あらすじ
日本陸軍が生んだ“悪魔の部隊”とは何か? 世界で最大規模の細菌戦部隊(通称石井部隊)は、日本全国の優秀な医師や科学者を集め、ロシア人・中国人など三千人余の捕虜を対象に、非人道的な数々の実験を行った。歴史の空白を埋める日本細菌戦部隊の恐るべき実像! 本書は極限状況における集団の狂気とその元凶たる“戦争”に対する痛烈な告発の書である。
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Posted by ブクログ
戦時中の731部隊、細菌兵器の開発や人体実験を行っていた部隊の記録。
著者の思想や虚構が多少混じっていたとしても、何とも惨たらしい記録である。
グロ耐性のない人は読まないほうがいい。覚悟がないと読めない。
私もさすがに途中で気持ち悪くなった。
今の医療の発展はかつて世界中で行われていた惨たらしい人体実験を抜きにして語ることはできないし、
多分、人類の発展においてこのような残酷なことが当たり前のように行われることは避けることができなかったと思う。
(歴史上のどの史実を変えても、結局は似たような歴史になると思う)
平和な日本に生きる私たちができることは、今病気になっても高度な医療が受けられるのは戦時中も含め星の数ほどの犠牲と無念の上に成り立っていること、戦争が人を狂わせ、悪魔にすることを忘れないことだと、私は思っている。
Posted by ブクログ
関東軍731部隊を描いたドキュメンタリー。某党機関紙で連載されていた、写真誤用があった等、本書が思想的バイアスを持って書かれたのではないかとの批判はあるものの、割り引いて読んだとしても被験者をマルタ(丸太)と呼んで行った非人道的な生体実験には気が滅入ります…。本田勝一の「中国の旅」(これも何かと批判を受ける本ですが)並みの読後感の悪さです。
Posted by ブクログ
とても読んでいて気分が沈むというか
日本の暗黒部分を知ってしまったって感じで
ますます戦争って一体。。。という思いに囚われました。
というか人間って怖いです。
でもこのような人体実験をしたから
今の医学などが成り立ってるかもしれないと思うと
ますます複雑な気持ちになりました。
単純にこれらを行った人たちを責めることができない…
そんな風に思ってしまった自分自身の心境にも複雑な思い。。。
人間ってなんて愚かで情けない生き物なんでしょう…
Posted by ブクログ
「われわれが『悪魔の飽食』を二度と繰り返さないためにも、民主主義を脅かす恐れのあるものは、どんなささやかな気配といえども見逃してはならない」(P301)
中立的な歴史、客観的な歴史、公正で公平な歴史などというものは、この世に存在しない。なぜなら歴史(hi“story”)は「物語られるもの」であり、語りという行為に主観を入れずに済ますことなど不可能だから。これは私一個人の意見ではなく、もはや手垢のついた言説であると言ってよい。
この著書を完成させた著者陣の根気と執念は尊敬に値する。このように“上から目線”で評価すること自体が烏滸がましいと感じるほどだ。ただ惜しむらくは、書き手自身がこの本を「事実の記録」だと認識していて、「主観のモンタージュ」であることに自覚的でないということだ。
本書は、元隊員らの証言を著者陣が再構成して出力したものである。証言も主観なら再構成も主観であり、主観に主観を重ねた「主観のモンタージュ」が、本書の本質であると言ってよい。ここには、元隊員らが事実を「語ったもの」を、更に著者が「語る」という、二重の語りの構造があるのだ。というか、ルポルタージュ(記録“文学”という邦訳の与えられる一ジャンルである)は基本的に、この二重の語りの構造を逃れられない(私が知る限りでこの二重構造を最も薄めたものは『SHOAH』であるが、従来の戦争映画を脱構築するという作り手の「意図」を載せた映画であることもまた間違いない。「薄めた」であって「逃れた」ではないのだ)。
そういう意味で本書は、著者の反戦思想を載せた「記録“文学”」である。読み終わる頃には性善説を信じる気にはなれなくなり、人間の正義や道徳などかくも儚いものであるかと思い知ることになる。それが悪いことだと言うつもりはない。それがこの本の役割なのだからそれで良いのだ。
私のような戦争を知らぬ人間に、それがいかに愚かでいかに恐ろしいものなのかを叩き込む。そのために書かれた本であることは、著者自らが述べている通りだ。中途で著者が登場して自分の意図を述べ、あるいは証言が小説調で語られる。読み手の「感情」に訴えかける表現が随所に登場するのだ。単なる事実の羅列では、こんな効果は得られない。もし本書が、単純に731部隊で起きたことをまとめた年表でしかなかったら、本書から得られる感情はひどく薄っぺらいものになっただろう。
この本が「主観のモンタージュ」だからこそ、読み手は心を動かされるのだ。
ただ、著者が最後の最後でこれを「事実の記録」と述べてしまっているところに、若干の危うさを感じもする。
731部隊のことを語るインターネット上の言説は、大抵感情的だ。存在したかしなかったか、という根本的なところで言い争う姿も見られる。その姿を否定するつもりはない。前述の通り、歴史は「物語」であり、主観なき物語・感情なき物語など存在しないのだから。歴史をめぐる論争は、極論主観と主観の戦いだ。……というのは、いささか極論すぎるかもしれないが。
ただ、自分が感情的であることを自覚せずに「自分は客観的である」と主張する人間は、間違いなく胡散臭く見えてしまう。それだけで、その人物の言葉の説得力は失われてしまうだろう。要するに、そういうことだ。