(147頁から)のところ。
たしかに、先祖として子孫を見守ったとしても、玄孫やそれ以上になると、全く知らない人間を守ることに興味もないし、見守られている方も全く知らない霊魂に見つめられたら嫌だろ(笑)まあ、私は未婚子なしなので、子孫を見守ることもないけど。
ついでに、歴史上の人物に話しかけたとしても、あっちは自分を知らないんだから迷惑だろうし、教科書通りの人なら良いが、違ったら、話しかけたことを後悔すらするだろうなー。話も全く合わないし(笑)
驚いたのは、ウィーンが「死」を街中でイメージさせているということ。
そんな博物館があるのか!!と、驚いた。
日本じゃありえんな。
「メメント・モリ」=死を忘れるな。
この意味を改めて噛み締める。
『そういう意味で、「メメント・モリ」は、死をありのまま見つめるのに役立つ。家族も自分もいつか死ぬ。明日にもその引き金は引かれるかもしれない。だったら、今を大事にしよう。幸いなことに、今はその引き金に指はかかっていないのだから。』(160頁)
昨年、手術をしたのだが、その時、「死は怖くない」をいろいろなところで口にしていたが、これを読んで改めて思った。
ああ、私は「死が心底怖かった」のだと。
死が怖くならなくなった。とは言わないが、死への意味合いは少し変わった気がした本。