あらすじ
「伊豆の踊子」は著者初期の代表作。主人公の二十歳になる旧制高校生は孤独な心を抱いて、伊豆へ一人旅に出る。そこで旅芸人の一行に出会い、十四歳の薫という踊り子に惹かれる。踊り子の若さと清純さが主人公の歪んだ心をいつしかあたたかくときほぐしていく過程に、青春の感情と慕情が融けあった美しい抒情が漂う作品である。(C)KAMAWANU CO.,LTD.All Rights Reserved
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Posted by ブクログ
人と距離をとりがちだった主人公が踊子の無邪気な親切に触れ、次第に人に心を開いていく。
終盤の「私はどんなに親切にされても、それを大変自然に受け入れられるような美しい空虚な気持ちだった。」がお気に入りの文章。
Posted by ブクログ
『伊豆の踊子』
旅先で出会った踊り子に心惹かれ、ふれあいの中で心が洗われていくお話。主人公が伊豆を訪れた理由について、「二十歳の私は自分の性質が孤児根性で歪んでいると厳しい反省を重ね、その息苦しい憂鬱に堪え切れないで伊豆の旅に出て来ているのだった。」と述べている。川端自身の出生が作品に大いに影響していることは、言うまでもないだろう。
有名な作品だけど、こんなに短かったとは。サックリ読めた。
『青い海黒い海』
なんと奔放な作品か。全てが漠然としたイメージで成り立っている。それぞれが何の比喩なのかまったく理解できないけれど、作者の死生観、そして触れたことのない母を求めているんだろうなあと。
『驢馬に乗る妻』
元恋人の妹と結婚した男。その結婚生活は、元恋人の犠牲の上に成り立っているのだろうか。この男情緒大丈夫か?と思ってしまう。最後の妻を驢馬に乗せるシーンが、何を表現しているのかわからない。川端の作品は肝心なところを書ききらない。
『禽獣』
「夫婦となり、親子兄弟となれば、つまらん相手でも、そうたやすく絆は断ち難く、あきらめて共に暮らさねばならない。おまけに人それぞれの我というやつを持っている。
それよりも、動物の生命や生態をおもちゃにして、一つの理想の鋳型を目標と定め、人工的に、畸形的に育てている方が、悲しい純潔であり、神のような爽かさがあると思うのだ。良種へ良種へと狂奔する、動物虐待的な愛護者たちを、彼のこの天地の、また人間の悲劇的な象徴として、霊障を浴びせながら許している。」
悲しいなあ。
『慰霊歌』
鈴子を霊媒に、呼び寄せた花子の美しい霊。これも母体への渇望が現れた作品なのかな。うーん、解釈が難しい。
『二十歳』
これは唯一わかりやすい作品だった。継母の意地悪、実母の死に接し、坂道を転がるように堕ちてゆく人生。
「彼のなかの女性的なものが、彼を女になれなれしく、女をさげすませつつ、しかも、この世に女がいる限り、自分はいつか立派な人間になれるというような、安らかな夢を、どこかに持たせているのだった。」
ねじれてるなあ。しかしあんな最後ったらないよ。
『むすめごころ』
咲子健気かよ涙。大好きな人同士が結婚したら嬉しい、けどどこかで嫉妬を感じてしまう。心の機微がなんともすばらしく描かれている。
『父母』
旧友に宛てた手紙。内容は、「お前が生き別れた娘と軽井沢でテニスに興じているが、特別な関係になってしまったわ!」これは実父にとっては堪らない話だが、真偽のほどは・・・?
全体的に解釈が難しいけれど、各作品に残る疑問が、作品に深みを与えていることは間違いない。しかし男性作家とは思えないほど少女の心をわかっていらっしゃる。
Posted by ブクログ
「伊豆の踊り子」「禽獣」「青い海黒い海」他の短編集。
川端の描く女性はみんな古き良き美しき日本女性、という感じだが、それゆえにこそ、なんだか川端の女性への執着みたいなものを感じでちょっと怖い。耽美派じゃないけど耽美派っぽいものを感じた。「伊豆の踊り子」も、二十歳の私と十四歳の踊り子薫との爽やかな出会いと別れといえば聞こえはいいけれど、処女性への執着がちょっとキモイな。恋でもなく性愛でもないその中間地点みたいな。人と別れてきたのです、といって涙を流す最後のシーンは綺麗といえば綺麗だけど。天城峠や修善寺・湯ヶ島温泉あたりを舞台にしていて、文学散歩できそう。
Posted by ブクログ
割と初期の作品集。
というのもこの角川文庫、1951年の刊行なのだ(が、年譜は死まで更新されている……)。
川端自身による「『伊豆の踊子』について」が嬉しい。
今回は「驢馬に乗る妻」「二十歳」「むすめごころ」「父母」を読んだ。
■「伊豆の踊子」
既読。
■「青い海黒い海」
既読。
■「驢馬に乗る妻」1925以前
彼。
妻の綾子。
その姉の豊子。
綾子は知らないが、実は彼は先に豊子と通じ、豊子の自己犠牲で妹に譲った、という過去がある。
やはり女をふたり並べて、どちらからも愛されている(年上から年下へ移行)というドリーム小説。
■「禽獣」
既読。
■「慰霊歌」1932
既読。とはいえ記憶が薄いので、今後ちくま文庫「文豪怪談傑作選 川端康成集 片腕」で読み直す予定で今回は保留。
■「二十歳」1933
祖父。父の兵禄。が結婚したのは、母お霜。夫婦の長男の銀作。が主人公。
母の父は雲の五六。父の後妻の梅子。その妹の竹子。
銀作は浅草の掏摸稼業へ。
登場人物全員が不良。
……文体も内容も川端っぽくない(織田作之助っぽい?)ので代作かしらんと邪推してしまうが、戦後復刊期にわざわざ総題にしているくらいだしな、と思い直す。
■「むすめごころ」1936★
(私の遠縁の娘、静子が時田武と結婚した。この手紙は静子の友人である咲子が書いたもので、預かった。という前書き。)
私は武さんと、結婚するかもしれない関係だったけれど、静子さんが好きだから、ふたりを引き合わせた。
武さんから言い寄られても、断った。
あなたたちが結婚して、幸せよ。
……うまく整理できないが、いい読後感。素晴らしき百合。
でも不吉で(だから語り手が、この手紙は静子のもとにないほうがいいと判断した)、50年後にはこじれにこじれて、例えば吉田知子や大濱普美子の怪奇小説の題材になりそうな。
■「父母」1936★
・手紙の遣り取り。
・軽井沢のテニス。スカート。ラケット。コートは野外舞踏場。お嬢さん。
・西洋人の避暑地。
・あなたの慶子さん18歳。あなたの棄てた子供。
・ゆき子さん。
・僕は文学者。
・慶子さんはいまはいく子さんと呼ばれている。
・青春が呼び戻される。
・小説家の僕の虚構。
……誰が誰に対してどんな手紙を書いているのか、把握しきれず。
でも堀辰雄っぽい雰囲気や、後半に現れるメタ視点とか、好きになれそうだな。
◆解説 進藤純孝
◆作品解説 古谷綱武
◆『伊豆の踊子』について 川端康成★
Posted by ブクログ
昔の人はなんてピュアなんでしょ。
いいね、こういう、見てるこっちが
恥ずかしくなってきちゃうような恋。
でも、実は表題作の「伊豆の踊子」よりも、
収録作品の一つである「二十歳」の方が好きだ。
いや本当は悲しくなっちゃうから好きじゃない。
けれどなぜかそういうお話の方が、ずっと心に
残る。
求めても中々手に入らないものがあって
与えられることはないと知るとますます欲しくなって
やけになって何か他のもので満たそうとするのだけど
心は渇いていくばかり。かさ、かさ、かさ、
手を伸ばせば掴めるしあわせが、そこらじゅうに
転がっているのに
見落としていることにも気付かない。
そして気付いた時にはもう、手遅れなことの方が多い。